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ヴェネツィア・ビエンナーレ通信
 
15 settembre 2020

Notizie dalla Biennale di Venezia

第31回  

「落ち着かないミューズ展」 


中山エツコ
●創立から125年のビエンナーレの歴史を振り返る
1895年にイタリア国王ウンベルト一世の成婚25周年を記念してはじまった2年毎(ビエンナーレ)のヴェネツィア国際美術展。その後、1930年代には現代音楽祭(1930年)、映画祭(1932年)、演劇祭(1934年)が加わり、さらに1980年に建築展、1999年にコンテンポラリー・ダンス・フェスティバルが加わって、今では6部門を抱え、世界の“アート”の最前線に触れる重要な場になっている。  

トップの写真: @「落ち着かないミューズ展」会場の中央館
写真下:A第1回国際美術展(1895年)ポスター

今年は5月末から第17回国際建築展が開催される予定だったが、コロナ・ウイルスの影響で来年に延期され、2021年に行われるはずだった美術展は2022年に繰り越されることになった。このような状況で、急遽企画されたのがビエンナーレを歴史のなかで読み直す展覧会だ。

各国のパヴィリオンは閉まったままだが、ジャルディーニ会場の中央館では、創立から125年のビエンナーレの歴史を振り返る“Le muse inquiete. La Biennale di Venezia di fronte alla storia” (「落ち着かないミューズ。歴史とヴェネツィア・ビエンナーレ」)が8月29日からはじまった。6部門の各ディレクターが協同してつくったはじめての展覧会となる。1928年からビエンナーレの資料の収集・保存を行っている現代アート歴史資料館(ASAC)の豊富な資料を使い、アート部門ディレクターのチェチリア・アレマーニ氏が全体のキューレーターをつとめた。今回は、展覧会の内容を紹介しながら、ビエンナーレの歴史をたどってみたい。

●ビエンナーレのはじまり
初期のビエンナーレに関しては、展覧会順路の最後の部屋である13室(Sala 13)にいくつかの資料が展示されている。ビエンナーレの会場誕生前のジャルディーニの様子を表した図が興味深い。象やダチョウのような動物の絵もある。ここはナポレオンがイタリア王国の国王になってから、「人々がゆっくり散歩できるように」と1807年にいくつもの教会・修道院を壊してつくった公園(ジャルディーニ)だったが、そこには小さな動物園もあったのだ。この地に1894年から1895年にかけて展覧会場の建物が建設され、1895年4月30日に国王ウンベルト一世と王妃マルゲリータを招いて盛大な開会式が行われた。

写真下左:B1895年の展覧会場建物   写真下右:C会場ができる前のジャルディーニ

●ファシズム期
ビエンナーレ国際美術展は、もともとヴェネツィアの町を文化的にも経済的にも活性化させるために誕生したものだったが、ファシズム期の1930年に市から国へと運営が移った。国の予算が使えるようになったこの時期に、音楽祭、映画祭、演劇祭がスタートしている。当時はまだ新しいアートで、政治的プロパガンダにも活用されていた「映画」から、展覧会ははじまる。当時のニュース映像、初期の映画祭で公開された映画の映像が見られる。ルネ・クレール監督『自由を我らに』、レニ・リーフェンシュタール監督『オリンピア』、ジャン・ルノアール『大いなる幻影』などだ。当初は映画祭のための建物はなく、リド島のホテル・エクスチェルシオルの庭で上映されていた。公式の賞は設けられていなかったが、観衆による投票があったという。映画祭の会場となるパラッツォ・デル・チネマは1937年に落成した。

1930年代にはバルトーク、ストラビンスキーなども音楽祭で作品を初演している。1940年代にはジャルディーノ会場内に各国パヴィリオンの建設も進んでいたが、第二次世界大戦のため1942年以降ビエンナーレは活動を中止し、戦後再開することになる。

●戦後
戦後、まず開催されたのは1946年の映画祭だった。イタリアではキリスト教民主党の時代であった冷戦期、政治的な空気が反映された出来事として、「ヴィスコンティ事件」と題する展示があった。共産党寄りであるとしてルキーノ・ヴィスコンティのネオレアリズムの名作『揺れる大地』が会場で抗議の口笛を浴び、小さい賞しか取れなかったこと(1948年)、美学の違いからフェッリーニ派(『道』)とヴィスコンティ派(『夏の嵐』)の人たちがつかみ合いの喧嘩になり、金獅子賞は別の作品に贈られたこと(1954年)、『若者のすべて』では「貧困はもういい!」と会場から声が上がったが、この映画が金獅子賞を得なかったことにも抗議が起こった(1960年)など、映画祭で起こったヴィスコンティをめぐる出来事の新聞記事が集めてある。。

写真下:Dヴィスコンティ監督写真・記事

美術展は1948年に再開、この年、はじめてピカソの作品がビエンナーレで展示された。また、ペギー・グッゲンハイムが自分のコレクションを初めてヨーロッパで見せたのもこの機会だった。

写真下:Eペギー・グッゲンハイム  

内戦のため参加できなかったギリシャのパヴィリオンを使い、建築家のカルロ・スカルパが展示デザインを手がけた。モンドリアン、ブランクーシ、ジャコメッティなどのコレクションをおさめたギリシャ館の可愛らしいモデルが会場では見られる。

写真下:FGギリシャ館の展示モデル  

音楽祭では、自国ソ連で冷遇されたプロコフィエフやショスタコーヴィチの作品が演奏された。一方、演劇祭では1951年に東ドイツからブレヒトが招聘され、自身の劇団とともにくることになっていたが、イタリア政府はビザを認めなかった。これには国内の知識人や演劇人が抗議したが、10年後の1961年の二度目の招聘のときにも、西ドイツを配慮してビザはおりなかった。この頃はまだダンスの部門はなかったが、1950年代にはニューヨーク・シティバレエ団をはじめ、世界屈指のダンサーがビエンナーレの公演で踊った。  

●1960・70年代
世界中で学生運動が起こると、ビエンナーレもそれに巻き込まれた。1968年の美術展では、デモ隊が会場になだれ込むという噂に緊張が高まり、会場が警察で固められて、アーティストからも展覧会ボイコットの声が上がった。参加を取りやめるアーティストも出たが、作品を壁に裏返しにかけたり、紙で隠したりするなど、前代未聞の美術展となった。

写真下:H1968年の美術展

映画祭は定款が誕生時のファシスト期のものであったため、これも抗議の対象となった。1968年8月にソ連軍がプラハに侵攻すると、映画作家協会は映画祭ボイコットを表明。参加を辞退するか迷う監督、辞任を決める審査員、会場内での集会など混乱した。この回を最後に1980年までコンペなしの映画祭となった。  
写真下:I1968年映画祭でのパゾリーニ監督

1967年にはアメリカのアルヴィン・エイリー・アメリカン・ダンス・シアターが音楽祭に参加して話題になり、1975年にはモーリス・ベジャールをディレクターとするダンスの国際アカデミーがジャルディーニ会場で行われて、19か国出身の700人近くの若いダンサーが育てられた。1975年には二度目に演劇祭に参加したアメリカのリヴィング・シアターが、サン・マルコ広場で演劇-ハプニングを繰り広げた。

1973年にチリでクーデターが起こると、ビエンナーレは1974年から「チリに自由を」と題する活動をはじめた。チリのセバスチャン・マッタやイタリアのエミリオ・ヴェドヴァらがヴェネツィアの広場に自由を訴える壁絵を製作した。

写真下:J1974年、セバスチャン・マッタの壁絵

●1980年代〜
1980年には新しく建築部門ができ、美術展と交互に一年おきに国際建築展が開催されることとなった。建築だけではなく、町、私たちの住環境、地球の環境が重要なテーマとして意識されるようになった証と言える。2010年には建築家の妹島和世さんが日本人としてはじめてディレクターを務めた。

音楽祭と演劇祭の隙間をぬうようにして、これまでにもビエンナーレではダンス公演が行われてきたが、1999年にはアメリカのカロル・カールソンをディレクターとするダンス部門が誕生した。

近年のビエンナーレはアート教育に力を入れていて、学校、大学を巻き込むプロジェクトのほか、映画、演劇、ダンスなどの各部門で若いアーティストに世界のトップレベルと触れて学ぶ場を提供している。2011年には子供が自由にアートを楽しめる機会として「子供のカーニバル」が生まれ、年々プログラムも豊かになって、外国パヴィリオンも参加するようになった。「現代アート」と聞いて「ちょっと難しそう……」と尻込みせず、自然と楽しめる人たちがこうして育っていくのだろう。


著者プロフィール
中山エツコ (Etsuko Nakayama)
東京都出身。ヴェネツィア在住。日本語を教えるかたわら、文芸翻訳に携わる。訳書にピエーロ・カンポレージ著『風景の誕生-イタリアの美しき里』(筑摩書房)、トンマーゾ・ランドルフィ著『月ノ石』エルサ・モランテ著 『アルトゥーロの島』、ブルーノ・ムナーリ著『ムナーリの機械』、ティツィ アーノ・スカルパ著『スターバト・マーテル』、ウンベルト・エーコ著『ヌメロ・ゼロ』(以上、河出書房新社)、その他。


「落ち着かないミューズ展」データ
Le muse inquiete. La Biennale di Venezia di fronte alla storia
主催:ラ・ビエンナーレ・ディ・ヴェネツィア
日程:8 月29日-10月5日(午前11時-午後7時)
10月6日-12月8日(午前10時-午後6時)
場所:ヴェネツィア、ジャルディーニ会場中央館 (月曜休)、
サイト:www.labiennale.org
入場料:12ユーロ(オンラインのみで販売)

ヴェネツィア・ビエンナーレ情報
www.labiennale.org
-第77回ヴェネツィア国際映画祭 2020年9月2日-9月12日
-第48回ヴェネツィア国際演劇祭 2020年9月14日-9月25日
-第14回国際コンテンポラリーダンス・フェスティバル 2020年10月13日-12月25日
-第64回ヴェネツィア国際現代音楽祭 2020年9月25日-10月4日
写真: 会場、展示品:筆者撮影  


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