創設と歴史
メッシーナ・カルチョの歴史は、1つではない。1900年から現在の間までに生まれて消えていったいくつものクラブの吸収合併の歴史と言える。現に1997年に誕生した現在のFCメッシーナ・ペローロに至るまで、単純に数えて10回以上名前を変え、その間にチームが消滅したことで、別のチームが新たなメッシーナの顔となり、また形を変えていった。
1900年12月1日、メッシーナ・フットクラブ(メッシーナFC)誕生。このチームは、1900年8月に、長期滞在したロンドンから戻ったアルフレド・マランゴロが、ロンドン滞在中に仲良くなったイニャツィオ・パガーノ(パレルモのチーム、アングロ・パレルミタンの創設者)とともに、すでに英国で流行っていたサッカーをシチリアに広めるために創設した。
こうしてメッシーナFCはパレルモのチームと試合を通して交流を続けるが、1908年にメッシーナを襲った大地震により中断。大地震の後、1909年にバレット氏によりFCメッシーナとして再生。しかし1910年にバレット氏の財政が悪化したことで、FCメッシーナは解散。同年、SSアルドールとSSウンベルトIが融合したチームをSGガリバルディ・メッシーナが吸収。
その後もメッシーナに存在する複数のチームと吸収合併、解散を繰り返し、何度も名前を変えながら、1929/30年のシーズンに創設された全国統一リーグに、ACメッシーナとして現在のセリエCに値するファースト・ディヴィジョンに参加。1935/36年のシーズンにはセリエAに近づくが、実際セリエAで戦えるまでにはその後28年を待たなければならない。しかし、1963/64年シーズンにセリエAデビューしたMCRメッシーナの冒険は、2シーズンと長くは続かない。
1983/84年には、サルバトーレ・マッシミーノ会長が、フランコ・スコーリョ監督をベンチに招き、ここでメッシーナのサッカーは生まれ変わる。この時代、メッシーナ・カルチョの歴史において2番目に多くの試合(224試合)をこなしたトト・スキラッチもプレーしている。86年には18年ぶりにセリエBに復帰、このシーズンではまたもセリエAに近づく。翌年は大いに期待されたシーズンとなるが、期待に答えられなかったスコーリョ監督はベンチを退き、新たにゼマン監督がチームを指揮することになる。1992年にはマッシミーニ氏の息子たちに会長職が引き継がれるが、それが災いしてか、チームはセリエCに降格。1年後にはクラブ運営の負債が積もり、メッシーナのプロリーグ登録はFIGCによって取り消される。こうして1993年からアマチュアリーグに逆戻りし、5年後セリエCでプロリーグに復帰する。
1997/98年にUSペローロからFCメッシーナ・ペローロと名前を変え、2001年にはプレイオフで9年ぶりのセリエBを手にする。2002/03年シーズン登録の前日、7年間メッシーナの会長を務めたアリオッタ氏が、会長職をピエトロ・フランツァ氏に譲渡。そして、2004年6月5日、FCメッシーナ・ペローロは、39年ぶりにセリエAに返り咲く。
セリエA:1963/64−1964/65
2004/05− |
セリエB:1950/51−1962/63
1965/66−1967/68
1986/87−1991/92
2001/02−2003/04
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F.C. Messina Peloro s.r.l.
住所:Via Acireale s.n.c.(Zona Z.I.R. - Messina)
tel:090-22.82.300
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写真提供:FCメッシーナ
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チームカラー/マークの由来
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チームカラーは、ジャッロ・ロッソ(Giallo Rosso)と呼ばれる、黄色と赤。 |