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イタリア世界遺産の旅
15 Settembre 2014
「ピエモンテの葡萄畑の景観」
Il Paesaggio vitivinicolo del Piemonte


ピエモンテ州 Piemonte
クネオ県、アスティ県、アッレサンドリア県
Cuneo, Asti, Alessandria
登録年 2014年
登録基準 文化遺産(B)、(V)      


文・写真 牧野宣彦

2014年6月カタールのドーハ(Doha)で開催されたユネスコの第38回世界遺産会議において、イタリアの「ピエモンテの葡萄畑の景観:ランゲ・ロエロ・モンフェラート、正式名:IL Paesaggio vitivinicolo del Piemonte:Langhe-Roero e Monferrato)が、日本の「富岡製糸場と絹産業遺産群」等と共に世界文化遺産として登録され、これでイタリアの世界遺産は50となりました。

1.今回登録された「ピエモンテの葡萄畑の景観」は世界遺産登録基準の(B)、(V)で前者は、現存しているものや又消滅した文化的伝統、文明に関して少なくとも特別な証拠を持っている独特なもの(例:ポンペイなど)、また(V)は特に回復困難な変化の影響で損傷されやすい状況下にある場合における、ある文化、又は複数の文化を代表する伝統的な集落又は土地利用の顕著なもの(例:アルベロベッロなど)による。                                              

写真トップ:モンフェラートの葡萄畑
写真上左:バローロ城      写真上右:バローロ村遠景

1.ランゲ・ロエロ・モンフェラート地区の葡萄畑
ランゲ・ロエロ・モンフェラート地区の地理的な区分としては29の町村が点在する1万ヘクタール以上の土地で、この地域は、古代ローマ時代からネッビオーロという葡萄が多く栽培され、現在、バローロ、バルバレスコ、バルベーラ・ダスティ、ドルチェット、白ワインのアルネイス、アスティ・スプマンテなどが生産されている。またこの地の殆どの住民はワイン生産に関わっている。

今回世界遺産に登録されたのは以下の地域である。
1. バローロ村のあるランガ地区 La Langa del Barolo.
2. グリンザーネ・カヴール城 Il Castello di Grinzane Cavour.
3. バルバレスコ村の丘陵地 Le Colline del Barbaresco.
4. ニッツァ・モンフェラートとバルベーラ Nizza Monferrato e Il Barbera.
5. カネッリ村とアスティ・スプマンテ Canelli e l'Asti Spumante
6. インフェルノットのモンフェラート Il Monferrato degli Infernot.

2.世界の世界遺産のワイン生産地
2014年8月現在ユネスコの世界遺産は1007カ所あるが、ブドウ畑の景観が世界遺産になったのは、それ程多くない。今年世界遺産に認定された所にパレスティナの「南エルサレム、バティアのオリーブとワイン畑の景観」があるほか、ポルト酒で有名なポルトガルの「アルト・ドゥーロワイン生産地」(2001年)、ポルトガルの最高峰火山でアゾレス諸島の島の一つ「ピコ島ブドウ畑文化の景観」(2004年)、ハンガリーの「トカイワイン産地の歴史的、文化的景観」(2002年)、フランスのボルドー郊外の「サン・テミリオン地域」(1999年)、ドイツの中部ライン渓谷」(2002年)、そして2007年に登録されたスイスの「ラヴォー地区の葡萄段々畑」などがあり、銘酒ロマネ・コンテを産する南フランスのブルゴーニュー、シャンパーニュも暫定候補になっている。

写真上:インフェルノットのモンフェラート

3.ピエモンテのワイン生産の歴史
●3000年以上前にケルト系住民が始めたワイン造り

ピエモンテでワイン造りが始まったのは、3000年以上も前といわれ、恐らくケルト系のリグーリア人が最初に葡萄の栽培を始めたといわれ、リグーリア人はギリシャ人からその製法を受け継いだといわれている。栽培が本格化するのは紀元前2世紀頃、この時代リグーリアからピエモンテにかけての土地は、リグーリア人が支配していた。今回世界遺産になったBarbaresco 村周辺は「BARBARI 野蛮人」と呼ばれる異民族が支配していた。新しく征服者となったローマ人は樫の木が植わっていた丘陵に葡萄の木を植えた。ローマ人はこの地を「BARBARICA SILVA」と呼んでいた。

●古代ローマ時代、カエサルがバローロをローマに
このバルバレスコが生産される丘は、軍神マルスの名前を取り「Villa Martis」と呼ばれ、現在のバルバレスコ地方の小さな町Neiveは、マルスの丘の近くにあり、古代ローマの名門貴族Naevia家がこの地方を収めていたので、Neiveと呼ばれる。そのためこの地で産するワインは、「BARBARESCO」と呼ばれるようになった。このバルバレスコワインを広めたのは、暗殺されたコンモドゥス帝のあと第18代ローマ皇帝となったペルティナクス帝といわれ、彼は故郷バルバリカ・シルヴィアで生産されたワインをローマに持ち込んだといわれ、カエサル(ジュリアス・シーザー)は、バローロワインをローマに持って帰ったと伝えられている。

またこの地方が世界遺産に選ばれたのは、登録基準(B)の「消滅した文化的伝統、文明に関しての少なくとも特別な証拠を持っている事」も評価されたが、この地で古代ローマのワインを入れるアンフォラやワイン収穫時の詳細な規定を書いた文書なども発見されている。また、この地域の方言には、特にワインに関する単語の中にエトルリア語やケルト語の単語が多く現存している。ケルト人が残したBricco(岩山)を意味する言葉が、現在でもこの地方の地名に存在している。

古代ローマ時代の博物学者、軍人で「博物誌」を書き、西暦79年のヴェスヴィオ火山の大爆発で亡くなった大プリニウスは「ネイヴェやバルバレスコなどの地域は、火山灰を含んだ粘土質の土壌で葡萄の栽培に最も適している。」と述べている。

  写真上左:インフェルノットのモンフェラート    写真上右:モンフェラート   


●イタリア統一の英雄カヴールがワイン造り近代化に大きく貢献
長いワイン生産の歴史を持つピエモンテのワインは、18世紀まで品質はそれ程評価されていなかった。その後18世紀になりイタリア統一の英雄カミッロ・カヴール (Camillo Cavour 1810-61)が登場する。彼はピエモンテの名門貴族の子としてトリノに生まれ、サルデーニャ王国の商務相、大蔵相、首相とリソルジメント時代の政治家になるが、その前は実業家として金融や鉄道事業に従事していた。自身の領地をバローロ地方のグリンツァ−ネに持っていたので、農業経営にも熱心で、進んだ農法を学ぶため英国に赴いたこともあった。

彼は、フランスのワイン学者・ルイ・ウダールを招いて、それまでのかなり甘口で、品質の不安定なバローロのワインの改良に乗り出し、色の濃い、辛口の強い長期熟成に耐えるワインを造り出した。ネッピオーロ種の持つ特性を最大に発揮させた今日のバローロの基礎を築いたと言われている。ワイン学者・ルイ・ウダールは、ピエモンテの他のワインの改良も手がけ、これによりこの地方のワインが世界的に通用するワインとなった。

カヴールの改革を熱心に支援していた国王ヴィトーリオ・エマヌエーレ2世は、バローロ地方の中心地セツラルンガ・タルバの丘にある立派な狩猟用の館を、革新的な新しいワインを生産する場所として提供した。カヴールは、統一イタリア国家創建の英雄であるが、ピエモンテのワイン造りの近代化の礎を築いた功労者でもあった。そしてバローロワインはまたたくまに「ワインの王様、王様のワイン」という称号を得るまでになった。今回カヴールの住んでいたグリンザーネ・カヴール城が特別に世界遺産に加えられたのは以上の様なカヴールの功績による。

4.世界遺産となった地域を訪れる
私がこの地を最初に訪れたのは2001年9月、それ以来何度が訪れている。正確な日にちは覚えていないが、一時期女性シェフの本を書こうと取材した事がある。その時は、この地方のアスティの「Gener Neuv」、カネッリの「San Marco」,ネイヴェの「La Contea」などの女性シェフを訪れた。いずれも素晴らしい料理だった。

  写真上左: 美しく広がる葡萄畑   


●アルバのトリュフ祭とトリュフ尽くしコース
また11月の初めにアルバを訪れた時は、トリュフ祭が開催されていて、広場には大きなテントが設置され、中では取り立ての白トリュフ、その土地で生産された沢山のチーズ、サラミ、生ハムなど、勿論バローロ、バルベーラ、バルバレスコなどのワインが沢山並べられ、販売され、中は物凄い人で賑わっていた。一生に一度の贅沢と決意し、アルバ郊外のミシュランの1つ星レストラン「Locanda del Pilone」へ行った。アルバから少し離れた丘の上に位置するこのレストランから見る景色は、四方がブドウ畑で囲まれていて、樹木は黄色に色づき、それが沈み行く夕日に照らされて、限りなく美しかった。

優雅な雰囲気のレストランで、トリュフ尽くしのコースは一人180 Euro、いつも食べている食事代の2倍以上が一人前。ワインはバレバレスコ、前菜のカルバッチョや卵料理などすべてに素晴らしかったが、ワイン代を含めて2人で400Euro以上、通常私たち夫婦が食べる食事代の3倍以上もかかった。個人的にはトリュフのかかった料理は、トリュフの好きな料理評論家の山本益博さんが絶賛する程には、魅力を感じなかった。勿論前菜の前の食前酒は今回世界遺産になったカネッリで生産されたスプマンテだったが、これは、切れ味のよりすっきりした味で美味しかった。

その後サヴォイア家の建築群が世界遺産になった時、アスティの近くにあるCastello Govoneの撮影にアルバを再訪した。この城にはフランスの啓蒙時代の思想家ジャン・ジャック・ルソーが来た事で知られるが、週末以外は城が閉まっていて、中に入る事は出来なかった。アルバから車で城まで走る景色はまさに今回世界遺産になった葡萄畑の景色が広がり、美しかった。

●グリンザーネ・カヴール城の州立エノテカ
また今回世界遺産になったグリンザーネ・カヴール城にも行ったことがある。ここは、カブール州立エノテカになっていて、この地方特産のワインなどが展示、販売され、ボローニャなどではなかなか手に入らないバローロ、バルバレスコ、バルベーラなどの銘酒のボトルが、キラ星の様に陳列されていた。またカヴール城では毎年トリュフのオークションが開催される。最近は香港の金持や中国人の実業家などが、2000万円も出して落礼したなどの記事も読んだ事がある。

  写真上:州立エノテカのあるグリンザーネ・カヴール城   


カヴール州立エノテカEnoteca Regionale Cavourは、13ある州立エノテカの中で、最も有名で歴史があり、州内全域のワイン全種をカバーしている。堂々としたカヴール城のそびえるグリンザーネ・カヴールGrinzane Cavourの町にあるこの城に、カヴール州立エノテカとワイン博物館、瀟洒なレストランとコーヒショップが置かれている。1967年創立のこのピエモンテ州立カヴール州立エノテカは、ピメモンテ州で最初の州立エノテカであり、イタリアでも第二番目のものです。ここでは州全域で生産されるDocとDocgワインが展示されており、ランゲとロエーロ地方のワインについては、特にバローロとバルバレスコを中心に広いセレクションを用意している。立派な「仮面の大広間」はアルバのトリュフとワインの騎士団集会場ともなっている。

城内には、民族史学的な展示や各時代の家具調度品が展示されているほか、ランゲ地方の歴史、文化、ワイン生産そしてランゲとロエーロ地域を紹介するランゲ博物館がある。広大な資料類と多数の遺品類によりイタリア統一後最初の首相となる偉大な愛国者、カミッロ・ベンゾ・カヴール公爵のこの城における存在を呼び起こす。

●美しいワインとイタリア最高の料理を満喫
2012年には今年2014年にミシュランの3つ星レストランになったアルバのレストラン「Piazza Duomo」にも行った。店内は、写真撮影が禁止というので、がっかりしたが、料理は見た目に美しく、野菜をうまく使った料理で味も悪くはなかったが、お値段が2人で314Euroだった。人には色々価値基準があると思うが、私にはその値段が相応しい料理だとは思わなかった。

数年前トリノのテアトロ・レージョでオペラを見ていたら日本人の旅行者に会った。彼はピエモンテ地方の料理を世界で一番だと思っている人で、「ピエモンテのバローロ、バルバレスコ地方の料理は、フランス料理とイタリア料理のよいところをいいとこどりした最高の料理」だと絶賛していた。私もこの地方の美味しいワインとレベルの高いレストランの料理は、イタリア最高の料理だと思う。



データ
Dati

カヴール州立エノテカ Enoteca Regionale Cavour
Via Castello,5 12060 Grinzane Cavour (Cn)
Tel: 0173/262159 Fax: 0173/231343  
www.castellogrinzane.com
e-mail:info@castellogrinzane.com      
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