|
|||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||
15 Maggio 2017
|
|||||||||||||||||||
![]() ●中世の旧市街地をU字型に囲む洞窟住居群 ジノーサは、バジリカータ州との境に位置します。洞窟住居群で世界遺産となっているマテーラから、南東に約20キロ。マテーラと同じように、洞窟住居群がありますが、マテーラとは、また、ちょっと違った雰囲気です。 前回のカステッラネータのときにも書いた、グラヴィーナと呼ばれる、石灰岩の地形が削られてできた峡谷が、ジノーサにもあり、その谷の斜面に、洞窟住居群が残っています。グラヴィーナは、中世にできた旧市街を、U字型に囲むように湾曲していて、洞窟住居群は、2か所、「カサーレ地区」と「リヴォルタ地区」が、あります。
トップ写真:@ジノーサの洞窟住居群「カサーレ地区」 写真下左:A洞窟住居群「カサーレ地区」 写真下右:B洞窟住居群「リヴォルタ地区」
●西ローマ帝国滅亡後も住民はグラヴィーナの洞窟に居住 ジノーサには、旧石器時代から人が住んでおり、紀元前2世紀から紀元後4世紀には、ローマ軍の要塞となりました。西ローマ帝国の滅亡後、町は衰退しましたが、住民は、グラヴィーナの洞窟に住み、10世紀ごろから、ビザンチン様式のフレスコ画のある岩窟教会もできました。
写真下:CDジノーサ旧市街地
中世に、現在の旧市街の端に、ノルマン人により城が建てられ、洞窟で暮らしていた人々は、人口増加とともに、洞窟の上に住居を建てたり、現在ある旧市街に、家を建てて住むようになり、洞窟住居からは、離れていきました。現在は、洞窟住居群は、廃墟となっていますが、その独特な景色は、壮観です。
●11世紀に建てられたノルマン城
写真下左:Eノルマン城 写真下右:Fノルマン城を下から見上げる
●「カサーレ地区」には岩窟教会も お城の手前を右に降りると、目の前にグラヴィーナがあり、右側には、洞窟住居群の「リヴォルタ地区」が見えます。ぐるっと回って、お城にかかる橋の下をくぐり、グラヴィーナ沿いの道に出たら、グラヴィーナをはさんで、向かいに見える景色が、洞窟住居群の「カサーレ地区」です。
写真下左:G洞窟住居群「カサーレ地区」 写真下右:Hフレスコ画の残る岩窟教会サンタソフィア
「カサーレ地区」には、フレスコ画の残る岩窟教会が複数あり、洞窟住居の上に建てられた家もあります。「カサーレ地区」は、1857年の地震と、2013年の洪水の被害にあいました。グラヴィーナに沿って、右側に(東側)に行くと、「マトリーチェ教会」に出ます。マードレ教会、または、マトリーチェ教会と呼ばれる教会は、その町で一番重要な教会です。15世紀の終わりから、16世紀に建てられたものです。
写真下左:I「カサーレ地区」からマトリーチェ教会へ 写真下右:Jマトリーチェ教会
●斜面に5層に並ぶ洞窟住居跡「リヴォルタ地区」 マトリーチェ教会の手前から、右側、グラヴィーナに沿ったサン・ジョバンニ通りVia San Giovanniを行くと、細い田舎道になり、「リヴォルタ地区」が見えてきます。右手を見上げると、ノルマンの城が見えます。ヤギを飼う洞窟があるので、途中で、放牧中のヤギの大群に出くわすこともあります。石畳に、ヤギのふんが落ちていたり、臭いもしますが、洞窟住居群は、遠くから眺めるだけでなく、近くまで行ってみる価値があります。
写真下左:Kリヴォルタ地区への道 写真下右:Lリヴォルタ近景
「リヴォルタ地区」は、斜面に5層に並ぶ、66の洞窟住居跡があります。洞窟住居は、住まいとして使われなくなった後は、ワインの製造、貯蔵庫として使われたりしました。家の前には、釣り鐘型の貯水槽が、いくつもあり、雨水を貯めるのに使われました。
写真下:MNリヴォルタ地区の洞窟住居跡内部
洞窟住居の中にも、自由に入れます。洞窟住居の中が、どんなふうに掘られているのか、棚のようなものがあったり、柱にするために、その部分が掘らずに残されたり、煙突の穴があったり、それぞれの洞窟が違うように掘られているので、興味深いです。 洞窟住居群の向かい、グラヴィーナをはさんで、岩窟教会もあります。
●アーモンドの粉を使ったお菓子
写真下:OPアーモンド菓子
(ターラント県 Comune di ginosa)
交通アクセス |
|||||||||||||||||||
|