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大理石の里カッラーラに生きる  
15 Marzo 2018

第1回
なぜ今、カッラーラに?



 
大木和子 



私がはじめて、カッラーラに来たのは2000年の7月でした。 1998年に結婚した夫は、石の彫刻家でした。

●古くから多くの彫刻家が石を求めてカッラーラに
イタリアのトスカーナとリグーリアの州境のトスカーナ側にカッラーラという大理石の産地があります。 古代からここで採掘される石は、ヨーロッパの重要建築の材料として使われていました。 ルネッサンス期の頃、あの有名な彫刻家ミケランジェロもカッラーラに、石を求めに足繁く通っていたのでした。

トップ写真:@カッラーラの大理石のパノラマ。右側が著者の運営する「B&B、Galleria Ars Apua」。 写真下:A石切り場に近いトラノ村

●石切り場に近いトラノ村で、夫は作品を制作
夫は東京の美術大学を卒業し、1974年、イタリアのカッラーラに渡りました。そしてトラノ村と言う、カッラーラの中でも石切り場に、最も近い村にある、彫刻工房SGFという工房で、職人と混ざって自分の作品を制作し始めたのです。1978,1980 年には、カッラーラ第一回、第二回目の国際野外彫刻シンポジウムに参加、その後、数多くのシンポジウムやグループ展を企画し参加して沢山の彫刻を作りました。

写真下:BC夫の彫刻家大木達美氏の作品から 

活動はカッラーラだけにとどまらず、ミラノやボローニャ、そしてイタリアだけにとどまらず、ギリシアやイスラエルでも、シンポジウムや展覧会に参加しました。そして、日本にも活躍の場を得て、渋谷の道玄坂の再開発をはじめ、彫刻のある町づくりを目指し、親友の建築家の先生と一緒に、東京に彫刻のある町づくりを、すすめていたのでした。

●1998年に20歳の年の差を越えて結婚
私達は日本で出会いました。夫は48歳、私が28歳、私達は20歳の年の差がありました。そして知り合って2年後の1998年、私達は結婚しました。

そのとき彼は病気を患っていました。それでも、自分が彫刻家として生き生きと活躍していたカッラーラを、いつか私に知ってほしいと、結婚する前から言ってくれていた約束を守るため、夢一杯の結婚生活、リハビリ生活でした。

●2000年の夏、二人でカッラーラへ
そして、結婚2年目の2000年の夏、私達は、イタリアへ、カッラーラに来たのでした。カッラーラのトラノ村に、夫は小さな家を持っていました。そして、念願の夢であった、私達のカッラーラの暮らしが始まったのでした。彼は、その夏、私と結婚して作り始めた、新しいシリーズ「ピープル」の彫刻を、大きいパターンと小さいパターンと、制作しました。

写真下:Dトラノ村 

イタリアのカッラーラだけでなく、ミラノやスイス、南仏にも出かけ、彼の友達全員に私を紹介してくれました。そして夏が過ぎ、11月になり、私達は東京に戻りました。

●33歳で夫を失い未亡人に
残念な事に、イタリアの山の暮らしは、彼の体力を奪い、彼は東京に戻ってから、起き上がる事が出来ませんでした。そして翌年2001年の8月、彼は帰らぬ人となりました。享年53歳でした。

私は33歳で未亡人になりました。たった3年の結婚生活。彼が病気だった事もあり、私は結婚前の仕事をやめて、実家の大阪から東京へ引っ越しをし、彼との暮らしが全てでした。その全てを失ってしまったあと、心にぽっかりと大きな穴が空き,それを埋める事はそう簡単ではありませんでした。

写真下:Eトラノ村遠景 

毎日、家に隠り、誰とも会わない日々が続きました。このままではいけない。と思い、気分転換に外に出て行くと、人ごみの中で気分が悪くなり、逃げ出す様に家に帰ってきたりした事もありました。

●今度は一人でカッラーラへ
どうしたらいいのか、見えない出口のトンネルの中にいるような気分でした。その時ふと、カッラーラの家の上に住んでいる、おじさんとおばさんの事を思い出しました。そして、その老夫婦に電話をしたのです。

写真下:Fトラノ村のご主人の家の上に住んでいたおじさんとおばさん。  

その時、「そうだ、カッラーラに行こう、行って、彼が亡くなった事を、彼のお友達に伝えて挨拶にいこう。」 初めて一人でミラノからレンタカーを借りて、カッラーラまで運転する。全て、夫と一緒に来た事がある道のりです。違うのは今回は私一人。全て順調に進み、友達達は私と一緒に悲しんでくれました。

●カッラーラの滞在で癒され、彼の作品集を作る
そしてカッラーラの田舎の風景や流れる空気が、私を癒してくれたのです。1ヶ月程の滞在でしたが、少し元気になって、日本へ帰りました。

写真下:Gトラノ村を訪れた際、大理石の山に輝いていたクリスマスイルミネーション

そしてカッラーラにいるときに決めた、「彼の作品集を作る」という目標のために、日々を過ごしていました。予定通り、2003年の8月、彼の三周忌の時に、彼の作品集を作りました。 

●夫の作品を一堂に所蔵するための敷地購入
そして、その作品集を彼のイタリアの友達達にも配るために、私はまたイタリアへ行きます。そしてその時、「これからどうやって生きていこう?」と考えました。

私は彼から、お金を遺産として残していただいていました。それを形にしたいと思っていたのです。彼は彫刻家でしたから、彼の作品を一つに置ける場所を「見つけなさい」と彼の彫刻の先生に言われていました。

写真下:HI敷地を購入後の工事風景

●大理石のパノラマが迫り桜の咲く土地
そして新聞で偶然見つけた7000坪の土地付きの家を見に行く事になりました。そこは、彼が愛した大理石の山の大パノラマが迫り、桜が5本咲いていたのです。その景色を見たとき、「天国ってこんな所かな?」「ここに彼の作品を並べたら、彼は喜ぶだろうな」って直感で感じました。そして、その場所は競売でした。そこに私が参加して、なんと私が勝って、私が買う事に成ったのです。

写真下左:J大理石のパノラマを背景に完成した「B&B、Galleria Ars Apua」の遠景 
写真下右:K完成した「B&B、Galleria Ars Apua」と葡萄畑

●2008年にギャラリー「Galleria Ars Apua」とB&Bを完成
草をかき分けないと歩けない程の草ボーボーの、敷地でした。まずは、地元の方に草刈りの仕事をしていただきました。何年も手入れされていない土地を綺麗にするのに1年かかりました。そうしたら茨で覆われていた所から、なんと葡萄畑が出てきたのです。

写真下左:Lオープニングに駆けつけてくれた友人のコンサート    写真下右:Mオープニングで挨拶する著者 

彼の彫刻を飾るのは勿論、昔の彼の様に若き彫刻家が泊まれたり、作品を発表できたりする場所を作りたいと、ギャラリー付きのB&Bを4年かけて作りました。

写真下:NOB&B内部

2008年5月24日、オープニングのときは、神戸から、ソプラノ歌手のお友達が、リュート奏者の方と一緒にお祝いにコンサートをしてくれました。それから、私のB&Bとギャラリーの女将さんの日々が始まりました。

写真下:Pベランダを飾る花々


案内人プロフィール
大木和子(Oki Kazuko)

1998年 彫刻家大木達美と結婚。3年の結婚生活で夫が他界。その後、亡き夫が彫刻家として活躍していた大理石の産地、イタリア・カッラーラに渡り、7000坪の土地付きの廃墟を購入・4年かけて家を建設し、「B&B、Galleria Ars Apua」を経営し、7年かけて葡萄畑を完成させる。 2011年カッラーラ市より「Premio Eccelente」(市長賞)を受賞。2014年AIS認定ソムリエ資格取得。「B&Bアルスアプア」経営。葡萄の栽培、ワインの醸造家。
http://cantinaoki.com  
http://www.g-arsapua.com/ 



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