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15 ottobre 2007

第47回 イタリア一美しい劇場 レッジョ・エミリア

レッジョ・エミリア−エミリア・ロマーニャ州
Reggio Emilia−Emilia Romagna


牧野 宣彦
モデナとパルマの間に位置するレッジョ・エミリアは、生活レベルの高い街として知られる。毎年末に発表されるイタリアの新聞Il Sole 24のイタリアの街の生活調査で、1位かあるいは常に5位以内に入っている。

レッジョ・エミリアの起源はローマ時代に遡る。この街を貫くエミリア街道はローマの将軍マルクス・アエミリアウス・レピドゥスにより建設され、「Regium Lepidi」と呼ばれていた。
12世紀頃、レッジョでは街を囲む六角形の城壁が建設された。この頃街は皇帝派(ギベッリーニ派)と教皇派(グエルフィ派)が対立し、様々な領主が現れたが、それを1289年に平定したのがフェラーラのエステ家のオビィツォObizzoであった。しかし、彼の支配も短期に終わり、1306年エステ家が倒るとともに領主政権と市民政権が次々と勃興した。
その後、マントヴァのゴンザーガ家、ヴィスコンティ家の統治を経て、16世紀前半、レッジョは再びフェラーラのエステ家が支配するようになり、街は落ち着き、繁栄した。ところが1570年、防備の目的で城壁から600メートル以内のものを全て「伐採」する事が行われ、その結果街の進展は妨げられた。そしてエステ家の中心がモデナ、フェラーラに移ったため、レッジョは発展から取り残されたまま、1860年のイタリア統一を迎えた。

第2次大戦後には、生活水準の高さを支える産業もレッジョに育った。イタリアで一番有名なチーズ、パルミジャーノ・レッジャーノはパルマとレッジョで作られている。
20世紀に活躍したテノールのフェルチョ・タリアヴィー二Ferruccio Tagliaviniは、1913年この近郊の街で生れている。また現代最高のメゾソプラノ歌手の1人ソニア・ガナシSonia Ganassiもレッジョ・エミリア出身である。

写真トップ:テアトロ・ムニチパーレ
下左:町の中心ガリバルディ通り、右:市庁舎内の三色旗の間

●テアトロ・ムニチパーレ Teatro Municipale
レッジョ・エミリアには1741年に建てられたテアトロ・チッタデッラTeatro Cittadellaがあったが、1851年4月21日に火事で焼失した。当時の市長カルロ・リトルニCarlo Ritorniは、新しい劇場の建設を建築家のカルロ・コスタCarlo Costaに委ねた。その劇場は以前の劇場より大きく、豪華な建物で、市の中心に位置し、記念の建築物となった。劇場の着工は1852年で、1857年4月21日に完成したが、この日はくしくも前の劇場が焼失した日だった。

新しい劇場Teatro Comunitivo(その後Teatro Municipale)は、地元レッジャーノの作曲家ヴィットリオ・ピサー二Vittorio Pisaniの作品である"アキーレ・ぺリAchille Peri"で開場した。壮麗な建物であるテアトロ・ムニチパーレTeatro Munmicipale(1980年、レッジャーノ出身の俳優ロモロ・ヴァッリRomolo Valliに因みロモロ・ヴァッリと名づけられた)の内部の面積は3,890平方メートル。メインの正面玄関と階段には花崗岩が使用され、イオニア風の12本の柱が支えている。正面の頂上には14の像が置かれているが、これらを製作したのはレッジョの彫刻家ベルナルディーノ・カテラー二Bernardino Catelani、イラリオ・ベロッティIlario Belotti、アッティリオ・ラバーリャAttilio Rabagliaなどであった。1995年には修復工事が行われ、1999年に完了した。
隣の街モデナ出身のルチアーノ・パバロッティLuciano Pavarottiは、1961年この劇場で「ラ・ボエームLa Boheme」のルドルフォを歌ってその偉大なキャリアの第一歩を踏み出した。

私はイタリアだけで約40以上の劇場を訪れているが、生涯で一番美しいと思った劇場は、焼失する前のヴェネツィア・フェニーチェ劇場だった。もし私に「現在イタリアで最も美しい劇場は何処ですか?」と質問されたら、ここレッジョ・エミリアのテアトロ・ムニチパーレ・ロモロ・ヴァッリと答える。それほど劇場内を照らす照明と装飾が美しい。
私は2005年の4月にクラウディオ・アッバード指揮の「魔笛」をこの劇場で見た。ザラストロがマッティ・サルミネン、タミーノがクリストフ・ストレール、パパゲーノがニコラ・ウリヴィエリ、夜の女王がイングリッド・カイゼルフェルトというキャストで、演出はアッバードの息子のダニエル・アッバードが担当した。
チケットは、普通は50ヨーロ位の平土間の席が4倍の200ヨーロに跳ね上がった。私はパルコ4階の席で見たが、アッバードの指揮は流麗で、モーツァルトのロココの音楽を心憎いまでに表現していた。カラヤンやベームの指揮したモーツァルトのオペラをウィーンで見たり、ペーターシュライヤーがタミーノを歌い、若い時のグルべロヴァが夜の女王に出演した「魔笛」なども見たが、アッバードの指揮した「魔笛」が生涯最高のモーツァルトだった。
特に驚いたのは、ダニエル・アッバードの演出。中でも第3幕でタミーノとパミーナが一緒に天上を歩いているように描いた美術とアイデアに脱帽した。この場面、普通の演出だと少しだれるのだが、アッバードの演出は最後まで人を惹きつけていた。
オペラ終了後の観客の反応も凄かった。かってこれ程この劇場が興奮した事があったかと思うほど花束が飛び交い、ブラボーが止まなかった。

2006年の春、この劇場ではモーツァルト生誕250周年を記念して、モーツァルトのオペラが3本(「フィガロの結婚」「コジ・ファン・トゥッテ」「ドン・ジョヴァンニ」)が上演される事になった。そして、すべてをダニエル・アッバードが演出するという。彼の演出した「魔笛」があまりにも素晴らしかったので、私はこれを見る事にした。
私が見た3本のオペラは、詳細を書くほどの演奏でもなかったので省くが、指揮はヨナタン・ウェッブ、3つの舞台は同じ装置を使って上演された。中央に幅の広い大きな板が左少し斜めに置いてある。歌手は大体この上に乗って歌うか周辺で歌う。そしてこの板の上に大きなパネルがある。これに海、古代ギリシャ、波などの映像を映し出す。時には人間の顔、彫刻なども映す。服装は全部平服。こうなると伯爵夫人も女中も区別がつかない。裸になるとみんな同じである。だからローマ法王は人々の前に出る時は法衣を身に着けるし、警察官は制服を着る、女王は王冠を被り、美しい服を着るのである。ダニエル・アッツバードは、父親の公演の時はあれ程才能溢れる演出をしたのに、今回は全く期待外れだった。最もオペラのチケット代も3分の1だったので仕方ないと諦めた。

住所: Piazza Martiri del 7 luglio
Tel: 0522 458811

●テアトロ・アリオスト Teatro Ariosto
テアトロ・アリオストはテアトロ・ムニチパーレと同じ広場にあり、後ろは広大な緑豊かな公園になっている。このテアトロが建設される以前、レッジョ・エミリアにはアントニオ・クジー二Antonio Cuginiによって1740年から1741年にかけて建設されたテアトロ・チッタデッラがあった。テアトロ・ムニチパーレのところで述べたが、1851年に火事にあって破壊され、その後1878年にレッジョ・エミリアの個人的な社会組織がプローザや馬のショーなどを見せる多目的ホールとしてこの劇場を建設した。1927年には、アンセルモ・ゴッビアAnselmo Gobbiaによって後期アールヌォーヴォスタイルのフレスコ画で装飾された。クーポラにはアリオストの名作「オルランド・フリオーゾ」の一場面が描かれている。
現在この劇場ではロッシーニの小品やプローザなどが上演される。なお劇場は、1474年にレッジョ・エミリアに生れた偉大な詩人ルドヴィコ・アリオストLudovico Arisoto に捧げられ、この名が付いている。

私は2001年3月にこの劇場でロッシーニのオペラを3本見た事がある。「ブルスキーノ」「結婚手形」「絹のきざはし」の3本で、3日連続テアトロ・アリオストで上演された。
「ブルスキーノ」は、歌手が誰だったかなど忘れたが、日記には演技も面白く、歌手もファルサの雰囲気がよく出ていて、立派な公演だったと書いてある。当時は入場料金が20000リラ(約1200円)だったというから、今は3倍くらいに跳ね上がっている。
翌日見た「結婚手形」は、工事現場のような舞台だったが、どの歌手も出来はよく、大人同士の喧嘩、ベートーベンの月光の曲、モーツァルトの魔笛などが歌われ、子供のバレリーナが喧嘩したりと何でもありの舞台だった。「絹のきざはし」については、パリの設定のはずが魔笛を思わせるメルヘン調の舞台で、森の中に設定を置き換えてしまい、アメリカの音楽、映画音楽などが登場し、ロッシーニの音楽の本質を捻じ曲げていると思った。
座席数は780席。

住所: Piazza Martiri del 7 Luglio
Tel: 0522 458811
*この劇場のチケットなどの販売は、テアトロ・ムニチパーレで行われている。

●プランポリーニ広場 Piazza Prampolini
グランデ広場Piazza Grandeとも呼ばれる大きな広場で、18世紀の市庁舎Palazzo del Comune、ドゥオーモDuomoなどの主要な建物が広場に面して建っている。市庁舎内には三色旗の間Sala del Tricoloreがある。
この場所は1797年にエミリア地方の各都市が集まって会議が開催された場所で、チスパーダ共和国が宣言され、その時三色旗が共和国の旗として選ばれた。これが統一後のイタリアの国旗になった。この広場では市の行事、メルカートなどが開催される。

●ドゥオーモ Duomo
創建は9世紀。13世紀に改築され、その後何度も修復が繰り返された。内部にはスパリーニとソンガーリの制作した沢山の墓碑があり、美しい彫刻が見られる。第4礼拝堂にはグエルチーノガ描いた「聖母被昇天と諸聖人」、右翼廊から昇る階段にアンティラミの浮彫りがある。

●市立総合博物館 Musei Civici
内部には複数の博物館が集まっている。スパラッツィーニ博物史博物館には自然科学分野のラザッロ・スパランツィーニLazzaro Spallanzianiの蒐集したコレクションと、哺乳類、鳥類、鉱物学などの展示がある。
キエリチ先史民族博物館には、先史、原始、古代ローマ時代の考古学コレクションがある。他に宝石を集めた宝石彫刻陳列室、地元の画家が描いた作品を集めたアントニオ・フォンタネージギャラリーもある。

●パルメッジャーニ美術館 Galleria Parmeggiani
元来は個人のコレクションで、15世紀から19世紀の英国、スペイン、フランドル、イタリア派の絵画を有する。他に金細工、武器、衣装の布地の展示などがある。

●マドンナ・デッラ・ギアラ聖所記念堂 Santauario della Madonna dell Ghiara
17世紀に建築された教会で、3連窓と3つの扉口のある荘厳なファサードを持っている。内部のギリシャ十字のヴォールトは、ボローニャ派のルカ・フェラーリ、アレッサンドロ・ティアリーニ、リオネッロ・スパーダらの描いた絵画で装飾されている。左翼廊の祭壇にグエルチーノの描いた「十字架のキリスト」(1624年)がある。

レッジョ・エミリア データ

お薦めホテル
★Albergo della Notarie 街の中心にある4つ星ホテルで、劇場にも近い。
Via Palazzolo 5
Tel: 0522 453500 Fax: 0522 371295 E-mail:notarie@albergonotarie.it

★Grand Hotel Astoria Mercure 劇場近くの公園に面した場所にある4つ星ホテル
Viale Nobili 2
Tel: 0522 435245 Fax: 0522 453365 E-mail:prenotazioni@mercurehotelastoria.com


★My Hotel Scudo di Francia 私のよく泊まる4つ星ホテル、値段も安いがお風呂もある。
Stradone del Vescovado 5
Tel: 0522 406173 Fax: 0522 406205 E-mail:myhotelsscudodifrancia@venere.com


お薦めレストラン
☆Delle Notarie ホテルNotarieの中にあるレストラン、味もよい。
Via Aschieri 4
Tel: 0522 453700



牧野宣彦さん連載記事の載った
月刊サッカー専門誌『CALCIO2002』

イタリアサッカー界の話題が満載の月刊サッカー専門誌『CALCIO2002』(カルチョ2002)に、現在、牧野宣彦さんが連載記事をご執筆中です。

牧野宣彦氏より
今月号は永遠の都、ローマの世界遺産について書いています。
是非お読み下さい。

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イタリア各地の写真の貸し出しサービスを始めることになりました。

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ご周知のように、イタリア現地でのオリジナル写真撮影には多額の経費がかかります。またせっかく訪れても、主要な建物も修復中ということがよくあります。さらに、現地に撮影に行っても、天気など色々な問題があり、簡単には思い通りの写真撮影が出来ないのが現状です。例えば現在ミラノのドゥオーモは修復中です。
JITRAには長い間撮影した膨大な写真のストックがあります。イタリアの主要都市、地方都市の風景は勿論、世界遺産、劇場、料理、祭りなど多くのジャンルに渡って写真のリストがあります。ご希望の方には、本サービスの詳細および料金などをご案内いたしますので、下記メールまで、お問い合わせください。
☆お問い合わせ先: foto@japanitalytravel.com


著者プロフィール

牧野宣彦(まきののぶひこ)


早大卒。1974年旅行会社にて日本初のニューイヤー・スカラ座オペラツァーを企画。その後コンピュータ会社を経て、1998年によりイタリア、ボローニャ在住。フリーのトラベルライターとして、旅行、音楽、グルメ関係の執筆、写真撮影をする。 2003年オーストリアのエリザベート皇妃、2004年ゲーテのイタリア紀行、2005年モーツァルトのイタリア旅行とオーストリア、2006年はイタリアの世界遺産など毎年テーマを決めて写真撮影を行っている。著書「イタリアの歴史的ホテル・レストラン・カフェ」(三修社)、「イタリアオペラツァー」(あんず堂)「イタリアのベストレストラン」(透土社)「音楽と美術の旅、イタリア」(共著、音楽之友社)などがある。





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