JAPANITALY Travel On-line

イタリア旅行情報サイトJAPAN-ITALY Travel On-line
読み物・エッセイ  イタリア 音楽の旅
15 novembre 2006

第39回 ローマからナポリへ

モーツァルトのイタリア旅行 (8)


牧野 宣彦
●オペラの中心地だったナポリ
モーツァルト父子は最初1770年5月12日にローマを出発する予定だったが、予定を4日早めて5月8日に出発した。これは当時ローマからナポリへの街道で殺人事件があったというニュースを聞いたからだった。恐ろしくなったレオポルトは、アウグスティーノ修道会士4人と一緒に行く方がより安全だと判断した事による。
レオポルトにとってナポリを旅行するという事は、重要な意味を持っていた。彼はミラノ滞在中に送った妻への手紙でこう書いている。
「ローマが滞在しなければならない場所である事はお前も知っての通りです。それからナポリへ行きますが、此処はとても重要で、ミラノでオペラを作曲する契約書が撤回されでもしたら、この土地に今度の冬中私達を引き留めるような機会が生じるかもしれないのです。」

1770年代のナポリといえば、世界のオペラの中心地だった。フィレンツェに誕生したオペラは、ヴェネツィアを経由して18世紀になるとナポリで黄金時代を迎えた。それを支えたのが通称ナポリ音楽院と1737年に開場したサン・カルロ劇場だった。この時代ナポリにはA.Scarlatti(1660〜1725)、Nicola Porpora(1686〜1768)、Leonardo Vinci(1690〜11730)、Frencesco Feo(1685?〜1761)、)Leonardo Leo(1694〜1744)、Pergoresi(1710〜1736)などの作曲家が活躍しナポリオペラの黄金時代を形成していた。ナポリ派のオペラはフランスを除くドイツ、ザルツブルク、ウィーンなどでも上演され、父子がヴェローナやマントヴァで見たオペラもナポリ派の流れを汲むものだった。このナポリオペラの拠点を、レオポルトは息子ヴォルフガングに直に体験させたかったに違いない。

ローマを発った一行は最初、ローマ南東25キロにあるアルバーノ湖のほとりのマリーノ・アウグスティノ修道会で昼食を取った。その後、古代ローマ時代に建設されたアッピア街道を通り、港町テラチーナへ行き、それから海岸線に沿って南下し、内陸のセッサ、カープアを経てナポリへ到達するという約230キロの旅行であった。同行するアウグスティノ修道会士と寝泊りしながらの旅行は5月14日夕刻に終了した。
モーツァルト父子がナポリに着いた時泊まったのは、アウグスティノ修道会修道院サン・ジョヴァン二・カルボナーラであった。この教会は今でもナポリの駅の近くにあり、2003年に私もここを訪れたことがある。
その後、父子は予約済みのホテルに移動した。月決めで銀貨10ドゥカート、ドイツ金貨で4ドゥカーテンという高額な宿舎だった。移った当日ザルツブルクにも来訪した事のあるフリードリーン・チューディ男爵に招待され食事をする。翌日の17日にはリヨンで会ったムリコッフルという商人に再会した。この人物は1787年ゲーテがナポリに滞在した時、世話をした人物である。

写真左:モーツァルト父子が宿泊したサン・ジョヴァンニ・カルボナーラ教会
右:ナポリのヌオーヴォ城

18日にはヴェスヴィオ火山の麓の街ポルティチでナポリ王国宰相ベルナルド・タヌッチ侯爵に面会する。侯爵邸には20日も再訪した。ポルティチの街にはブルボン家のカルロが1738年に建てた美しい離宮があり、またフランスの作曲家オベールはオペラ「ポルティチの物言わぬ娘La Muette de Portici」を作曲している。ポルティチに着いた18日の夜には、英国公使ハミルトン卿の邸を訪問する。このハミルトン卿は芸術愛好家として名高く、ゲーテも「イタリア紀行」で彼の事を何回か書いている。
レオポルトの旅の覚書では2名の音楽家を除いて全て貴族との交流であったが、実質的に収入につながるものはなかった。5月28日にカウニッツ邸で開催された音楽会と、6月3日精霊降臨祭にフランス大使館で開かれたマリーアントワネットとルイ王子の婚礼祝賀大舞踏会くらいだった。

●ナポリで出会った音楽家
一方音楽の方の収穫はどうであったのだろうか。
モーツァルト父子がナポリを訪れた時、サン・カルロ劇場ではナポリ派の巨匠二ッコロ・ヨメッリNiccolo Jommelliの「見捨てられたアルミーダArmida Abbandonata」が舞台にかけられようとしていた。モーツァルトは書いている。「30日にヨメッリが作曲したオペラが始まります。(中略・・・) オペラ劇場では、デ・アミーチスが歌っています。僕たちは彼女の家に行きましたが、僕たちの事をすぐわかりました。第二オペラはカファッロが、第三オペラはデ・マイヨが作曲しますが、第四オペラはまだわかりません。」(モーツァルト 5月19日付け)

二コッロ・ヨメッリはモーツァルトがイタリアへ来る前にドイツ、英国、フランスなどを旅芸人のように演奏旅行していた時、シュトットガルトのヴュルテンベルク大公宮廷で宮廷楽長を務めており、大公カール2世オイゲン公から信頼が厚かった。レオポルトはその名声を知っていた。そのヨメッリが1769年に故郷ナポリで最後の花を咲かせるべく作曲したのが、この「見捨てられたアルミーダ」だった。モーツァルトはリハーサルまで見に行く。「一昨日ヨメッリさんのオペラの稽古に行きましたが、それはよく書けたオペラで、僕は本当に気に入りました。ヨメッリさんは僕たちに話しかけて来ましたがとっても丁寧な人でした。」モーツァルト5月29日付け。
そして初演後モーツァルトは「当地のオペラはヨメッリのもので、綺麗ですが、あまりにも如才なさすぎ、劇場には流行おくれです。デ・アミーチスはとても素晴らしく歌いますが、アプリーレも同様です。彼はミラノで歌いました。バレエはとても惨めですが、華やかで劇場は立派です。」モーツァルト6月5日付け。

モーツァルトが書いたオペラの批評はたったこれだけあったが、彼はナポリオペラが終焉する様をこのヨメッリのオペラで見てとった様な気がする。ヨメッリは、この「見捨てられたアルミーダ」が失敗した後、再起をはかって1771年「タウリスのエウゲネーア」を作曲し、舞台にかけるが、これも聴衆を熱狂させる事はなかった。気落ちした彼はポルトガルのリスボンの宮廷楽長の椅子を蹴ってナポリ近郊の故郷アヴェルサに隠遁し、3年後の1774年に世を去ったのである。

モーツァルトがナポリで出会ったもう一人の音楽家はジョヴァンニ・パイジェッロGiovanni Paisiello(1740〜1816)だ。彼は当時最も光り輝いていた作曲家で、当時はテアトロ・ヌォーヴォで「ゼーミラまたはグラナッテロの海辺」というオペラを舞台にかけるべく準備をしていた。そのパイジェッロとは10数年後、モーツァルトはウィーンで再会するのである。


写真左:インマコラテッラの泉
右:ポンペイ

●観光に明け暮れたモーツァルト父子
ローマでは交響曲をはじめかなりの作品を作曲したモーツァルトだったが、ナポリでは一曲も作曲していない。演奏会も一度だけでオペラも2回しか見ていないのをみると、ナポリの滞在が音楽的にあまり収穫をもたらさなかったのがわかる。
その代わり彼らはナポリを再訪する事がないと思ったのか、色々な場所に観光に行っている。ヴェスビオ山の噴火で埋もれたポンペイ、エルコラーノの遺跡なども18世紀中ごろから発掘作業が始まり、既に公開されていた。ナポリ近郊の街で作曲家ペルゴレージが亡くなったポッツォーリ、そこから船でバイヤへ行き、そこでネロの浴場、クーマにある巫女(シビッラ)の洞窟、アヴェルノ湖、ヴィーナスの神殿、ダイアナの神殿、アグリピーナの墓、フレグレイ高原、カローンが船頭だった死海、ピッシーナ・ミラビレ、チェント・カメレルレ、アニャ―ノ湖などを見て、帰りには古代浴場、神殿、地下の部屋、ポッツォーリの堤防、噴火口、リ・アストロー二、円形劇場、バルバロ山、ポッツォーリの洞窟、ヴェルギリスの墓などを見た、と記している。

ナポリ西方に広がるポッツォーリ湾の周辺には無数の古代遺跡や天然の珍しい景色が点在しているが、父子はその殆どを見学した。彼らの古代遺跡を訪ねる情熱は現地の案内した船乗りも驚くほどのものだったという。「こうした古代の遺跡を見物にやってくるこんな若い子供は、ここでは見た事がない」という程だった。別の手紙でレオポルトは「今日は、サン・マルティーノの丘の上のカルトジオ修道院で昼食を取り、食後、この珍奇な物や宝物を眺め、またそこからの素晴らしい眺望に感心しました」と述べている。叉レオポルトの別の手紙によると、彼らはカゼルタ、カーポ・ディ・モンテ美術館なども見ている事が記されている。

こうしてモーツァルト父子は観光に明け暮れた日々を過ごした。出発予定の6月20日は同行予定のカウニッツ伯爵の準備の都合で日が延びたものの、父子は伯爵より1日早く1770年6月25日にローマへ向けて出発した。早馬便を乗り継いで約230キロの距離を27時間で走破してローマに着いた。
レオポルトは6月27日付けの妻への手紙ではローマに元気に到着した事を書いているが、6月30日付けの手紙ではローマに到着する前の最後の宿場で、御者のミスで2輪馬車が転倒し、レオポルトはモーツァルトを庇うために自分の足の脛骨が半分、指の幅程裂けてしまう重傷を負ってしまった事を明かしている。この傷はかなりの重傷でレオポルトを悩まし、それ以後のモーツァルトの滞在日程も変更を余儀なくされた。そしてモーツァルト父子は、ローマで栄誉に浴した後、イタリアの中部を縦断する旅に出発するのだった。

データ

ナポリのお薦めホテル
★Renaissance Naples Hotel Mediterraneo 最近改装されたホテルで、レストランからはナポリの パノラマを見ながら食事が出来る。劇場にも遠くない。
Via Nuova Pontedi Tappia 25
Tel:081 7970001 Fax:081 2520079
E-mail:info@mediterraneonapoli.com


お薦めレストラン
★Ciro a Santa Brigida 1930年創業の歴史的レストラン、ピザ、魚介料理などが味わえる。指揮者のトスカニーニ、レナータ・テバルディ、マリア・カラス、イングリッド・バーグマン、マリオ・デル・モナコ、ピランデッロ、ダヌンツィオなどが訪れた。
Via Santa Brigida 71 73a 74
Tel:081 5524072
URL:www.ciroasantabrigida.it


牧野宣彦さん連載記事の載った
月刊サッカー専門誌『CALCIO2002』

イタリアサッカー界の話題が満載の月刊サッカー専門誌『CALCIO2002』(カルチョ2002)に、現在、牧野宣彦さんが連載記事をご執筆中です。

牧野宣彦氏より
12月はミラノのスカラ座の開幕です。今回の『カルチョ2002』には、そのスカラ座について書いています。是非お読みください。

著者プロフィール

牧野宣彦(まきののぶひこ)


早大卒。1974年旅行会社にて日本初のニューイヤー・スカラ座オペラツァーを企画。その後コンピュータ会社を経て、1998年によりイタリア、ボローニャ在住。フリーのトラベルライターとして、旅行、音楽、グルメ関係の執筆、写真撮影をする。 2003年オーストリアのエリザベート皇妃、2004年ゲーテのイタリア紀行、2005年モーツァルトのイタリア旅行とオーストリア、2006年はイタリアの世界遺産など毎年テーマを決めて写真撮影を行っている。著書「イタリアの歴史的ホテル・レストラン・カフェ」(三修社)、「イタリアオペラツァー」(あんず堂)「イタリアのベストレストラン」(透土社)「音楽と美術の旅、イタリア」(共著、音楽之友社)などがある。





アート・カルチャー・イタリア語 イタリア 音楽の旅
アート・カルチャー・イタリア語 アルキーヴィオへ このページのTOPへ HOME PAGEへ


http://www.japanitalytravel.com
©  JAPANITALY.COM srl - MILANO 2000 All rights reserved.
月5回発行、
JITRAメルマガ
登録はここから!

メ-ルアドレス入力

メルマガ案内