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15 settembre 2006

第37回 ボローニャからフィレンツェへ

モーツァルトのイタリア旅行 (6)

牧野 宣彦

●「フィレンツェ、人はここで生き、ここで死ぬべきです。」 先を急いでいたモーツァルト父子がボローニャを去り、フィレンツェへ旅立つのは1770年3月29日であった。現在ではボローニャからフィレンツェは約107キロの距離だが、モーツァルトの時代は馬車でアペニン山脈にある900メートル級の二つの峠を越えて行かなければならなかった。パッソ・ディ・ラティコーサ(P.D.Raticosa)とパッソ・ディ・フータ(P.d.Futa)である。

フィレンツェとボローニャでは気温が3度から5度は違う。モーツァルト父子の行く手には、雨と強風が待っていた。父子は苦労しながら2日かかってフィレンツェに到着した。レオポルトは妻に書いている。「3月30日我々は夜、幸いにしてフィレンツェに到着し、31日ヴォルフガングは一日中、昼食時までベッドに入っていました。なぜなら山越えの際の雨と強風で少し風邪をひいたのです。彼にお茶とすみれ汁を与え、少し汗をかかせました。・・・・
・・・次の金曜日には、ローマに到着するために、出発しなければならず、とても気が滅入っています。お前が、フィレンツェそのものや近郊全体、それに街の状況を見れたらと思うのです。きっとお前は言うだろう。人はここで生き、そして死んでゆくべきであると。私はこの一両日中、見るべきものを全て見ておくつもりです。」1770年4月3日レオポルトより妻へ

モーツァルト父子がフィレンツェで宿泊したホテルは、レオポルトの覚書ではAlbergo dell’Aquila「鷲亭」となっているが、学者の説ではdell’Aquila のあとにNeraをつけ「黒鷲亭」とされている。
フィレンツェのシニョーリ広場からオン二サンティ教会に行く道は、重厚なバロックの雰囲気のする少し黒くすすけた建物が立ち並んでいる。その現在のVia Borgo Ognissanti 8番地にモーツァルトの宿泊した黒鷲亭がある。現在も建物の入り口などは美しい装飾模様が見られる。細い階段を上がって行くと3階に3ツ星のホテルゴルドーニGoldoniがあった。


写真:ホテルゴルドーニ

●花の都、フィレンツェ
フィレンツェは花の都である。それは文化という花が人類史上最大に咲き誇った街であるからだ。
15世紀のフィレンツェはメディチ家の財力がピークに達して、ミケランジェロ、ボッティチェリ、ギルランダイオ、ベロッキオなどの優れた画家、建築家、彫刻家などが集まり、偉大な作品を制作した。現在ウフィツィ美術館、ピッティ宮殿や多くの教会などで沢山の作品を目にする事が出来る。また、特にドゥオーモDuomo、ヴェッキオ宮殿Palazzo Vecchio、シニョーリ広場Piazza Signori、ポンテヴェッキオPonte Vecchioなどの周辺は、今でもルネッサンスの雰囲気が漂っている。

街の南東にあるミケランジェロ広場Piazza Michelangeloからのパノラマは、花のサンタ・マリア・フィオーレのドーム、ジョットーの鐘楼を取り囲むように赤茶けた屋根が広がり、手前にアルノ川が流れ、ポンテ・ヴェッキオが見え、彼方に雪を被ったアペニン山脈が輝いている。ここからの風景はフィレンツェの偉大さ、美しさを最も実感できる場所だが、モーツァルトが訪れた18世紀後半のフィレンツェは、まだこのミケランジェロ広場は存在していない。この広場が出来るのはイタリアが統一され、フィレンツェが一時イタリアの首都になった後の1875年、都市計画の専門家G.Bossiがフィレンツェの景観を見せるために建設したものなので、モーツァルトはこの景色は見ていない。しかしレオポルトは余程この町に深い印象を受けたらしい。フィレンツェで書かれた唯一の手紙の中で「人はここで生き、ここで死んで行くべきである。」と書いているのを見るとフィレンツェがいかにレオポルトの心を捉えたかが偲ばれる。
この時代のフィレンツェは、オーストリア・ハプスブルク家のマリア・テレジアの第3皇子レオポルトがトスカーナ大公であり、支配していた。

写真左:シニョーリ広場、右:ドゥオーモ

●フィレンツェでの演奏会
1770年3月30日夜フィレンツェに到着した父子は、翌日風邪を引いたヴォルフガングは休息を取り、その翌日オルシーニ・ローゼンベルク伯Franz Xaver Wolfgang Orsini-Rosenbergを訪問した。そこには既にモーツァルトの噂を聞いた50名の人々が集まっていた。モーツァルトはすぐ控えの間に通された。フィルミアーン伯爵からの紹介状が威力を発揮したのと、ボローニャのパラヴィチー二家の賓客であり、その時のコンサートの主賓であったカウニッツ伯爵がモーツァルト父子よりも1日早くローゼンベルク家に来て、モーツァルトが来る事を知らせていたのだった。
このローゼンブルク伯爵は当時トスカーナ大公国の宮内大臣であり、後に侯爵、そしてウィーン宮廷の演劇長官にもなり、モーツァルトの後期のオペラ作品の上演に関わる事になる。ローゼンベルク伯爵は大公の侍従長サルヴァーティ公爵に使いを送り、父子はその日のうちにレオポルト大公に謁見が叶ったのであった。日曜日だったので宮廷礼拝堂でミサがあり、その後大公に会う事が出来た。モーツァルト父子はレオポルト大公とは既にウィーンで一度会っている。大公は姉ナンネルの事を尋ねたり、父子と15分間語り合った。

翌日の4月2日モーツァルト父子は大公の夏の離宮ポッジョ・インペリアーレPoggio Imperialeに招かれ、演奏会が開催された。ポルタ・ロマーナから続いている道Viale Poggio Imperialeは少しなだらかな坂道になっており、それを登って行くと大きな建物が見える。これが離宮である。現在は女性の教育機関Collegio della SS.Annunciataになっている。建物の外壁にモーツァルトがこの場所で1770年の4月2日に演奏した事が書かれた碑があった。

私は一人の男性に、モーツァルトが演奏した部屋を撮影させてほしいと言ったら、最初は手紙で申し込みし、許可をとってからでないと駄目だなどと言われたが、女性の責任者の部屋に案内され、結局内部を案内された。
最初に通されたのがBiancoの間という大きい部屋だった。上からは美しいシャンデリアが垂れ下がり、壁などに彫られている浮き彫りや彫刻などもいかにも富裕な貴族に相応しい美しい部屋だった。此処はかなり大きく、現在でもコンサートホールとして利用されている。この場所でモーツァルトが演奏したと本などで読んでいたので、案内の人に聞いてみると、実際は別の部屋で、Sala Mozartと呼ばれる部屋があり、モーツァルトはその小さい部屋、天井にはフレスコ画があるこぎれいなサロンの方で演奏したらしい。
ボローニャのパラヴィチー二邸を見学した時も、モーツァルトが演奏した部屋はその邸の一番大きな立派な部屋というわけではなかった。当時の人にとってモーツァルトは確かに天才少年であったが、現代人がモーツァルトの名前を聞くと尊敬と畏敬の念を持つほどには、評価されていなかったのではと思った。
写真左:ポッジョ・インペリアーレ、右:モーツァルト



●ヴァイオリンの神童リンリとの共演
4月2日の演奏会は、ボローニャのアッカデミア・フィラルモニカの会員で、「イタリア一の対位法の権威」といわれたリニヴィッレM.E.Lignivilleが主催し、その彼からモーツァルトは難解な対位法や読譜の問題を試された。モーツァルトは、ルオポルトの言葉を借りれば「ひとかけのパンをかじるように弾き」、来客達から絶賛を浴びたといわれる。
当時のフィレンツェで発行されていたトスカーナ新聞(Gazzetta Toscana 1770年4月7日付)にこの夜の演奏会の事が掲載されている。同じ紙面には、モーツァルトと同年の英国のヴァイオリンの神童とうたわれたトマス・リンリTomas Linleyと共演した事も書かれている。モーツァルトがピアノ演奏をしていた時、リンリはヴァイオリンで伴奏をしてくれた。4月3日に2人の神童は出会い、時々抱擁しながら一晩中音楽について語り合いながら演奏した。翌日の午後もモーツァルト父子の泊った黒鷲亭でも2人は合奏した。
4月5日大公家の財務管理人ガヴァールに昼食を招待される。ここでも2人は交互に演奏しあった。モーツァルト父子はイースターのヴァティカンで演奏されるミゼーリを聞くために先を急がなければならず、翌日にはローマに向け出発しなければならないと聞いたリンリは泣き出してしまう。

4月6日朝9時、詩人のコリッラCorilla夫人(2人は夫人の邸で会った)に書いてもらった惜別の詩を携えてリンリはやって来た。2人は何度も抱き合い、リンリはモーツァルトをフィレンツェの市の城門まで見送った。モーツァルトは再訪したボローニャから1770年9月10日、この友人にイタリア語で友情溢れる手紙を出している。しかし運命の糸は二人をあいまみえさせなかった。リンリは英国に戻り、作曲家、指揮者として活躍するが、残念な事に1778年不慮の事故で亡くなっている。享年22歳という若さであった。

このモーツァルトの出発日に関しては、4月7日にフィレンツェを発ったという説もある。しかし父子の辿った日程を吟味すると4月6日の方が無理ないように思える。
ローマへの、シエナSiena・オルヴィエートOrvieto・ヴィテルボViterboを経由する5日間の旅は、モーツァルト父子にとっては辛くて苦しい馬車の旅となった。


データ

フィレンツェのお薦めホテル
★Goldoni 
モーツァルトが泊った黒鷲亭の場所にあるホテル、ポンテ・ヴェッキオにも近い。3ツ星
Via Borgo Ognissanti, 8
Tel:055 284080 Fax:055 282576
E-mail:info@hotelgoldoni.com


お薦めレストラン
★Trattoria Armando
モーツァルトが泊ったホテルに近い。800グラムのビステッカが食べられる。
Borgognissanti, 140r
Tel/Fax:055 21 62 19
URL: http://www.trattoria-armando.com



新刊書のご案内
図説「モーツァルト その生涯とミステリー」  後藤真理子著




私の友人の後藤真理子さんがモーツァルト生誕250周年を記念して、河出書房新社から「図説モーツァルト その生涯とミステリー」という本を出版しました。この中には、私がウィーン、イタリア、ザルツブルクなどで撮影した110枚の写真も使用されています。是非JITRAのモーツァルトのイタリア紀行をお読みになっている読者の方にお薦めします。



イタリアオペラチケットサービスのご案内(2006〜2007)
スカラ座 イタリアオペラチケットサービスでは、団体、個人の人向けにスカラ座、その他の劇場で本当にオペラを見たい人のために、チケットを予約する代行サービスを行っています。今年は既に50名以上の方のご利用をいただき感謝致しております。
当方では、ミラノ、ボローニャ、ヴェネツィア、ナポリなどJITRAで紹介している全ての劇場の他、その他の劇場のチケットの手配も行っていますので、イタリアの劇場で団体あるいは個人でオペラをご覧になりたい方や旅行会社などの方にもご利用いただけます。
但し、チケットの手配についてはスカラ座一枚5000円、他の劇場一枚4000円の手数料がかかります。日程、キャストなどの詳細については、チケット手配の注文をいただいてからお調べしてご連絡します。

* 現在イタリアの劇場のチケットを取るには、パスポートの番号、生年月日などに関する個人情報、またクレジットカードの種類、番号、セキュリティコードなどの情報が必要です。これがないと予約できません。個人の情報については、そのチケットを確保する時にだけ使用し、秘密が他に漏洩したり、他の目的に使用される事は絶対ありませんが、もしそれらの情報を知られる事に不安を持たれたり、ためらわれる方は、最初からお問い合わせをご遠慮下さい。

* またオペラのチケット売り出しには時期があり、ミラノスカラ座は演目の始まる2ヶ月前、また、他の劇場は半年くらい前から行われますので、日程が既に決まっている方は早めにご連絡いただければ幸いです。

2006年から2007年の主な演目はまだ発表されているところは少ないですが、次のようなものがあります。
★スカラ座 10月「ドン・ジョヴァンニ」、12月 シャイー指揮「アイーダ」、1月〜2月「マダマ・バタフライ」、2月〜3月「連隊の娘」(フローレス出演)
★ボローニャ 1月「ラ・ボエーム」、2月〜3月「ボリス・ゴドノフ」、4月〜5月「アルジェのイタリア女」、6月「ファルスタッフ」、9月「マイフェア・レディ」
★ジェノヴァ 11月「魔笛」、1月「ドン・パスクワ―レ」、2月「3つのオレンジの恋」、2月末〜3月「パリアッチ」「カヴァレリア・ルスティカーナ」、3月「妖精ヴィッリ」(チェドリンス、ホセ・クーラ出演)、3月〜4月「ジュリオ・チェザーレ」、4月〜5月「運命の力」
★トリノ 10月「トゥーランドット」、10月末〜11月「鼻」、11月「フィガロの結婚」、12月「魔笛」、1月〜2月「ルサルカ」、3月「カヴァレリア・ルスティカーナ」「オディプス王」、4月「トリスタンとイゾルデ」、5月「愛の妙薬」(フローレス出演)、6月〜7月「エルナー二」
★フィレンツェ 10月「セヴィリアの理髪師」(バルチェローナ出演)
★アンコーナ 2月「ナブッコ」(ディミトラ・テオドッシュウ出演)
★ヴェローナ 2007年夏「アイーダ」「ナブッコ」「ラ・ボエーム」「セヴィリアの理髪師」「ラ・トラヴィアータ」

*詳細については下記にお問い合わせ下さい。

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イタリアオペラチケットサービス
〒261-01 千葉市美浜区幸町1−8−2−1510  
Tel/Fax: 043 246 1571
(日本が不在の場合)
イタリア 
C/O Bortolotti - Cogo
Via San Luca 1
40135 Bologna
Tel/Fax: 051 432425(Italia) 
E-mail:joschuajp@ybb.ne.jp

著者プロフィール

牧野宣彦(まきののぶひこ)


早大卒。1974年旅行会社にて日本初のニューイヤー・スカラ座オペラツァーを企画。その後コンピュータ会社を経て、1998年によりイタリア、ボローニャ在住。フリーのトラベルライターとして、旅行、音楽、グルメ関係の執筆、写真撮影をする。 2003年オーストリアのエリザベート皇妃、2004年ゲーテのイタリア紀行、2005年モーツァルトのイタリア旅行とオーストリア、2006年はイタリアの世界遺産など毎年テーマを決めて写真撮影を行っている。著書「イタリアの歴史的ホテル・レストラン・カフェ」(三修社)、「イタリアオペラツァー」(あんず堂)「イタリアのベストレストラン」(透土社)「音楽と美術の旅、イタリア」(共著、音楽之友社)などがある。
 





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