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15 marzo 2006

第34回 ロヴェレートからヴェローナ、マントヴァへ

モーツァルトのイタリア旅行 (3)

牧野 宣彦


ロヴェレートで充実した日々を過ごしたモーツァルト父子は1769年12月27日75キロ先のヴェローナに向かった。ゲーテはモーツァルトも泊った同じホテルから景勝の地ガルダ湖を回ってヴェローナに入るが、モーツァルト父子はロヴェレートを朝出発し、その日のうちにヴェローナに到着した。今日では夏の音楽祭のメッカになっているアレーナはモーツァルトの時代でも大きな観光的名所だった。父子はこの街に約2週間滞在した。

最愛の姉上へ(1770年1月7日)
「頭が少し変になりました。・・・・さて、ドイツ人の間抜けをやめて、イタリア人の間抜け野郎がはじまります。あなたは予期した以上にイタリア語が出来ますね。殿方たちがやった芝居にはどうして行かなかったの? 僕たちはずっとオペラを聴いています。例えば「イル・ルッジェーロ」という演目、オロンテはブラダマンテの父親、そして国王で(歌うのはアッフェーリ)、バリトンの素晴らしい歌手ですがファルセットを高く転がす時には、無理があります。でもウィーンのティバルディ程悪くない。お元気で!そしていつも愛して」モーツァルトより姉ナンネルへ ヴェローナにて。

「ヴェローナでは7日経って、貴族の方々がやっと演奏会、またの名、アカデミーを催してくれる事が出来、我々はそれに招かれました。というのも連日がオペラの上演だからです。」レオポルト・モーツァルトより妻へ1770年1月7日ヴェローナにて。

現在ユネスコの世界遺産に登録されているヴェローナは、ロミオとジュリエットの悲恋で名高いが、蛇行するアディジェ川沿いに発達した中世の景観が色濃く残る街は、イタリアでも最も人気のスポットである。
モーツァルト父子はサンタ・アナスタシア修道院の隣のホテルドゥエ・トッリ・バリオーニDue Torri Baglioniに泊った。日本語に訳すと2本の塔という意味のこのホテルは14世紀に建てられた貴族の邸だったといわれ、現在は5ツ星で、過去にゲーテ、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ、作曲家のワーグナーなどが泊り、今でもロビーは16世紀のヴェネツィア派の画家ヴェロネーゼが描いた天井画などで飾られた美しい建物である。私も1994年夏ヴェローナに8泊した時、そのうちの4泊はここに宿泊した。その時は元巨人軍の投手江川卓夫妻にロビーで会った。

写真左・中:ジュリエットの家のバルコニーとジュリエットの像、右:ホテルドゥエ・トッリ・バリオーニ
モーツァルト父子の手紙にも書いてあるように、当時ヴェローナでは盛んにオペラが上演され、モーツァルトにとっては、イタリアの歌劇場でオペラを見る初めての経験であった。
息子はオペラの音楽的な批評をしているが、レオポルトはこの音楽的な街で、一日も早く息子の優れた演奏を当地の貴族たちに披露したかったのだろう。父の願いは叶えられ、モーツァルトは1770年1月5日に演奏する事になった。場所はアレーナから遠くない場所にあるアッカデミア・フィラーモニカAccademia Filarmonica、これは、劇場の名前であり、また団体は1543年に音楽サークルとして創設され、1736年に完成した劇場もこの音楽サークルの人たちによって建設された。モーツァルトが演奏したのは1749年に火事で消失した後1754年に再建された劇場だった。内部はオペラなどを上演するロココ様式の劇場とコンサートなどを開催するコンサートホールがある。
私が、劇場を撮影させてほしいと2003年の夏に訪れた時は、劇場を撮影し、その後アカデミア・フィラーモニカのオフィスに行った記憶がある。建物は同じだが、管轄が違っているということで、コンサートホールの方はいまでもアカデミア・フィラーモニカが管理しているので、劇場内の別のオフィスを訪ねると女性が鍵を開けて案内してくれた。

ホールに入ってみると男性が1人ピアノの練習をしていた。この事務所にはモーツァルトの大きな肖像画があった。この肖像画は、モーツァルトがヴェローナの地方高官で音楽愛好家のピエトロ・ルジャーティPietro Lugiatiの依頼で彼の家ルジャーティ邸で描いてもらった有名な肖像画で、赤い服を着たモーツァルトが美しく描かれている。描いたのは祖母がルジャーティ家生まれのダッラ・ローザSaverino dalla Rosaで、現在この場所は、郵便局になっている。
アッカデミア・フィラーモニカの近くにはカフェモーツァルトがあった。本当かどうか疑問だが、創業は1800年代初頭で、モーツァルトがすぐ近くのアッカデミア・フィラーモニカで演奏したので、それに因んで店が出来たという。
モーツァルトはここで初見で「チェンバロ協奏曲」を弾き、その場で4行詩に作曲し、自作のシンフォ二アを演奏し、天才振りを如何なく発揮し、周囲を唖然とさせた。拍手が鳴り止まず、記録によれば当時37キロ離れたマントヴァの地方新聞にもその天才ぶりが書かれ、周囲を驚かせたといわれている。モーツァルトが演奏したのが1月5日で、肖像画は2日後に描かれたのだからその反響が如何に凄まじいものであったか伺い知れる。「絵が描かれ終わり、モーツァルトは昼食後、教会でオルガン演奏をする事になり、馬車で会場の聖トンマーゾ教会に行くと、馬車から降りられない程の群集が取り囲み、身動きも出来ないくらいだったという。裏に回り、やっとの事で中に入り、演奏した後は凄まじい賞讃の嵐に包まれた。」とレオポルトは妻に書き送っている。

カルメル派修道院付属の聖トンマーゾ教会は、アディジェ川にかかるポンテ・ヌォーヴォPonte Nuovoを渡ったところにある。教会の内部は左右に美しい宗教的な祭壇画が描かれているが、天井は木組みや梁になっている。オルガンは正面の祭壇の左脇の高い位置にある。当時このオルガンを演奏した人はオルガンに名前を刻むのが習慣だったという。その中にW.S.Mの文字がある。これはWolfgang Salzburg Mozart のイニシャルといわれているが、危険なので上に行ってモーツァルトのサインをまじかに見る事は現在出来ない。



モーツァルト父子がヴェローナで最大の興味を持ったのものは、ゲーテと同じくローマ時代の円形劇場アレーナだった。2人はここを訪ねている。また父は古代の遺跡に興味があるらしく、古代の博物館を訪ねたり、関連する書物を購入したりしている。
夏に開催されるヴェローナ音楽祭は、80回を越す歴史ある夏の風物詩となったが、去年の6月に見た「ナブッコNABUCCO」が忘れられない。私達が見た時は主役のナブッコを歌ったレオ・ヌッチが生涯でこの役柄を歌った50回目の記念すべき日だった。オペラの全幕が終わった後、舞台にピアノが持ち込まれ、レオ・ヌッチと他の歌手が並び、彼はお客に感謝をこめて挨拶をした。そしてナポリ民謡を数曲歌った。アレーナ全体が一瞬水を打ったような静かな雰囲気に包まれ、その後ヌッチの粋な計らいに割れるような拍手がわいた。私も生涯で沢山のオペラを見ているが、主役の歌手がオペラ公演後にカンツォーネを歌ったのは初めての経験だった。この日のヌッチの素晴らしいナブッコと共に私にとって忘れられない夜になった。

●ヴェローナからマントヴァへ
1770年1月10日モーツァルト父子は、昼にヴェローナを発ち、42キロ先のマントヴァに向かった。5時間かかり、着いたのは午後5時頃であった。着くとすぐ6時に父子は劇場へ直行した。
マントヴァは芸術の保護者として名高いゴンザーガ家が長い間支配し、湖に囲まれた街にはその遺産であるドゥカーレ宮殿、テ宮殿など美術史的に重要な建物が点在している。また、フィレンツェで1597年に誕生したオペラだが、一時マントヴァの宮廷がオペラ芸術の中心になった。理由は、この地にモンテヴェルディMonteverdiが招請され、ヴェネツィアに行くまでの間彼がここで宮廷楽長を勤め、最初のオペラ「オルフェーオLa Favora d'Orfeo」を書き、その後も「タンクレーディとクロリンダの戦いIl Combattimento di Tancredi e Clorinda」などの作品を残したからだ。また、ヴェルディのオペラ「リゴレットRIGOLETTO」は当初フランスが舞台の物語だったが、その後舞台はマントヴァに変更された。マントヴァにはこのオペラに登場するスパラフィチーレの館、リゴレットの家などが現存しているのが面白い。

写真左:マントヴァの町、右:レオポルドが絶賛したテアトロ・シェンティフィコ・ビビエナ
ウォルフガングから姉ナンネルに1770年1月26日
「マントヴァでのオペラは、心地よかった。彼らは「デメートリオ」を演じました。プリマンドンナはよく歌いますが静止したままです。もし彼女が演技せずに、独りで歌っているのを見たら誰も彼女が歌っているとは思わないでしょう。口を開けずに、全てがすすり泣くようです。でもこれは聞くものにとっては別に目新しい事でもありません。第二女性歌手は手榴弾兵のようで、声も力強く、それに彼女は初演であっただけに、本当に歌も悪くありません。第一男性歌手は立派な音楽家で、美しく歌いあげるのですが声が不安定です。彼の名前はカセッリ、第二男性歌手はすでにお年寄りで、僕は感心しません。テノールのもう1人はオットー二といい、歌は悪くありませんが、イタリアの全てのテノールがそうであるように、声を重く持続します。そして彼は私達の良き友人です。もう1人のテノールの名前は知りません。まだ若く、さして非凡ではありません。第一男性バレエダンサー、上手。第一バレリーナ、彼女は決して犬ではありませんが、僕は彼女をまじかで見たわけではありません。その他は普通です。1人の道化役がいて、とてもよく跳ねますが、猪がおしっこをする様と、僕が書くほどでもないのです。」

レオポルトは、テアトロ・シエンティフィコTeatro Scientificoに行った印象を次のように妻に書き送っている。

レオポルトより妻へ1770年1月11日マントヴァにて
「10日の昼にヴェローナを発ち夜にマントヴァに着いた事は、思うにもうお前には記したはず。アッカデミアがあった。つまり?アッカデミア・フィラモニカ?の小劇場をお前も見れたらと思ったものです。私の人生の中でこのタイプでこれ以上の美しさを見た事がありません。これはお前が手紙を皆律儀に保管してくれると思うから、これはもう劇場でなく、広間にロージェをつけたオペラハウスのようで、舞台として立つべき所は、奏楽用としての高座であり、その背後には、重ねてロージェのように、聴衆のための階上席があります。大勢の人々――歓呼、拍手、喧騒、それにブラヴォーBravoに次ぐブラヴォー。全体の歓声や、聴衆が示してくれた驚嘆ぶりには、私には充分書き表す事が出来ません。」と書いている。

モーツァルトはこのテアトリ―ノといわれる前年に建設された劇場で10数曲の自作の作品を演奏し、大成功をもたらしたが、レオポルトにとってはそれ程金銭的に得る事がなく、彼はイタリアでは金銭の成功が望めないという事を思い知らされたのであった。
このテアトリーノはテアトロ・シエンティフィコと呼ばれ、アッカデミア・フィラーモニカの本部として1769年に出来たばかりの劇場で、18世紀に多くのオペラハウスの建設に携った建築家のガッリ・ビビエナによって建てられた。
2002年私は女性シェフの取材で近郊にあるミシュランの3ツ星レストランダル・ペスカトーレDal Pescatoreへ食事に行った時マントヴァに泊り、翌日この劇場を訪れた。観光客が内部を見学出来る時間があり、劇場内を見たが、レオポルトが感嘆したように、それ程大きくはないがパルコの一つ一つに可愛い照明が取り付けられ、ステージから劇場を見ると独特の美しさがあり、レオポルトが感嘆したのも頷ける。

1770年1月19日父子はマントヴァを発ち、ボッツォーロに一泊し、20日はクレモナに着く。当時のクレモナはバイオリンや弦楽器のメッカであり、ストラデヴァリは既に世を去っていたが、その後も優れたバイオリンが製作されていた。2人はここでハッセのオペラ「皇帝ティトの慈悲」を見た。後にモーツァルトは晩年に傑作「皇帝ティトの慈悲」を作曲することになる。マントヴァでモーツァルト父子は主任司祭カルロ・サラゴッツィに歓待され、モーツァルトは即興演奏をした。モーツァルト父子がクレモナを出発したのは1月22日で、翌日23日の正午最初の大きな目的地ミラノに到着した。

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★特報
マントヴァのテアトロ・シエンティフィコ・ビビエナではモーツァルトの生誕250周年を記念してモーツァルト展が開催されている。ここは14歳のモーツァルトが演奏した場所で、またこの時ハッセのオペラ「デメートリオ」を見ている。展示は市に残されている当時の文書など、また同時代に活躍したゴルドーニ、ヴィヴァルディに関する展示もある。
★期間:2006年2月10日から12月31日まで。


データ

お薦めホテル
ヴェローナ Verona
★Due Torri Baglioni モーツァルト、ゲーテ、ワーグナー、フランツ・ヨーゼフ、マリア・テレジアなどが泊った1674年創業の5ツ星ホテル、建物は1334年に建てられた。部屋も優雅で快適。
Piazza Sant'Anastasia 4 37121 Verona
Tel:045 595044 Fax:045 8004130
E-mail:duetorri.verona@baglionihotels.com

お薦めレストラン
★Re Teodorico ヴェローナ全体を見ようと思うとサン・ピエトロ城に行かねばならいない。そこから蛇行するアディジェ川の畔に広がるヴェローナの旧市街を見る事ができるが、このレストランはヴェローナ一の景観を楽しめるし、料理も洗練されて美味しい。値段は安くない。
Piazzale Castel San Pietro 337129 Verona
Tel:045 8349990



スカラ座のモーツァルト展
現在スカラ座の博物館では、モーツァルト生誕250年に因んで、モーツァルト展が開催されている。
私も見学して来たが、面白い展示があるので、スカラ座を訪れた方は是非見学することをお勧めします。ここには去年の12月7日に上演されたモーツァルトのオペラ「イドメネオ」のパネル、最近のスカラ座で上演されたモーツァルトのオペラのビデオ、カラヤンが1951年に指揮し、演出した「ドン・ジョヴァンニ」の舞台の模型、モーツァルトがミラノで初演した1772年のドゥカーレ劇場の「ルチオ・シッラ」の舞台のセット、1928年に作曲家リヒヤルト・シュトラウスが指揮した「フィガロの結婚」の模型など興味深い展示がある。私が最も魅了されたのは1956年1月27日、モーツァルト生誕200年の記念日に上演された「コジ・ファン・トゥッテ」のポスターとセットで、この時はフィオルディージを往年の名歌手シュヴァルツコップ、グリエルモがローランド・パネライ、フェルランドがルイジ・アルヴァなどの名歌手が出演している。
期間は2006年1月28日から2006年9月30日迄、入場料は5ヨーロ。

スカラ座 イタリアオペラ鑑賞会ではスカラ座でオペラをご覧になりたい人の為にスカラ座のオペラチケットを取る代行サービスを始めました。リニューアルされたスカラ座のチケットの確保は御存知のように多忙な人にとってはなかなか大変です。しかし当会では長年の経験を生かしてスカラ座のチケット確保の特別なルートを開拓し、以下のようなサービスを始めましたので御利用下さい。 スカラ座とその他イタリアのオペラハウスのチケットの手配、フェニーチェ座、ボローニャ、パルマ、ローマ、ジェノヴァ、トリノ、夏の音楽祭(ペーザロ、ヴェローナ)など、JITRAのイタリアオペラカレンダーで紹介している劇場の全てのチケットの手配が可能です。個人、イタリアへの音楽ツアーを企画する旅行会社の方もOKです。チケット手配ご希望の方はまず当会の会員登録をお願いします。登録料は一切かかりません。
しかし、チケットの手配については一枚4000円から5000円の手数料がかかります。日程、キャストなどは、チケットの手配を受け付けた方のみお調べします。


★2005年12月から2006年にかけての主な演目と劇場★
* 12月7日 スカラ座初日はハーディング指揮の「イドメネオ」  スカラ座 ミラノ
* ホセ・クーラの「アンドレア・シェニエ」  テアトロ・コムナーレ ボローニャ
* 1月末〜2月 シャイー指揮の「リゴレット」  スカラ座 ミラノ
* 1月下旬 「ファヴォリータ」(バルチェローナ他)  カルロ・フェリーチェ ジェノヴァ
* 2月 ストレーラー演出の「フィガロの結婚」  スカラ座 ミラノ
* 2月末〜3月初め フローレス出演の「セヴィリアの理髪師」  テアトロ・コムナーレ ボローニャ
* 4月 「ノルマ」(テオトッシュウ、バルチェローナ出演)  テアトロ・マッシモ パレルモ
* 4月 マゼール指揮の「トスカ」  スカラ座 ミラノ
* 3月、7月 「ランメルモールのルチーア」  スカラ座 ミラノ
* 6月 「仮面舞踏会」  カルロ・フェリーチェ ジェノヴァ

詳細については下記の場所にメイルでお問い合わせ下さい。
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イタリアオペラ鑑賞会
☆詳細は下記の場所に連絡を願います。
Tel/Fax:043 246 1571(日本)
E-mail:joschuajp@ybb.ne.jp


著者プロフィール

牧野宣彦(まきののぶひこ)


早大卒。1974年旅行会社にて日本初のニューイヤー・スカラ座オペラツァーを企画。その後コンピュータ会社を経て、1998年によりイタリア、ボローニャ在住。フリーのトラベルライターとして、旅行、音楽、グルメ関係の執筆、写真撮影をする。 2003年オーストリアのエリザベート皇妃、2004年ゲーテのイタリア紀行、2005年モーツァルトのイタリア旅行とオーストリア、2006年はイタリアの世界遺産など毎年テーマを決めて写真撮影を行っている。著書「イタリアの歴史的ホテル・レストラン・カフェ」(三修社)、「イタリアオペラツァー」(あんず堂)「イタリアのベストレストラン」(透土社)「音楽と美術の旅、イタリア」(共著、音楽之友社)などがある。
 





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