(写真下左:ラヴェンナの町、右:劇場内)
●テアトロ・ダンテ・アリギエーリ Teatro Dante Alighieri
ラヴェンナでは18世紀にオペラなどの上演に利用されていたテアトロ・コミュニタティヴォTeatro Comunitativoが古くなり、1838年に新しい劇場建設の機運が盛り上がり、街の中心のズヴィッツェリ広場Piazzetta degli Svizzeriに建てられる事になった。その後ヴェネツィアのフェニーチェ座の改修を手がけた若いヴェネツィアの建築家
のトマゾTomasoとジョヴァン・バッティスタ・メドゥナGiovan Battista Medunaに建設が委ねられた。1852年に劇場は完成し、同年の5月12日にマイアベーアMeyerbeerの「悪魔のロベールRoberto il Diavolo」がラヴェンナ出身の指揮者ジョヴァンニ・ノスティーニGiovanni Nostiniの指揮で開場した。
その後劇場は改装され、1929年に5層の25のパルコとガレリアのある美しい劇場になった。劇場の資料によれば開場後「リゴレットRigoletto」(1853)、「オテッロOtello」(1892)などヴェルディの作品を数多く上演し、プッチーニPuccini、チーレアCilea、ジョルダーノGiordanoなどの作品も早い時期に上演している。戦後では1954年に
マリア・カラスが「運命の力La Forza del Destino」に出演している。
私は2001年のヴェルディの没100年の時この劇場を訪れ、ヴェルディVerdiの「アイーダAida」を見た。ゼッフィレッリの素晴らしい舞台が印象的だった。この劇場は長い間修復されていたが、1990年から毎年ラヴェンナ国際音楽祭が開催され、この劇場はそのメイン会場になっている。夏の音楽祭以外にもオペラの上演があり、11月ごろから
4月まで10 本くらいのオペラ、バレエの上演が平均3回づつ行われている。
♪♪チケットオフィス Biglietteria del Teatro Alighieri♪♪
Via Mariani 2 48100 Ravenna
Tel: 0544 249244 Fax: 0544 215840
E-mail: tickets@teatroalighieri
http://www.teatroalighieri.org
●サン・ヴィターレ聖堂 S.Vitale
西暦526年に建設が始まり、マクシミアヌス司教により547年から48年にかけて献堂された。初期キリスト教時代の代表的な建築といわれ,8角形のプランで、古代ローマの建築の様式からビザンチンへの移行を示している。内部は大理石と黄金に輝くモザイクで埋め尽くされている。預言者、旧約聖書の場面、後陣のドームには、あがない主、
イエスキリストを中央にして聖ヴィタリスと司教エクレシウスが描かれている。後陣下方の2枚のパネルの左はユスティニアス帝とその延臣達、右はその妃テオドラの妃とその従者たちなどの優れた作品がある。ユネスコの世界遺産にも登録されているイタリアで最も重要なビザンチンの聖堂である。
●ガッラ・プラチディア霊廟 Mausoleo di Galla Placidia
5世紀の中葉に西ローマ帝国の摂政だったガッラ・プラチディアが自身の墓として建てたギリシャ十字型の祈祷用小礼拝堂は内部を飾るモザイクが美しい。モザイクは福音史家、その使徒、善き羊飼いの図、聖ラウレンティウス、泉水の鹿などがモザイクで描かれている。これは西暦450年以前に製作されたもので、ラヴェンナで最も古い時代の
モザイクと言われている。十字の翼部分に古い3つの石棺が安置され、その一つはガッラ・プラチディアのものと考えられている。
●ドゥオーモ Duomo
5世紀初めに建設された聖ウルキシヌスの聖堂が1733年に取り壊され、その後1745年に現在見られるバロック様式の建築になった。建物の左横に10世紀の円筒形の鐘楼Campanileが立っている。内部の聖体礼拝堂Capella del Ss.Sacramentoはカルロ・マデルノCarlo Madernoが1612年に製作したもので、グイド・レーニGuido Reniとその弟子達の
描いたフレスコ画がある。
●ダンテの墓 Tomba di Dante
ダンテはグイド・ノヴェッロ・ダ・ポレンタGuido Novello da Pollentaのもとに1317年から身を寄せていたが1321年9月13日から14日にかけてこの世を去った。現在の墓は1780年のものでこの中に詩人の棺がある。安置された墓の上にはピエトロ・ロンバルドPietro Lombardo作の「書見するダンテの浮彫り」がある。庭園の奥には小さな鐘塔
(1921年)があり、これはイタリアの各都市から寄贈されたもの。ダンテの祖国フィレンツェは遺骨の引渡しを再三要求した(16世紀にはダンテの遺体盗難事件まで起きている。)がラヴェンナに断られたために、墓前の火を絶やさないように灯油を送っているのだという。1921年に設立されたダンテ博物館Museo Dantescoにはトレントにある
ダンテ記念碑の複製(トレントTrentoのダンテ広場には1896年にチェザーレ・ゾッキCesare Zocchiの建設したダンテの巨大な像がある。)、プレート、メダル、ダンテのマスクなど詩人ゆかりの品々が5ツの部屋に展示されている。
●サンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂 Basilica di S.Apollinare in classe
ラヴェンナからリミニに向かう国道を5キロ程行ったクラッセの街にある聖堂。クラッセの街は以前ラヴェンナの外港だった。(現在海岸線は遠く離れている)549年にマクシミアヌス司教によって献堂された墓地付きの聖堂。内部はゆったりとした3廊式でファサードの前にポーチがある。円柱の上にビザンチン風の柱頭が並び、幾らか高くなっ
た内陣は6〜7世紀のモザイクで飾られている。特にアプス天井のモザイク、寓意的に描写された「キリストの変容」などは必見の作品。
(写真下:サンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂とモザイク)
●サンタポッリナーレ・ヌォーヴォ聖堂 Basilica di S.Apollinare Nuovo
東ゴート族の王テオドリクスによって493年から496年にアウリス派の為に建設された聖堂。その後560年に司教アニエッロによってカトリックの聖堂として献堂された。脇に立つ円筒形の鐘塔は9世紀に製作され、内部は3廊式。身廊の壁は一面モザイクに覆われている。そのモザイクは上下3段に分かれ、上の2層はキリストの生涯、諸聖人の預言者
たちが描かれている。これはテオドリクス時代に製作されたもの。下層はラヴェンナから出発して天使に囲まれた玉座のイエスに向かう殉教者の行列と東方3博士に先導されクラッセの町から出発し天使に囲まれた聖母子に向かう聖女の行進が描かれている。これらの作品は6世紀中ごろに製作され、典型的なビザンチン様式の作品と言われている。
●大司教博物館 Museo dell’Arcivescovile
ドゥオーモの裏の司教館Arcivescovadoにある博物館、古いドゥオーモにあった大理石やモザイクの断片が展示されている。最も有名なものは象牙で作られたマクシミアヌスの玉座で、6世紀ごろに製作され、コンスタンティノーブル、アレクサンドリアなどの影響の濃い作品といわれる。
●サンタ・マリア・イン・ポルト教会 S.Maria in Porto
1553年から1606年に建設された後期ルネッサンス様式の教会でパッラーディオ風のファサードを持っている(写真下)。内部には右第4祭壇にスカルセッリーノScarsellinoのカンバス画、左翼廊の祭壇にビザンチン様式の大理石の浮き彫り「キリストの聖母」左第4祭壇にはパルマ・イル・ジョーバネPalma il Giovaneの描いた「聖マウルスの殉教」などの作品がある。
●市立絵画館 Pinacoteca comunale
14世紀から17世紀にかけての近代のトスカーナ派、ヴェネト派、エミリア派などの絵画作品を所蔵している。グエルチーノの「聖ロムアルド」ロレンツォ・モナコの「磔刑と諸聖人」トゥッリオ・ロンバルトの製作したラヴェンナの軍人「グイダレッロ・グイダレッリの墓の像」など優れた作品の展示がある。
●国立博物館 Museo Nazionale
サン・ヴィターレ聖堂に隣接する3つの回廊に展示されている博物館で、カマードリ会修道士ピエトロ・カンネーティPietro Cannetiが集めた8世紀初期の作品群を中心に多岐にわたるコレクションを所蔵する。古代ローマと初期キリスト教時代の資料などがある。またバロック様式の回廊には織物、牙細工、コイン、陶磁器やマジョルカ焼き、パオロ・ヴェネツィアーノ
Paolo Venezianoの描いた「十字架磔刑と諸聖人」などの絵画がある。
●ネオン洗礼堂 Battistero Neomiano
正教徒洗礼堂Battistero degli Ortodossiとも呼ばれる8角形のレンガ造りの聖堂で、5世紀の初めごろ創建された。450年頃司教ネオンがモザイクの装飾を施した。内部には壁面に接する2段のアーチがあり、モザイクで埋め尽くされたクーポラを支えている。モザイクは「キリストの洗礼」「老人の姿に擬人化したヨルダン川」その周囲を「12使徒」が取り囲んでいる。
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★ダンテDanteと音楽
イタリア文学史上最大の詩人であるダンテの「神曲 Divina Commedia」は多くの作曲家にインスピレーションを与えたがその中の代表的なものを幾つか御紹介しよう。
ハンガリーの作曲家フランツ・リストFranz List(1811〜1886)はダンテ交響曲を作曲し、この曲は娘婿のワーグナーに献呈されている。ダンテを尊敬していたリストは他にもダンテから着想を得た作品があり、<巡礼の年第2年イタリア>に収められたピアノ曲「ダンテを読んで−ソナタ風幻想曲」は1838年から1839年に愛人マリー・ダグー夫人とイタリア旅行をした時作曲された。
20世紀になるとイタリアの現代作曲家リッカルド・ザンドナーイRiccardo Zandonaiが「フランチェスカ・ダ・リミニFrancesca Da Rimini」を作曲している。この曲はガブリエーレ・ダヌンツィオの同名の戯曲にティット・リコルディが台本を書いたが、原作はダンテの「神曲」の「地獄篇Inferno」によっている。
他にもラフマニノフ、アンブロワズ・トマなどがこの物語を基にオペラを書いているが、最も知られているのはG.プッチーニPucciniの「ジャン二・スキッキGianni Schicchi」だろう。フィレンツェのベッキオ橋の上で歌われる美しいアリア「ねえ、素敵なお父様」であまりにも有名だが、この作品はダンテの「神曲」の「地獄篇第30歌」を原作として書かれ、1299年頃のフィレンツェが舞台になっている。
他にはチャイコフスキーが1876年に書いた文学的幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、「神曲」の中の「地獄篇」第5歌をテーマにしたギュスターブ・ドレの版画に着想を得て作曲され、彼の標題音楽中、最も成功した作品といわれている。
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*今年の5月6日の日に私の本「イタリアオペラツァー」を読み、以前ロッシーニフェスティバルの
ペーザロのサヴォイホテルで、お会いした方からメイルを頂きました。
私はメイルをちらっと読んだのですが、メイルを間違って消してしまいました。
確か名前は島田さんという方だったと思います。
もし該当される方がおられましたら私宛てにメイル下さい。どうか宜しくお願いします。
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