マントヴァは、ポー川の支流ミンチョ川Mincioの中州に開けた街だが、街の起源としては2つの物語がある。一つは、この街出身の古代ローマの詩人ヴェリギリウスVirgiloが書いたもので、この地に彼らの英雄オクノOCNOとエトルリア人が住んでいたという説とダンテの神曲の「地獄篇」でヴェルギリウスが語っているのは、ギリシャ神話のティレシアスの娘である占い師マントMantoが身を隠し、死ぬ地としてここを選び、街の名前はこのマントに由来している。
12世紀にアルベルト・ピエンティーノAlberto Pientinoによって大がかりな治水工事が行われ、現在見られるようなスペリオーレ湖Lago Superioreとインフェリオーレ湖Lago Inferioreを川でつなぎ、ポルト・カテナPorto Catenaを開港し、今日のような景観になった。14世紀にマントヴァを支配したのはゴンザーガ家でその支配は1707年まで約400年に渡っている。
歴代の領主は、芸術を振興した事で知られ、ピサネッロPisanello、バッティスタ・アルベルティBattista Alberti、ジョヴァン二・ベッリー二Giovanni Bellini、レオナルドLeonardo、ラファエッロの弟子のジュリオ・ロマーノGiulio Romanoなどが活躍し、多くの建築や絵画を残している。特にフランチェスコ2世の妻だったイザベッラ・デステIsabella d’Esteは、文化人として知られ、マンテーニャMantegnaティッツィアーノTizianoなどの芸術家を招いた。また、イタリアのオペラ創世期の最も偉大な作曲家モンテヴェルディMonteverdi(1567~1643)は、マントヴァ郊外のクレモナ出身だったが、彼がマントヴァの宮廷の楽長として活躍していた時代に「オルフェーオOrfeo」(1607)「アリアンナL‘Arianna」(1608)などを作曲し、フィレンツェで1597年に誕生したオペラはこの時代マントヴァがオペラの中心的な存在だった。またマントヴァは、ヴェルディの傑作「リゴレットRigoletto」の舞台となった街で、街にはリゴレットの家、スパラフィチーレの家などが現存している。
イタリアにはウンベルト・ボッシの率いる北部同盟という北部と南部を分離し、北部の豊かさを、北部だけで分かちあおうという急進的な政党があり、彼らはイタリアを南北に分割した際はマントヴァを首都に定めるとしている。これを見てもマントヴァは魅力溢れる街だといえる。
●テアトロ・シエンティフィコ Teatro Scientifico(Il Teatro Bibiena)
1769年に建築家のアントニオ・ビビエナ(1700-1774)が建設し、アッカデミア・フィラルモニカとしてオープンした。18世紀の最も美しい劇場といわれる。1770年1月10日夕方マントヴァに到着したモーツァルト父子はその日ハッセHasseのオペラ「デメートリオDemetrio」を観劇した。またモーツァルトはここで自作の10数曲のコンサートを開催し、演奏会は大成功に終わり、彼がここで演奏した事を示す記念碑が掲げられている。モーツァルトの父親レオポルドは妻に「アッカデミア・フィラルモニカをお前にも見せたいと思いました。私の人生の中でこのタイプでこれ以上美しい劇場は見たことはありません。・・・これはもう劇場ではなく、広間にロージェをつけたオペラハウスのようだ。」とその美しさを讃えている。現在は室内楽、コンサートなどが行われている。
※インフォメーション※
Societa della Muscia
Via Cesare Battista 9
46100 Mantova
Fax:0376 369314 Infoline:333 8398775
E-mail:davidebardini@bardiniassociati.it
HP:http://www.societadellamusica.it
●テアトロ・ソチアーレ Teatro Sociale
建築家のLuigi Canonica が1818年に着工し、1822年に開場した。ネオクラッシックの美しい劇場で初演されたのはメルカダンテMercadanteのオペラ「アルフォンソとエリーザAlfonso ed Elisa」であった。座席数は1100、ピランデッロなどの演劇が上演されているが、オペラの上演は少ない。シーズンは11月から6月。
※インフォメーション※
Teatro Scociale
Piazza Folengo 4 46100 Mantova
Tel/Fax:0376 36 2739
♪♪音楽にゆかりのある見どころ♪♪
●ドゥカーレ宮殿 Palazzo Ducale
マントヴァを14世紀から支配したゴンザーガ家の居城で、宮殿、サン・ジョルジョ城、サンタ・バルバラ教会の3つからなる。内部は美術館になっていて、特に夫妻の間Camera degli Sposiは、マンテーニャによるゴンザーガ家の人々の様々な表情を生き生きと描いたフレスコ画がある。また、ルーベンスは一時この宮廷の宮廷画家で彼の描いた「ゴンザーガ家の人々」もある。その他にジュリオ・ロマーノとその流派の画家達の描いた小人の間などの部屋がある。
サンタ・バルバラ教会は音楽を好んだゴンザーガ家の領主が建てたもので、16世紀には
宮廷礼拝堂所属と教会付属の二つの楽団があった。鏡の間Sala degli Specchiは、18世紀末に新古典様式に改造されたが、モンテヴェルディが自ら指揮して自作を演奏したホールで、1608年ここでフランチェスコ・ゴンザーガとサヴォイア家のマルゲリータの結婚式に際して、彼のオペラ「アリアンナArianna」が上演され、大成功を収めた。
●エルベ広場 Piazza Elbe
マントヴァの中心で朝市が立つ。広場の南端には、11世紀に建設されたサン・ロレンツォ
円形堂Rotondan di San Lorenzoは、ロマネスク様式の古い建物で、その中央に公会堂
Palazzo della Ragioneがある。回廊には古いカフェなど洒落た店が並ぶ。
●サンタンドレア教会 Basilica di S.Andrea
マントヴァのルネッサンス時代の代表的な建築で、1472年から1494年にかけてバッティスタ・アルベルティによって建てられた。クーポラはフィリッポ・ユバーラの設計による。
入り口の巨大なアーチが印象的である。内部にマンテーニャのお墓がある。
●ドゥオーモ Duomo
ロマネスク様式の鐘楼と右の側壁にゴシック様式の一部を持つ中世の建築物。内部は一部ジュリオ・ロマーノが改装した。
●アンドレア・マンテーニャの家 Casa del Mantegna Tel:0376 360506
マンテーニャは1431年に生まれ、ヴェネツィア派の画家として活躍したが、1506年マントヴァで死去している。この家は1476年に建設されたもので展覧会などが開催される。
●テ宮殿 Palazzo Te
ゴンザーガ家のフェデリコ2世が愛妾の為に建てたといわれている。町の外れにあるユニークな別荘。広大な中庭があり、内部はジュリオ・ロマーノとその流派の画家達が描いた。
プシュケーの間Sala di Psicheと巨人の間Sala dei Gigantiはイタリアマニエリスムス
絵画の傑作といわれている。