エトルスキの支配下にあったローマは、海外との交易によって経済力を高めるとエトルスキ人の王を追放し、共和制を敷いた。紀元前1世紀にはローマ最大の英雄カエサルが現れ、その後、彼の養子オクタヴィアヌスが元老院でアウグストゥスの称号を授けられ、帝政に移行してゆく。ローマはトラヤヌス帝(在位98~117)の時代最大の帝国になるが、3世紀以後、民族大移動や、帝国内の矛盾が現れ、約1000年の長い間繁栄した西ローマ帝国は476年に滅亡するが、4世紀に行われたキリスト教の公認と国教化は、ローマをカトリック教徒の聖地として再生させ、新たな繁栄が始まった。1871年には統一イタリアの首都になり、現在に至っている。「永遠の都」と呼ばれ、全ての道はローマに通ずるといわれるローマは、2500年の歴史が息づき、直径約5キロくらいの街の中にローマ時代の古代遺跡、ルネッサンス時代の遺産、美術館などが、多数存在し、世界最大の文化遺産の宝庫である。ローマを舞台としたオペラはモーツァルトの「ティートの慈悲La Clemenza di Tito」、「ルーチョ・シッラLucio Silla」スポンティー二の「ヴェスタの巫女La Vestale」、ドニゼッティの「ドン・パスワ―レDon Pasquale」などがあるが、最大の傑作はプッチーニ作曲の「トスカTosca」であろう。現在もオペラの舞台となった場所が残されている。
★ローマ・オペラ座 Teatro Dell’Opera di Roma
ローマのオペラの歴史はオラトリオと切り離しては語れない。1600年頃から宗教音楽劇が上演され、17世紀に入るとバルベリーニ家の私設劇場が華麗なオペラを上演した。1656年にはスウェーデンのクリスティーナ女王がローマに住み、コルシー二宮殿Palazzo Corsiniでオペラ公演が行われていた。現在のローマ・オペラ座はドメ二コ・コスタンツィDomenico Costanziがアキーレ・スフォンドリAchile Sfondoriに1877年に建設を依頼、1880年に完成し、Teatro Costanziと呼ばれ、ロッシーニのセミラーミデSemiramideで開場した。
マスカー二の最高傑作「カヴァレリア・ルスチカーナCavalleria Rusticana」(1890)、プッチーニの「トスカ」(1900)などの初演がされた。1958年にはマリア・カラスがグロンキ大統領臨席の下で「ノルマ」を途中まで歌い、キャンセルするという20世紀オペラ史上最大のスキャンダルが起きたのもこの劇場である。
新シーズンのプログラムが発表されたので紹介します。世界初演のオットリーノ・レスピーギOttorino Respighi作曲「マリエ・ヴィクトリエ Marie Victorie」 2004 1/23,24,25,27,28,29,30,31、ベッリー二作曲「カプレーティ家とモンテッキ家 I Capuleti e Montecchi」2/12,13,14,15,17,18、チャイコフスキー作曲バレエ「白鳥の湖 Il Lago dei cigni」2/25,26,27,28、プッチーニ作曲「トスカ Tosca」3/09,12,14,17,20,24,26,28、イタリアの現代作曲家ゴッフレッド・ぺトラッシGoffredo Petrassiの一幕のオペラ「イル・コルドヴァーノIl Cordovano」とマスカー二の「カヴァレリア・ルスティカーナ Cavalleria Rusticana」3/23,25,27,30,31,4/02,04、リヒャルト・シュトラウス作曲「エレクトラElektra」4/20,21,22,23。
ヴェルディ作曲「ドン・カルロ Don Carlo」 5/13,15,16,18,19,20,21,22、モーツァルト作曲「魔笛 Die Zauberfloete」 6/13,15,16,17,18,19、バレエ、アダン作曲「ジゼル Giselle」6/30,7/01,02,03,04、ベートーベン作曲「フィデリオ Fidelio」10/08,10,12,13,14,15、ロッシーニ作曲の「タンクレーディTancredi」は、バルチェローナが出演して色々な場所で上演されているが、相手役がマリエッラ・デヴィアという超豪華キャストなのでこれは見逃せない。11/2,3,4,5,6,9,10、ワーグナー作曲「さまよえるオランダ人 Der Fliegende Hollaender」、11/19,20,21,23,24,25,26,27、バレエ、チャイコフスキー作曲「くるみ割り人形 Lo Schiaccianoci」、12/15,16,18,22,24,29、ヨハン・シュトラウス作曲「こうもりDie Fledermaus」、12/19,21,23,28,30などがある。
Teatro Nazionale にもオペラの上演がある。そのプログラムや上記の詳細なキャストなどはインターネットで確認してください。
●インフォメーション
♪Teatro Dell’Opera di Roma♪
Ufficio Biglietteria
Tel:06 48160255 06 4817003 Fax:06 4881755
E-mail:biglietteria@opera.roma.it
HP:www.operaroma.it
★Teatro Argentinaテアトロ・アルジェンティーナ
1732年に建設され、1812年にロッシーニの傑作「セヴィリアの理髪師Il Barbiere di Seviglia」、ヴェルディの「二人のフォスカリI Due Foscari」(1844)、「レニャーノ戦いLa Battaglia di Legnano」(1849)などが初演された。現在はコンサートや演劇の上演がある。この劇場には付属の博物館があり、Museo Teatro Argentina,1918年から1944年の写真、資料、レコードなどが展示されている。
Biglietteria Teatro Argentina
Largo Torre Argentina,52
Tel:06 68804601/2 06 6875445 Fax:06 6865669
E-mail:promozione@teatrodiroma.net HP:www.teatrodiroma.net
★Teatro Valle テアトロ・ヴァッレ
現在はオペラの上演などは少なく演劇、コンサートなどが上演されている。しかし過去にはロッシーニの「チェネレントラLa Ceneretola」(1817)、ドニゼッティの「サン・ドミンゴ島の狂人Il Furioso all’Isola di San Domingo」(1832)などが上演された。
●インフォメーション
Teatro Valle
Via del Teatro Valle 23
Tel:06 68803794
★Il Teatro Apolloテアトロ・アポッロ跡
サンタンジェロ城の反対側の河畔にテアトロ・アッポロ跡を示す記念碑が建っている。
1888年のテヴェレ川の改修工事の為にこの劇場は閉鎖されたが、ロッシーニの「マティルデ・ディ・シャブランMatilde di Shabran」(1821)、ヴェルディの「イル・トロヴァトーレIl Trovatore」(1852)、「仮面舞踏会Un Ballo in Maschera」(1859)などの傑作が上演された。また、碑にはこれらのオペラの初演月日とともに「天才ヴェルディは太陽のようなアリアで人の心を歌った。」と書かれている。
★Pizza del Campidoglioカンピドーリオ広場
共和政時代の7つの丘の一つカンピドーリオの丘は二つの丘からなり、ユノー、ユピテルの神殿が聳えていた。その頂きの広場はミケランジェロが1586年に建設したといわれている。丘に上る階段の左手にリエンツォの像Cola di Rienzo の像がある。この像は14世紀に貴族の横暴から民衆を守ろうとした護民官コーラ・ディ・リエンツォの像でワーグナーは、1842年にオペラ「リエンツィRienzi」を作曲している。このオペラの第3幕と第5幕はこの広場が舞台、また、モーツァルトのオペラ「ティートの慈悲La Clemenza di Tito」の第一幕第4場もこの広場が舞台となっている。ここには古代ローマ時代の唯一の現存する騎馬像「マルクス・アウレリス帝の騎馬像」もある。
★Galleria Borgeseボルゲーゼ美術館
枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼが造営した広大なヴィッラ(約1万平方キロ)の敷地内に、フランドルの建築家ヴァサンツィオの設計でコレクションを展示する為に1613年に邸が建てられ、それが美術館になっている。名画の宝庫でラファエッロ「十字架降下」、カラヴァッジョの「パラフレニエーリの聖母」「ダヴィテ」「バッカス」「果物籠を持つ少年」などの傑作がある。
★Colosseoコロッセオ
紀元72年頃ヴェスパシアヌス帝が建設を始め、80年にティート帝が完成を祝った闘技場で、主に剣闘や野獣の戦いなどの見世物、サーカスが行われた。外周は527m、長さ188m、幅156mある楕円形で、約5万人の観客の収容が出来たという。ローマ時代戦争に勝った皇帝が凱旋式を行った場所である。モーツァルトのオペラ「ティートの慈悲」第2幕第3場の舞台になっている。
★Foro Romanoフォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノは共和制ローマの中心で公共の建物が立ち並ぶ場所であった。モーツァルトの「ティートの慈悲」第一幕第2場はこのフォロ・ロマーノが舞台。ティート帝の凱旋門が中にある。ティート帝は、治世は2年、その間にポンペイの噴火、激しい疫病などの災害があり、40歳で死んだ悲劇の皇帝だった。
★Museo di Goetheゲーテ博物館
ドイツ文学の巨星ゲーテは1786年9月から1788年までイタリアを旅行した。」その体験を通して彼は「イタリア紀行」を執筆している。その中でもローマは彼が最も長く滞在した所で、現在彼の住んだ家が博物館として公開されている。ゲーテの肖像画、彫刻などの展示がある。
★Fontana di Treviトレヴィの泉
ローマには噴水が多いが最も有名な噴水。1762年に二コロ・サルヴィの設計で造られた。
建物に取り付けられる形で造られた噴水は、美しい彫刻、臨場感に溢れ、ローマの最大の名所になっている。
★Piazza di Spagnaスペイン広場
この階段は正式にはトリニタ・ディ・モンテ階段といわれている。それはこの階段の上にある16世紀に建てられたトリニタ・ディ・モンテ教会に由来している。どうしてスペイン階段と呼ばれているのかというと近くにスペイン大使館があったから。この階段は1723年から1726年にかけてフランチェスコ・ディ・サンティスの設計で造られた。オードリ・ヘップバーン主演の映画「ローマの休日」ではアン王女がジェラートをなめながら階段を下りてくる。
★Basilica di San Pietroサン・ピエトロ寺院
聖ペテロの墓の上に建設されたキリスト教世界で最大の聖堂。320年ごろコンスタンティヌス帝によって建てられた。その後ブランマンテ、ラファエッロ、ミケランジェロなどが改築に加わった。長さ186m、翼廊の長さ137.5m、クーポラの高さ132.5mと大きなスケールを誇る。ベルリーニやカノーヴァなどの素晴らしい彫刻もあるが、最大の見所はミケランジェロの傑作「ピエタPieta」がある。
★Musei Vaticaniヴァティカン博物館
世界のカトリックの総本山のヴァティカンが収集した膨大なコレクションがあり、それらが複数の博物館、美術館に展示されている。また音楽においても、ナポリ派のスカルラッティ、ヨンメッリ、フレスコバルディなどが楽長、オルガン奏者を務め、中世から18世紀にかけて音楽の中心だった。
美術ではラファエッロの部屋に彼の傑作「アテネの学堂」、システィーナ礼拝堂では教皇ユリウス2世の命でミケランジェロが描いた「最後の審判」がある。
★Fontana del Tritoneトリトーンの泉
バルベリー二広場にある噴水で、ベルリーニがウルヴァヌス8世の為に製作した。
デンマークの童話作家アンデルセンの名作「即興詩人」はこの噴水の描写から始まる。
★Basilica di San Giovanni in Lateranoサン・ジョヴァン二・イン・ラテラーノ教会
ローマの4大教会の一つで、建てたのはコンスタンティヌス帝。パレストリーナがヴァティカンを解雇された後、ここで楽長を務めていた。
※トスカの舞台となった場所を散策する※
トスカはナポレオンがイタリアに侵略して来た1800年ごろの物語で、ローマが舞台になっている。物語の発端はカヴァラドッシの友人アンジェロッティが脱獄し、聖サンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会へ逃げ込む所から始まる。
★Basilica Sant’Andrea della Valleサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会
第一幕の舞台、17世紀初頭の建築で、ファサードはライナルディとフォンタナの作、クーポラはサン・ピエトロにつぐ第2の高さを誇る。ジョヴァン二・ランフランコが描いた「楽園の栄光」は傑作。天井に描かれたドメ二キ―ノの「聖アンデレの物語」などのフレスコ画が美しい。またピウス3世とピオ2世の墓がある。オペラではここで、カヴァラドッシがアリア「たえなる調和」、スカルピアが「行け。トスカ」などの名曲が歌われる。
★Palazzo Farneseファルネーゼ宮殿
第2幕の舞台、16世紀にアントニオ・ダ・サンガッロの設計で枢機卿アルフレッド・ファルネーゼ(後の法王パウルス3世)の為に建設された。1546年にサンガッロが死去した後はミケランジェロが引き継ぎ巨大なコーニス、建物の側面、中庭の上階などを製作した。スウェーデンのクリスティナ女王(1626~1689)が一時住んだ事があり、この時代はナポリ派のストラデッラ、コレッリ、スカルラッティらの音楽家達が仕え繁栄した。現在はフランス大使館になっていて自由な見学は出来ないが、2階にはアン二バーレ・カラッチとアゴスティーノ・カラッチらがマニエリムスの様式で描いた美しい通廊がある。恋人カヴァラドッシの助命を求めるトスカはその代償としてスカルピアから貞操を要求される。絶望したトスカは美しいアリア「歌に生き、恋に生き」を歌う。トスカはスカルピアにローマ脱出の為の通交証明書を書かせた後、「これがトスカの接吻よ」と叫び、スカルピアを短剣で突き刺し、スカルピアは事切れる。
★Castello S.Angeloサンタンジェロ城
第3幕の舞台、西暦123年頃ローマの皇帝ハドリアヌス帝が自身と後継者の廟として建設した。その後ルネッサンス時代に改築され、要塞として使われていた。「聖天使城」という名前は、590年にローマにペストが流行し、教皇グレゴリウス1世が、行列を組んで通りかかったところ廟の頂上で天使がペストの終焉を告げ、剣を鞘に収めるのを目撃したという伝承から来ている。ここにはサンタンジェロ国立博物館があり、陶器、武器、絵画、調度品などが展示されている。カヴァラドッシが昔を思い出して歌うアリア「星はきらめき」、その後カヴァラドッシは銃殺され、絶望したトスカがサンタンジェロ城から飛び降り自殺してオペラは幕になる。