ルネッサンス文化が開花した街フィレンツェはウフィッツィ美術館に代表される美術やミケランジェロの彫刻などが人を惹きつけてやまないが、オペラという芸術の発祥地でもある。オペラは、古代ギリシャ悲劇を復活しようと、音楽を伴奏として朗誦する劇を創作したのが初まりといわれている。歴史上初めてのオペラ上演は1597年フィレンツェのコルシ邸で、上演されたのはリヌッヌーニの詩、ペーリ作曲の牧歌劇「ダフネ」であったが、これは楽譜が消失してしまった。現在楽譜が残っている史上最古のオペラは、作曲家がヤコポ・ペーリ、ジュリオ・カッチーニ、台本がオッターヴィオ・リヌッチーニによる「エウディリーチェ」で、メディチ家のピッティ宮殿で1600年に初演された。これに参加していたのが、フィレンツェの当時の文化サークルカメラータ『バルディ』で、ガリレオ・ガリレイの父親もその一員だった。フェレンツェではメディチ家の祝典などの際にオペラの上演は行なわれていたが、1637年にヴェネツィアで史上初めての公開オペラハウス、サン・カッシアーノ劇場が開場されると、オペラの中心はヴェネツィア、その後ナポリ、ミラノへと変遷して行き、フィレンツェが過去の栄光を取り戻すことはなかった。
♪イル・テアトロ・デル・マッジョ・ムジカーレ・フィオレンティーノ・コムナーレ
Il Teatro del Maggio Musicale Fiorentino♪
テアトロ・コムナーレの歴史は1862年のテレマコ・ボナイウーティが計画して建設したポリテアマ・フィオレンティーノに遡る。最初は野外劇場だったが、1883年に屋根が付けられた。1944年爆撃にあい、古典的様式の劇場は破壊され、1966年には洪水に見舞われ、その後修復された。テアトロ・コムナーレには指揮者のヴィットーリオ・グイ、ブルーノ・ワルター、ウィルヘルム・フルトヴェングラー、カラヤン、ムーティなどが指揮している。また、マリア・カラスもこの劇場に出演していた。作曲家ではバルトーク、ストラヴィンスキー、リヒヤルト・シュトラウスなども訪れ、彼らの作品が上演された。フィレンツェ5月音楽祭はヴィットーリオ・グイにより1933年より始まった。劇場のオーケストラはそれ以前の1928年、合唱団は1933年に創設。バレエ団は1967年に起源を持つ。
2003年のオペラのプログラムを紹介します。冬シーズンは昨年9月22日に「マノン・レスコー」で始まっているが、今年の演目だけを案内します。ダニエル・オレン指揮、アサリ・ケイタ演出の「マダム・バタフライ」タイトル・ロールはチェドリンス、ピンカートンがヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ、シャープレスがホアン・、ポンズという豪華キャスト、スカラ座で上演された演出。1/25,26,28,29,31,2/01,04,06,09。ファビオ・ヴァッキ作曲「Il Letto della Storia」(Piccolo Teatro)2/16,18,19,20。第66回フィレンツェ5月音楽祭、パーヴォ・イエルヴィ指揮「フィデリオ」5/11,13,15,17,21,23。ズビン・メータ指揮「オテッロ」でホセ・クーラなども出演予定。6/17,19,20,23,25,26,28,30,7/01。
◇インフォメーション
Teatro Del Maggio Musicale Fiorentino
住所:Via Solferino,15. 50123 Firenze
電話:(国番号39)055-2779245 Fax:055-280542
チケットオフィス
住所:Corso Italia 16
電話:イタリア国内無料電話サービス 800112211 または、(国番号39)0577-223806、223807
HP:http://www.maggiofiorentino.com
●ペルゴラ劇場 Teatro alla Pergola
Via della Pergola 12/32 Firenze Tel:055-2479652
1652年にジョヴァン二・アンドレア・モネリアによって開場した、現存するイタリアで最も古い劇場の一つ。建設したのは建築家のフェルディナンド・タッコ。上演されたのはヤコポ・メラー二の「ラ・タンチア」。1663年には閉鎖になったが、1718年ヴィヴァルディのオペラ「イスケンデル=ベイ」で再オープンした。1830年にはアレッサンドロ・ラナーリを支配人に迎え、ドニゼッティの「パリジーナ」の初演、1847年にヴェルディの傑作「マクベス」が初演された。劇場の外壁には記念碑がある。また、ウェバーの「魔弾の射手」のイタリア初演も行われた。このペルゴラ劇場では既に終わってしまったが、プッチーニの「ジャンニ・スキッキ」、ストラヴィンスキーの「プルチネッラ」1/10,11。5月にイボール・ボルトン指揮でモーツァルトの「ティートの慈悲」がある。5/20,22,24,27,29。チケットは上記のテアトロ・コムナーレに予約できる。
●ドゥオモ Duomo
世界第3位の大聖堂で花のサンタ・マリア・フィオーレといわれている。1296年フィレンツェ共和国の建築家アルノルフォ・カンビオによって建設が始まり、1421年に本堂は完成した。クーポラはコンテストで優勝したブルネッレスキによって1420年から14年かけて取り付けられた。1436年法王エウジェニオ4世が献堂式を行った。内部の美術品についてはここでは触れないが、1478年メディチ家の当主ロレンツォ豪華王がライバルのパッツィ家に襲われ、危うく殺されかけ、一緒に参拝した弟ジュリアーノは惨殺された場所でもある。ドゥオモの裏手にはドゥオモ美術館がある。
●サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 Chiesa di Santa Maria Novella
1246年〜1360年にかけて建設されたゴシック様式の傑作。スッペの有名なオペレッタ「ボッカチョ」の第一幕はこの教会前の広場が舞台である。内部にはN.ピサーノの「聖母子像」、ギルランダイオの壁画「マリアと洗礼者ヨハネの物語」、オルカーニャの祭壇画、ジョットの巨大な「礫刑図」、マザッチョのフレスコ画「三位一体」などがある。
●洗礼堂 Battistero
亡命中のダンテがフィレンツェを回想し、「麗しきサン・ジョヴァン二」と懐かしんだフィレンツェの象徴。15世紀にはフィレンツェ音楽の中心だった。一番古い南扉はA.ピサーノの「洗礼者ヨハネの物語」、北側扉はギベルティの作品で「キリストの物語」、東側扉はかの有名な『天国の扉』で「旧約聖書の物語」が描かれ、素晴らしい作品である。これらの作品は当時のフィレンツェの金細工と鋳金技術の水準の高さを示している。但し現在あるのはコピー。クーポラのモザイクも素晴らしい。
●ピッティ宮殿 Palazzo Pitti
フィレンツェで最も豪華な邸宅で1458年に建設され、1783年に現在の形になった。1545年以降トスカーナ大公の居城となり、1770年4月1日にモーツァルト父子がトスカーナ大公に謁見している。内部にはパラティーナ美術館、銀器美術館、近代美術館などがある。パラティーナ美術館には16世紀から17世紀の絵画のコレクションがあり、ラファエッロの「小椅子の聖母像」「大公の聖母」、ティッツィアーノの「ラ・ベッラ」などの作品がある。またピエトロ・ダ・コルトーナの描いた天井画も素晴らしい。現存する最古のオペラ、オッターヴィオ・リヌッチーニの「エウリディーチェ」が1600年に上演された場所である。
●サンタ・クローチェ教会 Basilica di Santa Croce
1294年にアルノルフォ・カンビオによって建設が開始されたフランシスコ会最大の教会。ベルッツィ礼拝堂にはジョットの後期の壁画がある。また、ドナッテロの有名な木彫り「礫刑」がある。ここにはフィレンツェとゆかりの深いダンテの記念像、ロッシーニ、ミケランジェロ、ガリレオ・ガリレイなどが葬られている。1868年にパリで死んだロッシーニの遺体は、最初はパリのペール・ラシェーズに葬られたが、その後1887年に移送され、この教会に葬られている。
●ウフィッツィ美術館 Galleria degli Uffizi
1560年から1570年にかけてルネッサンス画人伝の著者バザーリによってトスカーナ大公の役所として建てられた。イタリア最大の美術館で有名なボティチェルリの「春」「ヴィーナスの誕生」がある。その他にもラファエッロの「ひわの聖母」など名画の宝庫だが、今回はボッティチェルリの作品について述べてみたい。ドオゥモの項でパッツィ家の反乱によりメディチ家のジュリアーノが暗殺された事を書いたが、この「春」に関する色々な解釈の一つに、女神フローラがジュリアーノの愛人のフィオレッタであったという説がある。そしてフローラが妊娠している事はフィオレッタがジュリアーノの遺児を身ごもっていたといわれている。この絵はボッティチェルリのジュリアーノへの思い出とポリツィアーノの長編詩を基に作られた晩歌であり、描かれたジュリアーノはスポーツマンタイプの美男で上品さを兼ね備え人気があったという。
●ヴェッキオ橋 Ponte Vecchio
アルノ川に架かる橋の中で最も古く1345年に建設された。両側には宝飾店が軒を並べている。戦争中、破壊好きなアングロサクソン人もこの橋だけは爆撃しなかった。
●シニョリーア広場 Piazza della Signoria
フィレンツェを舞台としたプッチーニのオペラ「ジャンニ・スキッキ」に「花咲き匂う樹木のようなフィレンツェ、シニョリーア広場に枝を張り・・・」と歌われている。広場にはジェンボローニャ作「サビニ女の略奪」がある。また、1498年5月23日修道士サヴォナローラがここで処刑された。広場の処刑された場所には記念の碑文がはめこまれている。またここでは、毎年6月に16世紀の衣装を付けた人達による古式サッカーが行われる。
●ダンテの家 Casa di Dante
ダンテはフィレンツェの詩人、人文主義者、哲学者で当時のフィレンツェの最高の人物であった。彼の最高傑作「神曲」は、多くの作曲家にインスピレーションを与えた。彼は1265年フィレンツェに生まれた。当時のフィレンツェは教皇(グエルフィ党)につくか神聖ローマ皇帝(ギベリーニ党)につくかに分かれて争っていた。グエルフィ党は内部で黒派と白派に対立していた。白派のダンテは政争に破れ、ヴェローナ、ラヴェンナなど各地を放浪し、故郷フィレンツェへの望郷の気持ちをいだきながら1321年ラヴェンナで客死した。