●フェデリコT世の理想郷
怪物の頭を押さえつけ,どっしりと座り込む巨人の像。 写真で見た,異様な迫力の巨人像が頭から離れず,いつか訪ねてみようと思っていた。
その巨人像は,フィレンツェからバスで30分程北にあるプラトリーノにある,かつてのメディチ家の別荘に造られたものだ。16世紀半ば,フェデリコT世が,愛妾ビアンカ・カペッロと過ごすために建設した別荘だ。2人の恋愛劇は,周囲を愛憎の渦に巻き込み,最期は2人同日に謎の死を遂げるという,スキャンダラスなものであった。メディチ家の当主にしては,内向的でマニアックな性格だったフェデリコT世は,フィレンツェから少し離れたこの地に,誰にも邪魔されない彼の理想郷をつくりあげた。
●内部に3層の部屋がある巨大彫刻
ジャンボローニャが製作したアペニンの巨人像も,彼の一風変わった趣味によるものだ。足下に半円の池を携え,大地に根を生やしたかのような巨人像は,アペニン山脈を擬人化したものだ。人間が粒に見えるほど大きい。
この像,単なる彫刻ではない。
内部には居室が3層積み重なり,庭園の東屋のような役割を担っていた。外部からはとても想像することができないが,フレスコ画やマヨルカ・タイルで覆われた豪華な部屋,水の動力で動く人形や噴水など,訪れる人を驚かせる仕掛けがあったと言う。フランチェスコT世は,巨人像の目の部分から外を覗くのが好きだったという,彼の内向的な性格の一端を表す逸話も耳にした。
(写真撮影:柳沢陽子)
●虹をくぐり抜けて向かうアプローチ
当時は,軸線を中心に左右対称に計画されたイタリア式庭園の中に,別荘が置かれていた。緩やかな高低差を利用し,あちこちに水の仕掛けが設けられた。
かつては門から伸びるまっすぐな並木道に,両脇から水のアーチが吹き上がり,来訪者は反射する虹をくぐりぬけて邸宅へと向かったと言う。軸線の延長上に,庭園のクライマックスであるアペニンの巨人像が配置され,さらにその奥に樹木でつくられた立体迷路が配されていた。
個性的な数々の試みが見られるこのメディチ家の庭園は,当時,イタリアでも屈指の庭園であったことがうかがえる。
●グロッタ調の「キューピッドの洞窟」
しかし所有者が変わり19世紀になると,別荘は建て替えられ,庭は自然の景観を再現するイギリス式へと大幅に変更されてしまった。
庭園の片隅に,グロッタ調の祠のような建物があった。「キューピッドの洞窟」と名付けられたその小さな建物の内部は,鍾乳石風の軽石や貝殻で一面覆われ,ランタン型の頂部から光が落ちる。かつては壁面に噴水が上がり,幻想的な世界をつくりだしていたに違いない。「グロテスク」という言葉は,こうした洞窟風(グロッタ調)のデザインを指す言葉が転じて,「奇怪,異様」という意味を持つようになった。まさに奇怪な雰囲気のこの洞窟の中で,フェデリコT世は,愛するビアンカと,2人きりの静かな食事を好んだという。
現在は,デミドフという一族が所有し,緑豊かな公園として一般に開放されている。かつての私的な別荘は,フィレンツェの家族連れやカップルがピクニックに訪れる,のどかな場所となっている。
政治よりも錬金術や芸術に傾倒し,内的傾向の強かったフェデリコT世。彼が造り上げたネバーランドの遺構は,再び魔法がかけられるのを待っているかのように,公園の片隅にひっそりと佇んでいる。
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