ヴェネツィアの西,約60qに位置するヴィチェンツァは,ルネッサンスの建築家アンドレア・パッラーディオAndrea
Palladioのまちとして知られている。彼ほど,時代や国境を越え,後世に影響を及ぼした建築家は,他にいないであろう。古代ローマ遺跡に普遍的な美しさを見出し,その比例関係を取り入れながら,独自の建築様式を確立した建築家だ。その著書「建築四書」は,古典主義建築の手引きとされ,イギリス,ドイツ,アメリカなど多くの国で,「パッラーディオ様式」と言われる風潮を巻き起こした。生涯のほとんどを過ごしたヴィチェンツァ市内には,彼が設計した建築が多く残っている。ドイツの詩人ゲーテや,アメリカ大統領トマス・ジェファソンまで,多くの人々の心をとらえたパッラーディオ作品の魅力を確かめに,ヴィチェンツァへと向かった。
●軽やかでリズミカルなファサード/バジリカ
ヴィチェンツァ市街は,ヴェネト州に点在するパッラーディオ設計の別荘と併せて,1994年,ユネスコ世界遺産に登録された。その名にふさわしく,こぢんまりとしたまちには古典様式の建物が軒を並べ,華麗な印象だ。とりわけ目を引いたのが,青緑色の巨大な屋根と白い大理石の軽やかなファサードに彩られたバジリカだ。中世に市庁舎として建てられた古い建物を,2層の回廊でぐるりと囲んだのが,若かりし頃のパッラーディオだ。半円アーチの支点に2本の細い円柱を配し,円形の窓を開け,繊細さを生み出している。バジリカの前のシニョーリ広場では,午前中には市場が開かれ,夕方には散歩をする人々が行き交い,市民の生活に溶け込んだ生活の舞台となっていた。
写真キャプション
上:広場にたつ建築家パッラーディオの彫像
左下:basilica:シニョーリ広場から見たバジリカ
右下:テアトロ・オリンピコの立体的な舞台背景
下:神殿のようなラ・ロトンダのファサード
(撮影 柳沢陽子)
●ヨーロッパ初の屋内劇場/テアトロ・オリンピコ
まちの中央を貫く大通りは,建築家の名をとり,パッラーディオ通りと呼ばれている。その通りの突き当たりには,ヨーロッパで最も古い屋内劇場,1583年完成のテアトロ・オリンピコがある。城壁の一部を改造した質素な外観とは裏腹に,一歩足を踏み入れると,そこには壮麗な別世界が広がっていた。半円形の観客席が急勾配で迫り上がり,その背景には彫刻を冠した列柱が立ち並ぶ。天井には空の絵が描かれ,古代ギリシアの屋外劇場が再現されている。特筆すべきは舞台だ。街路を再現した立体的な舞台セットは,透視画法を用いてつくられているため,実際よりも奥行きが感じられる。ルネッサンスの特徴である透視画法と古典建築の組み合わせは,まさにパッラーディオらしい作品だ。
●ルネッサンスの理想建築/ラ・ロトンダ
ヴェネツィアの富裕な貴族たちは,農業の拠点やヴァカンスを過ごす場として,現在のヴェネト州の丘上や川沿いに,次々と豪勢な別荘を建設した。ラ・ロトンダもそうしたヴィッラの一つである。ヴィチェンツァ市街から南東へ徒歩で15分,緑に覆われた小高い丘の上に建っている。本来は,「ヴィッラ・カプラ・ヴァルマラーナ」という名前だが,中央の円形ホールにちなんで,円形を意味する「ラ・ロトンダ」という愛称で親しまれている。
門から建物に向かって伸びる斜路を上り切ると,突然,視界がパッと広がった。なだらかな緑の丘のちょうど頂点に建つ建物と青空以外,見えるものは何もない。この建物の平面は,完全な対称形をしており,四方向の正面すべてに,同様の神殿風の階段とポルティコが取り付けられている。パッラーディオは,この場所の眺望が良いため,四方にポルティコを設けて見渡せるようにしたと述べている。円形や正方形,正多角形などの幾何学的形態は,ルネッサンス時代には,宇宙の調和を示す理想的なものと考えられていた。幾何学的調和に加え,自然との調和を目指し,パッラーディオは,まさにルネッサンスの理想的な建築をここに実現したのである。結晶のような建築は,時空を超えて,その純粋性と崇高性を,私たちに訴えかけてくるようであった。
|