トリノはオーストリアからの独立運動が最も激しく行われた場所である。その為、文学者や愛国者の溜まり場になったカフェの文化が栄えた。またトリノはチョコレート店が多い御菓子の街でもある。トリノで一番有名なカフェといえば、1875年創業のバラッティ&ミラノ Baratti&Milano であろう。イタリア国王や各国王室御用達のチョコレートを作って愛されている。他にイタリアで一番最初にトラメッツィーノ(サンドウィッチ)が発明されたといわれる1907年創業のムラッサーノ Mulassano、ドイツの哲学者ニーチェがアイスクリームを毎日食べに通ったといわれる1780年創業のフィオーリオ Fiorio 、ロッシーニが訪れたといわれる1866年創業のアブラーテ Abrate 、サルデーニア出身の思想家グラムシ Gramsi が通った1828年創業のサン・カルロ San Carlo 、サヴォイアの国王ウンベルトがケーキを食べながら政治談義をしていた1903年創業のトリノ Torinoなど歴史的カフェの宝庫である。その中で私が一番気に入っているのが、コンソラータ聖所記念堂の前にあるアル・ビチェリン Al Bicerinである。
店の名前ビチェリンはホットチョコレートにコーヒーを泡立てた飲み物で、これは何度も味わったが最高に美味しい。他店でも同じ物を味わってみたが、この店のビチェリンが一番おいしいと確信している。また、ザバイオーネの飲み物も10種類以上あり、これも味がくどすぎず、美味である。私の友人で製菓会社に勤めるチョコレートの研究家がいるが、彼女がチョコレート祭が開催された時にお土産に10種類以上のチョコレートを会社の同僚に買って行ったが、ビチェリンのチョコレートが一番美味しかったと皆から褒められたという。この店は飲み物、チョコレートなどが美味しいだけでなく、創業が1763年でトリノで一番古いカフェでもあり、多くの歴史に彩られた場所である。
店内は狭く中央がカウンターになっていて、私がいつも座る入り口のすぐ左の大理石のテーブルは、イタリア王国初代首相カヴールがいつも座っていた場所だという。このカフェを訪れた人にはアレキサンドル・デュマ、ニーチェ、イタロ・カルヴィーノなど多くの有名人がいて、このビチェリンという飲み物は彼らを虜にした。プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」は、1896年トリノのテアトロ・レッジョで初演されたが、この頃プッチーニはこのカフェの近くに住んでいた。オペラの舞台となったのはパリの下町だが、その第2幕にカフェ・モミュスが出てくる。実はこのモミュスのモデルとなったのが、プッチーニが毎日通っていたビチェリンである。私が最初このカフェを見た時、何処かで見たような懐かしい気持ちに襲われたのも、どこかの劇場で同じようなカフェの舞台を見たからかもしれない。
現在の女主人マリーテ・コスタさんも感じのよい素晴らしい婦人であり、この歴史的カフェをアットホームな雰囲気にしている。コーヒーのほろ苦さ、チョコレートの甘さが微妙に溶け合うビチェリンを飲んでいると、「ラ・ボエーム」第2幕のムゼッタのアリアが聞こえて来る様な気がした。