●魅力的なポスターで第75回を迎える
ヴェネツィア映画祭が第75回を迎えた。国際的に知られるイタリアの漫画家・イラストレーター、ロレンツォ・マットッティが手がけたポスターも魅力的だが、この機会に新しくなった上映前のオープニング映像も、節目にふさわしく、無数の名作映画の画面が飛び出してくるビデオ。個人的には、一瞬現れる、『羅生門』の若き三船敏郎の野性的な笑い顔を見るのが毎回楽しみだった。75回にふさわしく、参加作品の質の高さでも評判の映画祭となった。
トップの写真: @75回映画祭ポスター 写真下左:Aメイン会場 写真下右:B開幕前夜の上映会(サーラ・ダルセナ会場)
●昔の名作の「デジタル修復」も世界プレミア
近年行われている開幕前夜の上映会では、なかなか見られない昔の映画を修復したものなどが紹介されている。今年はドイツのポール・ヴェゲナー監督の『巨人ゴーレム』(1920年)を見ることができた。ユダヤの伝説にある泥の巨人の物語で、16世紀のプラハでユダヤ人を守るためにつくられたゴーレムが、道を外れた目的で動かされて暴れだしてしまう。
写真下:C『ゴーレム』
監督自身が、このどこか可愛げのある泥の怪物を演じている。デジタル修復の世界プレミアだったが、この無声映画のために、アルバニアの音楽家Admir Shkurtajがビエンナーレの依頼で作曲した音楽がMesimer Ensemble によって生演奏され、それが素晴らしく合っていてよかった。
●金獅子賞はメキシコのキュアロン監督『ローマ』に
コンペでは今年もメキシコ人監督が活躍した。昨年、金獅子賞に輝き、今回は審査委員長を務めたギレルモ・デル・トロ監督に続き、金獅子賞を獲得したのは、メキシコのアルフォンソ・キュアロン監督。1970年代のメキシコシティの地区(ローマ)を舞台にした白黒映画『ローマ』は、監督の自伝的な映画という。
写真下左:D金獅子賞のアルフォンソ・キュアロン監督 写真下右:E『ローマ』
ブルジョア一家の住み込みのメイドとして働く先住民の女性の目を通して、1970年代の家族のあり方や騒乱の絶えない社会を描いている。父親不在の一家にあって母親もあれこれと忙しく、子供にとって一番身近な存在である「姐や」。この静かな存在は家庭にしっかり根をおろしていて、あてにならない男たちよりずっと「家族」なのだと感じられた。監督自身が自分の「姐や」を思ってつくった、日常のなかのささやかな詩情に満ちた作品だ。
住み込みの女中さんというと現代の日本にはあまり馴染みのない存在だが、ふと、漱石の『坊っちゃん』に出てくる下女の清を思い出した。映画祭2日目の公式上映からずっと金獅子賞候補と目されてきた『ローマ』だが、動画配信サービス Netflix制作の映画の初受賞ということでも話題になった。この映画は、劇場でも公開される。
●2作の「ウエスタン」が登場し話題に
映画祭には珍しいウェスタンが今年は2作あった。コーエン兄弟による『バスター・スクラッグスのバラード』(最優秀脚本賞)は、6話のエピソードからなり、命運の浮き沈みの激しい冷徹な西部をアイロニーたっぷりに語っている。
写真下:F『バスター・スクラッグスのバラード』
フランスのジャック・オーディアール監督の『シスターズ兄弟』(銀獅子賞の最優秀監督賞)は、無情に仕事を片付けていく人殺しの兄弟を描く。ホアキン・フェニックス演じる暴力的な弟に対し、ジョン・C・ライリーの演じる兄は心優しいインテリ。兄の自分がやるべきだった殺しを弟にやらせてしまったことを苦にしている。冷酷な殺し屋稼業を続けながらも繊細な心の持ち主なのだ。ジョン・C・ライリーの演技がそのデリケートさをよく伝えて面白かった。
写真下:G『シスターズ兄弟』
●「ステュアート朝最後の女王アン」と「ファン・ゴッホ」役にヴォルピ杯
優れた俳優を賞するヴォルピ杯は、男女とも実在した人物の役の演技に与えられた。ステュアート朝の最後の女王アンを演じたオリヴィア・コールマン(ヨルゴス・ランティモス監督の『お気に入り』)と、フィンセント・ファン・ゴッホを演じたウィレム・デフォー(ジュリアン・シュナーベル監督の『永遠の門』)である。デフォーの繊細にして激しい晩年のファン・ゴッホは圧倒的な存在感だった。
写真下右:H『お気に入り』
写真下右:I『永遠の門』
●塚本晋也監督の時代劇『斬、』に熱い拍手
日本からは塚本晋也監督が時代劇『斬、』で参加した。平和が長く続いた後の幕末、「いよいよ侍も本当にその役を果たせる」と、京都に馳せることを誘われる若い浪人(池松壮亮)。だが、彼には人が斬れない。イタリアの新聞がこの浪人・杢之進を「サムライ・オビエットーレ」と書いていたのが目に止まった。
写真下:J塚本晋也監督の『斬、』
Obiettore di coscienza、「良心的兵役拒否者」という言葉がある。イタリアでも兵役が義務だった時代に、自分の信念や宗教に照らして武器を手にする軍隊には入らず、市民団体などで兵役の倍の期間を過ごす若者がいた。「戦争」という名のもとにそう簡単に人が殺せるものなのか、というとても基本的な問いを投げかける。残念ながら受賞には至らなかったが、長く熱い拍手が送られた。
●イタリアからは話題作が出品
イタリアからは、20世紀初めにドイツ人画家がカプリ島につくった共同体に想を得たマリオ・マルトーネ監督の『カプリ・レボリューション』、ダリオ・アルジェントのホラー作品のリメイク『サスピリア』(ルカ・グアダニーノ監督)がコンペに、『アルマジロの予言』(エマヌエーレ・スカリンジ監督)、『オン・マイ・スキン』(アレッシオ・クレモニーニ監督)がオリゾンテ部門に出品されていたが、公式賞の受賞はなかった。
写真下:K『オン・マイ・スキン』
世界的な大ベストセラーとなった匿名作家エレナ・フェッランテの小説『L’amica geniale (非凡な友だち)』(小説の邦題は『ナポリの物語』)をもとにしたをもとにしたテレビドラマの2エピソードの特別上映も話題になった(コンペ外)。
写真下:L『ナポリの物語』
このなかで、現実の出来事を扱った『オン・マイ・スキン』には後日談がある。映画は、2009年に麻薬売買の疑いで国防省警察に拘束されていたステファノ・クッキが身体中に怪我を負って死亡した事件を扱い、その最後の日々を描いている。事件後、クッキの遺族は死亡原因の真実を明らかにするよう裁判に訴えてきたが、国防省警察は、兵舎内で暴力行為があったことを認めなかった(映画でも、閉じられた兵舎の扉の向こうで何が行われたかははっきり描かれていない)。この映画は公開後、各地の広場で自主上映会が行われるなど反響を呼んだが、この10月、新たに起こされていた裁判でクッキに対する暴力を当事者の一人が認め、裁判は新たな局面に入っている。
●レディ・ガガも突如出現しファンも大喜び
レッドカーペットの話題で締めくくろう。今年もリド島の会場は、華やかなスターたちを迎えて沸きに沸いた。オープニングを飾った宇宙飛行士アームストロングの伝記『ファースト・マン』で主役を演じたライアン・ゴズリング、『マウンテン』で怪しげな医師を演じたジェフ・ゴールドブラム、審査員のナオミ・ワッツやクリストフ・ヴァルツ、さらにはナタリー・ポートマン、ティルダ・スウィントン、ケイト・ブランシェット、ダコタ・ジョンソン……。
写真下左:Mイアン・ゴズリング 写真下右:Nジェフ・ゴールドブラム
写真下:Oティルダ・スウィントンとダコタ・ジョンソン
でも、あたりの興奮度を最大限にあげたのは、『スター誕生』のリメイク(日本では『アリー/スター誕生』。コンペ外、ブラッドリー・クーパー監督)で映画初出演のレディ・ガガだった。公式上映の会場であるサーラ・グランデのほか、最も多くの観客の入る、草地に組み立てられたテントづくりのパーラ・ビエンナーレ会場にも突如姿を表し、ファンを大喜びさせた。
写真下左:P『アリー/スター誕生』 写真下右:Qレディ・ガガ