●今回の映画祭、7月に亡くなった二人の映画監督に捧げる
今年の7月、二人の映画人が世を去った。イランのアッバス・キアロスタミ監督(享年76歳)とアメリカのマイケル・チミノ監督(77歳)。第73回を迎えた今回のヴェネツィア国際映画祭は、この二人の監督に捧げられることになった。
トップの写真: @金獅子賞受賞のフィリッピンのラブ・ディアス監督
写真下左:Aヴェネツィア映画祭会場 写真下右:Bビエンナーレ会長パオロ・バラッタ氏と映画祭ディレクターのアルベルト・バルベーラ氏
映画祭では急遽、二人へのオマージュとしてそれぞれの作品を上映することを決定。チミノ監督作は、主演のミッキー・ロークがとてもカッコよかった、懐かしの『イアー・オブ・ザ・ドラゴン』(1985年)、そしてキアロスタミ監督作は、監督が制作中であった『24フレーム』からの短編が上映された。また、長年アシスタントを務めたセイフォラ・サマディアンがキアロスタミ監督を撮った映像を集めた『This Is My Film: 76 Minutes and 15 Seconds with Kiarostami』(原題)も見ることができた。写真家としても知られるキアロスタミ監督の仕事ぶり、映画や写真についての考え、その生を至近距離で見せてくれる貴重なドキュメンタリーだ。
●オープニングを飾ったミュージカル映画
今年はオープニングにミュージカル映画を選んだことも話題になった。デミアン・チャゼル監督の『ラ・ラ・ランド』。女優を夢見るミア(エマ・ストーン)とジャズピアニストのセバスチャン(ライアン・ゴズリング)が反発し合いながらも惹かれ合っていく、ほろ苦い後味のラブ・コメディだが、ミュージカル、映画館、白熱のライブを繰り広げるジャズスポットなどへの濃厚なノスタルジーが漂う。往年のミュージカル映画の完璧な歌と踊りとは異なる、主人公たちのちょっと下手くそな踊りが、今はもう流行らないミュージカルへの追想感を深めるようだ。
写真下:CDオープニングのミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』
近年、ヴェネツィア映画祭のオープニングを飾るアメリカ映画がアカデミー賞で脚光を浴びる例が目立つが、この作品にも期待が集まっている。観客・批評家のあいだで評価の高かった映画だが、『ジャッキー』(米、パブロ・ラライン監督)でジャクリーン・ケネディを演じたナタリー・ポートマン、『ノクターナル・アニマルズ』(米、トム・フォード監督)と『アライヴァル』(米、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)の二作で主演を務めたエイミー・アダムスを押しのけ、エマ・ストーンが最優秀女優賞を獲得したときには、会場に驚きの声が上がった。
写真下:E『ジャッキー』
●金獅子賞はフィリッピンの鬼才ディアス監督の作品に
軽やかなミュージカルではじまった映画祭の最高賞、金獅子賞を射止めたのは、終盤で上映されたフィリピンの鬼才ラブ・ディアス監督の『The Woman Who Left』(英題)。3時間半を超える白黒作品だが、2008年にここヴェネツィアのオリゾンティ部門でグランプリに輝いた『メランコリア』は7時間半、2013年にカンヌ映画祭に出品された『北(ノルテ)--歴史の終わり』は4時間10分……と大作で知られる監督だから、この作品は比較的スリムな類に入る。
写真下:F金獅子賞受賞のラブ・ディアス監督『The Woman Who Left』
トルストイの短編「コーカサスの虜」を下敷きに、不当にも30年も刑務所に拘束されていた女性オラシアが自分の過去と向き合う過程を、1997年のフィリピンを舞台に描いている。近年、国際映画祭で評価が高く、ヴェネツィアでも受賞経験のあるディアス監督の金獅子賞は、作品の芸術性を重視する本フェスティバルの傾向を再確認するものとなった。なかなか映画館にかからないディアス監督の作品だが、受賞で少しでも一般公開が容易になるだろうか。
●トム・フォード監督『ノクターナル・アニマルズ』が銀獅子賞
銀獅子賞(審査員大賞)のトム・フォード監督(『ノクターナル・アニマルズ』)もヴェネツィア映画祭とは縁の深い監督だ。この著名なファッションデザイナーが映画監督としてデビューし、『シングルマン』を披露したのは2009年のヴェネツィアだった。
写真下:G銀獅子賞のトム・フォード監督
今回は、オースティン・ライトのミステリー小説『ミステリー原稿』をもとに、ギャラリーの女性オーナー、スーザンが、前夫から送られてきた原稿を読んで、そのバイオレンスに動揺していくさまが語られる。フォード監督自身のものでもあるはずの、アート(監督の場合はファッション)の最先端のきらびやかな世界を、冷たい目で描いているのも興味深い。
●アルゼンチンのオスカル・マルティネスに最優秀男優賞
最優秀男優賞のオスカル・マルティネス(M・コーン&G・ドゥプラット監督『名誉市民』、アルゼンチン、スペイン)は、大方の予想通りの受賞だった。故国アルゼンチンを離れて数十年になる作家マントヴァーニが、故郷の村の招待を受けて帰国することになる。
写真下:H『名誉市民』のオスカル・マルティネス
故郷の出来事や雰囲気を作品に描いてきたマントヴァーニと村の人々の関係は、表向きのにぎにぎしい歓迎だけではすまない複雑なものであるのが次第に見えてくる。今やヨーロッパに暮らす知識人と、故郷の人々のあいだの埋めようのない溝をコミカルに描くのだが、状況は笑えない事態に展開していく。したたかな作家の顔と帰郷を純粋に楽しもうとする里人の顔とを演じるマルティネスの力量で、最初から最後まで楽しめる。
●イタリアは惜しくもコンペ受賞を逃がす
イタリアは三作がコンペに出品されていて期待が高かったのだが、どれも賞には及ばなかった。妊娠がわかって慌てる高校生のカップルと、本人たち以上に慌てふためく親たちを描く『ピウーマ』(ローアン・ジョンソン監督)、セルヴィアのベオグラードで仕事を見つけた親友を車で送る、四人の女友達のロードムービー『ディーズ・デイズ』(英題、ジュゼッペ・ピッチョーニ監督)、そして、中でも特に注目されていたM・ダノルフィ&M・パレンティ監督のドキュメンタリー『スピラ・ミラビリス』。
ミラノの大聖堂上で風雨に曝される彫刻の修復(土)、不老不死のベニクラゲを研究する京大の久保田信教授(水)、手間ひまをかけてパーカッション楽器を制作する夫婦(空気)、アメリカ先住民ラコタ族の人々(火)と、四元素になぞらえた映像から、人の限界と不滅なるものの間の旅を見せている。
写真下:Iイタリア映画『スピラ・ミラビリス』
イタリア映画で唯一、公式賞を獲得したのは、オリゾンティ部門(最優秀作品賞)のフェデリカ・ディ・ジャコモ監督『リベラミ(私を自由にして)』。 ベテランのエクソシスト、カタルド神父とそのもとを訪れる「悪魔に取り憑かれた」人々を見つめるドキュメンタリー作品だ。自分では解決できない問題と向き合う人々がどのように宗教を生きるかを描いていて衝撃的だ。
写真下:Jイタリア映画『リベラミ』
●イタリアはドキュメンタリーやコンペ外出品に興味深い作品
イタリアの作品では、このほかにもドキュメンタリーに興味深いものがあった。ヴェネツィア・クラシック(ドキュメンタリー部門)の『ボッツェット・ノン・トロッポ』(マルコ・ボンファンティ監督)は、1976年の『ネオ・ファンタジア』(原題はアレグロ・ノン・トロッポ)やその他の作品で知られるイタリア・アニメ界の大巨匠ブルーノ・ボッツェットの日常を追う作品。78歳にして今も活動的に制作を続ける大アーティストを身近に感じることができ、ファンにはとてもありがたい。
写真下:Kイタリア映画『ボッツェット・ノン・トロッポ』から『ネオ・ファンタジア』の一場面
コンペ外の出品作品、エンリコ・カリア監督の『歴史を変えられなかった男』(L’uomo che non cambio' la storia)とは、1938年5月のヒトラーのイタリア訪問時に美術作品の解説をするガイド役を仰せつかった、若き考古学者のランヌッチョ・ビアンキ・バンディネッリだ。敢えて反ファシズム的な動きに身を投じてはいないもののリベラルな思想の持ち主で、ガイド役を断れば研究や家族の平穏が脅かされると思い悩む。いや、それよりも、うまくいえばムッソリーニとヒトラーをいっぺんに葬り去ることのできる稀有のチャンスを自分は与えられたのかもしれないという思いが頭をもたげる……。貴族のエレガントさをもってガイド役を果たすビアンキ・バンディネッリの映る歴史的映像と、後年発見された手記の記述とで構成されている。人の思いは歴史にならないが、歴史的な出来事の裏にはどれだけの悩みや思惑が渦巻いているのだろうと思ってしまう。
写真下:L『歴史を変えられなかった男』
●日本映画はコンペへの出品なし
今回、日本映画はオリゾンティ部門に『愚行録』(石川慶監督)が、ヴェネツィア・クラシックの修復映画部門に『七人の侍』(黒沢明監督)、『ざ・鬼太古座』(加藤泰監督)が出品された。コンペに出ていないのがやはり残念だ。
●イタリア女優モニカ・ベッルッチが艶やかな姿で魅了
最後に、華やかなレッド・カーペットに目を移そう。コンペ外の出品で、パオロ・ソッレンティーノ監督がTVシリーズとして制作した『ザ・ヤング・ポープ』の一部が上映された。バチカン史上初のアメリカ人にして最年少の法王を演じるジュード・ロウは、ファンの歓声がひときわ熱くなったスターのひとりだ。
写真下左:M『ザ・ヤング・ポープ』のソッレンティーノ監督とジュード・ロウ
写真下右:N『オン・ザ・ミルキー・ロード』のモニカ・ベッルッチ
昨年、ボンドガールとして『007』にも登場したモニカ・ベッルッチは、イタリアの誇る美人女優。クストリッツァ監督の『オン・ザ・ミルキー・ロード』に主演し、変わらぬあでやかな姿が眩しかった。
ヴェネツィア映画祭でもおなじみ、実力もあって人気絶大のマイケル・ファズベンダーは、共演者にして撮影中に現実のパートナーともなったアリシア・ヴィキャンデル(『ザ・ライト・ビトウィーン・オーシャンズ』)とともに笑顔を振りまいてくれた。