●開設以来80年目を迎える今年の映画祭
8月末から9月にかけて行われた第69回ヴェネツィア映画祭、今年は1932年の開始以来ちょうど80年目にあたる。世界でいちばん歴史の古いこの映画祭も、今ではカンヌ、ベルリン、トロントなどはもとより、国内にもトリノ、ローマなど、ライバル映画祭は数多い。特に今回は、長年ディレクターをつとめたマルコ・ミュラー氏が任期切れののち再更新ならず、7年前にヴェネツィアに対抗する形で誕生したローマ映画祭に迎えられて話題になった。
トップの写真: @ナポリターノ大統領と握手するロバート・レッドフォード。両隣はビエンナーレ代表バラッタ氏(左)と映画祭ディレクター、バルベーラ氏(右) 写真下左:Aヴェネツィア映画祭会場 写真下右:B1938年のリド島会場付近に並ぶポスター
ヴェネツィアのほうは、98年から4年間ディレクターをつとめ、トリノの国立映画博物館館長でもあるアルベルト・バルベーラ氏が返り咲き。経済低迷の続くなか、予算縮小のため出品作品も減らされたが、質の高い作品ぞろいで大好評のうちに幕を閉じた。年々映画数が増えて、見たくても見られないというストレスも増していたから、作品減を歓迎する人も多かった。
レッド・カーペットに登場するハリウッド・スターも例年より少なく、派手さはなかったが、中身は濃かった思う。監督・主演を兼ね、コンペ外の招待作品(『The Company You Keep』)で参加したロバート・レッドフォードが、貴重な存在だった。
●三巨匠の作品は期待はずれ
今回はテレンス・マリック(『トゥ・ザ・ワンダー』)、ブライアン・デ・パルマ(『パッション』)、北野武(『アウトレイジ・ビヨンド』)らの巨匠たちがコンペにずらりと登場したことでも注目されたが、三巨匠の作品はいずれも期待はずれだった。
写真下 :C『ザ・マスター』
新興宗教サイエントロジーをモデルにしたとされるポール・トーマス・アンダーソン監督の『ザ・マスター』が、当初から金獅子賞の噂が高かったが、監督賞である銀獅子賞を獲得。この映画でカリスマ的な教団創始者を演じるフィリップ・シーモア・ホフマンと、弟子となり、また去っていく放浪のダメ男を演じるホアキン・フェニックスが、ともに男優賞のヴォルピ杯を手にした。まったく正反対のこのふたりの不思議に惹き合う関係が、この映画の最大の魅力だった。
●韓国のキム・キドク監督の「ピエタ」金獅子賞受賞
今回、金獅子賞をしとめたのは、アジアの巨匠キム・ギドク監督の『ピエタ』で、韓国映画の初の金獅子賞受賞となった。母親を知らずに育った非情な借金取りの青年の前に母だと名乗る謎の女性が現れ、信じまいとしても青年は次第に母の存在を受け入れていく。借金で首のまわらない小さな作業所のひしめく貧しい街角の、激しくも不思議な詩情のある映画だ。
写真下左:D金獅子賞のキム・ギドク監督 写真下右:E『ピエタ』
またもイタリア映画が受賞できなかったことを、当地のマスコミは騒ぎたてたが、審査員のひとり、アーティストのマリーナ・アブラモヴィッチの、「私たち審査員はみんな異なる文化を背景にもつ、これまで互いに会ったこともない人間の集まり。なのに、この作品を見て、みな同じ感情にうたれた」というコメントが印象的だった。
●現代の社会問題を問いかけたイタリア映画
コンペ出品の三作のイタリア映画のうち、イタリアで大きな期待が集まっていたのは、マルコ・ベロッキオ監督の『眠れる美女』。3年前にイタリアを揺るがしたエルアーナ・エングラオさんの尊厳死問題を扱っている。17年も植物状態にある娘の意思を尊重して、父親が尊厳死を求める訴えを起こし、延命措置の解除が認められたことから、イタリアは賛否に二分され、倫理、宗教のみならず政治までを巻き込んだ大論争になった。
写真下 :F『眠れる美女』 左端に名優トーニ・セルヴィッロ
結局エルアーナさんはイタリア国内の病院で亡くなったのだが、映画はその大騒ぎの真っ最中に進行する、生と死のきわどい境目をめぐるいくつかの物語からなる。数々の極端な反応が見られたこの重い出来事をデリケートに扱った作品で、受賞にはいたらなかったが、考えさせられる映画として高く評価された。
フランチェスカ・コメンチーニ監督(ルイジ・コメンチーニ監督を父とし、姉クリスティーナも監督という映画一家の出)の『特別な一日』も、仕事を得るのに若者が数々の妥協を強いられ、犠牲を払わざるを得ないという、現代イタリアの深刻な問題がテーマ。たまたま仕事初日をともにすることになった若い男女の一日を(希望と苦々しさの入り混じる結末となるのだが)、コメディタッチで描いた佳作である。
写真下左:G『特別な一日』 写真下右:H『息子がやった』トーニ・セルヴィッロと新人賞を獲得したファブリツィオ・ファルコ
また、ダニエーレ・チプリの『息子がやった』も、マフィアの銃撃戦に巻き込まれて殺された幼い娘の賠償金が引き金となって、貧しいながらも懸命に生きてきた一家が混迷してしまうという、現代イタリアにありがちな悲劇をコミカルに描き、撮影賞を受賞した。この作品と『眠れる美女』の両方に、今イタリアで最も力量の認められているトーニ・セルヴィッロが出演していることも話題だったが、同じく両作品に出演したファブリツィオ・ファルコが新人俳優賞を受賞。大きな賞こそ得られなかったものの、イタリア映画も大奮闘だった。
●優れたドキュメンタリーの目だったイタリア映画
イタリアに関するものでは、多くの優れたドキュメンタリーが目立った。新たに修復された映画の部門では、80年記念にふさわしく、1932年から52年までの映画祭の取材映像を集めたものが興味深かった。ダニエーレ・ヴィカーリ監督の『幸せの船』(La nave dolce)は、1991年にアルバニアのドゥラッツォ港から二万人もの人々を乗せて難民船がバーリに到着した事件を扱う。当時イタリアの人々が信じられない思いで見つめたその衝撃的な映像、イタリア側の矛盾に満ちた対応を再び見せつけられたが、その経験を振り返るアルバニアの人たちの穏やかな口調が印象的だった。
写真下左:I『幸せの船』 写真下右:J『エンツォ・アビタービレ』
『電気椅子』(モニカ・スタンブリーニ監督)というショッキングなタイトルのドキュメンタリーは、車椅子生活を強いられて撮影から遠ざかっていたベルナルド・ベルトルッチ監督の、9年ぶりの映画撮影の現場を見せるもの。イタリアの人気作家アンマニーティの小説の映画化だが、ベルトルッチが電動の車椅子(それを本人が「電気椅子」と呼んでいる)でスピーディに現場を動き回る姿が嬉しかった。
最後に、これはアメリカ映画だが、『羊たちの沈黙』のジョナサン・デミ監督の『エンツォ・アビタービレ』がとてもよかった。アヴィタービレは、知る人ぞ知るナポリのミュージシャン。初めて触れたその音楽も素晴らしかったが、レモン畑のおじさんの歌声、ナポリの町にしみ込んだ音楽や人情がとても温かかった。