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ヴェネツィア・ビエンナーレ通信
 
15 giugno 2009
Notizie dalla Biennale di Venezia

第5回
ビエンナーレと日本(2)
戦後は日本館を建設して公式参加







中山エツコ
●戦後初は1948年の「ヨーロッパ前衛美術の展望」
ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展は1895年に始まり、第一次大戦のため1914年から1920年、また第二次大戦中の1944年と戦争直後の1946年には開催されなかったが、1948年の第24回展はヨーロッパの前衛美術を展望する大企画をもって再開した。はじめて67歳のピカソの展覧会が行われ、マックス・エルンスト、ダリ、カンディンスキー、クレー、ミロなどの作品が話題を呼び、カッラ、モランディなどの「イタリア形而上画家展」が行われたほか、各国パヴィリオンもフランスのブラック、シャガール、オーストリアのエゴン・シーレ、ユーゴスラヴィアのオスカー・ココシュカなど、大家を据えて戦後初のビエンナーレを盛り上げた。しかし諸国がまだ大戦の混乱からすっかり立ち直ってはいない状況で、国としての正式参加は15カ国にとどまった。
  
写真トップ:@第28回(1956年)で初の国際大賞受賞を受賞した棟方志功作「「湧然する女者達々」

日本については、1924年の第14回展にイタリア人の監修のもと約十名の日本人作家の出展のあったことがビエンナーレの記録に残っているが、だいたいが名字しか知られないこれらの出展者がどのような作家であったのかは、よくわからないようだ。

写真左・中:A B第26回展(1952年)横山大観 「飛泉」、右:C第27回展(1954年)岡本太郎「娘と犬」

●日本は1952年から国として正式参加
1897年の第2回展ののち日本が国として正式参加したのは1952年の第26回展である。それ以来欠かすことなく今日に至るわけだが、戦後初のビエンナーレ参加という国際文化事業は経済的にも楽ではなかったらしく、読売新聞社の資金援助を得て実現を見たという。出展は日本画にするべきか洋画かという葛藤を経て、結局両者を含む、梅原龍三郎、安井曾太郎、鏑木清方、横山大観ら、11名の作家が選ばれ、コミッショナーの任も負った梅原龍三郎氏が代表としてヴェネツィアに赴いた。中央館内の一室を借りての参加だったが、結果としては日本の展示はあまりインパクトがなかったという感想が日本の美術界で言われた。1952年の時点では参加することはとにもかくにも大変だったのだろう。この年はフランスのラウル・デュフィが絵画部門、アメリカのアレクサンダー・カルダーが彫刻部門で国際大賞を受賞し、参加国数は26か国だった。

1954年の第27回展は、招待を受けたものの、 なかなか予算が確保できず参加が危ぶまれたという。今回の出展は洋画家二名にしぼり、長老的存在の坂本繁二郎、前衛作家の岡本太郎が各十点ずつ展示した。しかし、あとになって28回展はシュルレアリスムが中心となることがわかったりなど、国際舞台で他国と足並みを揃えるのはなかなか大変であったことがうかがえる。この年の国際大賞受賞は三名で、マックス・エルンスト(絵画)、ジャン・アルプ(彫刻)、ジョアン・ミロ(版画)だった。

●1956年に「日本館」建設・棟方志功が国際大賞受賞
1895年の第一回にカステッロ地区の公園に展覧会場が建設されて以来、1907年のベルギー館を皮切りに、フランス、スイス(共に1912年)と、次第に各国のパヴィリオンが建設されていき、現在では28の国別パヴィリオンがある。戦後になって公式参加した日本にも、パヴィリオンを造らないかという誘いがあった。これが会場の「ジャルディーニ」に残るおそらく最後の敷地だろうと言われて、政府がついに日本館建設を決めたのは1955年のことだった。しかし、建設費のめどが立たず、最終的には政府の予算三百万円に加えて、ブリヂストン社会長の石橋正二郎氏から約二千万円の寄付があってようやく実現したという。建設工事が着工した1956年3月はビエンナーレ開幕の三か月前。オープニングに合わせて大急ぎで建設工事が進められ、直前に完成した。

小さな丘の上に建つ形の吉阪隆正氏設計の建築は、第28回展の開幕と同時に評判を呼んだという。これが50年以上を経て今も使われている日本館だ。初めて自国のパヴィリオンを得ての、借り物ではないスペースでの出展には、棟方志功、須田国太郎、彫刻の植木茂など六名の作家が選ばれた。そしてこの1956年は、「二菩薩釈迦十大弟子」、「湧然する女者達々」など力強い五点の作品を展示した棟方志功氏が、日本人として初めて国際大賞(版画部門)を受賞するという、記念すべき年となった。

写真左:D第34回展(1968年) 高松次郎
右:E第52回(2007年)「わたしたちの過去に、未来はあるのか」の展示を準備中の岡部昌生氏

●池田満寿夫、篠山紀信、草間彌生等の活躍
ビエンナーレの最高の賞であるこの賞を受賞した日本人はもう一人いる。そのちょうど十年後の第33回展に出品した池田満寿夫氏。同じく版画である。その次の第34回展は、1968年という世界中が学生運動に揺れ動いた年にあたり、ビエンナーレもその影響で混乱を抱えたままに開かれ、反体制的な運動への共鳴を示して、作品を裏返しにして展示したり、作品に覆いをかけたりしたアーティストもあったという。日本館も公開するかどうかともめたが、予定通り公開した。出品者はすでにビエンナーレ参加経験のある画家の菅井汲氏ら四名で、高松次郎氏が「Dimension Perspective(公園/天/速度/空間)」というインスタレーションで、多くのアーティストを発掘し、現代アートの紹介に力のあった著名なコレクターの名を冠したカルロ・カルダッツォ賞を受賞した。しかし第34回展からはいっさい賞は廃止され、1986年に金獅子賞を最高賞とする制度が復活するまで賞なしのビエンナーレが続いた。

日本からの参加は常に複数の作家の出品からなっていたが、1976年にははじめて個展が企画された。農家、武士の家、米問屋、私邸、公衆浴場と、「家」を撮った篠山紀信氏の写真45点である。美術展全体の統一テーマが「環境」であったのに合わせたもので、展示ディスプレイは建築家の磯崎新氏が手がけた。その後、日本館が個展を企画するのは1994年の第45回展で、出品者は草間彌生氏。女性作家として公式参加するのは二人目だが、60年代に「前衛の女王」と呼ばれた草間氏は、66年にヴェネツィア・ビエンナーレにゲリラ的に参加してハプニングを行っている。

写真左:F 第45回展(1994年)草間彌生「ミラールーム(かぼちゃ)」、右:G 第53回(2009年)やなぎみわ「老少女劇団」

ちなみに私は1980年代後半あたりから、ビエンナーレのおぼろげな記憶があるのだが、最も強烈に印象に残っているのが草間氏の展示。黄色の壁に黒の水玉がたくさんついた「ミラールーム(かぼちゃ)」ですっかり水玉に取り囲まれたときの感覚や、どこまでも増殖していくような不思議なモノがいっぱいに生えた「アキュミュレーション」など、目で見ているだけで触覚を感じてしまうような作品が忘れがたい。第六の、第七の、感覚を刺激されたような思いだった。オープニングでは「かぼちゃ」の衣裳を着けた草間氏が観客を迎え、ミニかぼちゃをプレゼントしてくれた。

●今年の日本館は「老少女劇団」(やなぎみわ作)でパワー爆発
1990年代ではまた、95年第46回展の出品者のひとりであった日本画の千住博氏が優秀賞を受賞して話題になった。ひとりずつ中へ入って鑑賞する内藤礼氏の「地上にひとつの場所を」(1997年)は、日本館の前に長蛇の列ができ、作品を見るために「靴を脱ぐ」というのも珍しがられた。見ることができた人は「素晴らしかった」と言っていたが、私はついに入れず、結局そのままになってしまった。ビエンナーレ美術展を見ると、アートとはほんとうに多様なものだと思う。前回2007年の岡部昌生氏は、広島港にある旧国鉄宇品駅のプラットホームを擦りとったフロッタージュで館内の壁を埋めつくし、また会場の外へ出て、地元の人を巻き込んで「ヴェネツィアの町を擦りとる」ワークショップを展開した

第53回の今年は、やなぎみわ氏の「老少女劇団」。天井に届かんとする巨大な白黒写真の中で暴れ狂う、荒々しくも妙に陽気な破壊的パワーに圧倒された。日本館の外側が「死の流動性」を象徴するという覆う黒いテントで覆われ、生と死の攻防がその中に持ち込まれたのも、老朽化が進み、改修の必要が叫ばれながら生きながらえている、53歳の建物にふさわしかったかもしれない。

著者プロフィール
中山エツコ (Etsuko Nakayama)
東京都出身。ヴェネツィア在住。日本語を教えるかたわら、文芸翻訳に携わる。訳書にピエーロ・カンポレージ著『風景の誕生--イタリアの美しき里』(筑摩書房)、トンマーゾ・ランドルフィ著『月ノ石』(河出書房新社)、その他。
ヴェネツィア・ビエンナーレ情報

www.labiennale.org
-第53回ビエンナーレ国際美術展 2009年6月7日〜11月22日
-第66回ヴェネツィア国際映画祭 2009年9月2日〜9月12日

■第53回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展データ
主催:ラ・ビエンナーレ・ディ・ヴェネツィア
日程:6月7日〜11月22日(午前10時〜午後6時)
場所:ヴェネツィア、ジャルディーニ会場(月曜休)、アルセナーレ会場(火曜休)
サイト:www.labiennale.org
入場料:18ユーロ(2会場に1回ずつ入場できる。別々の日の入場も可)
受賞:
生涯業績部門金獅子賞=オノ・ヨーコ、ジョン・バルデッサリ
最優秀パヴィリオン金獅子賞=アメリカ館(出品作家ブルース・ナウマン)
Making Worlds展最優秀アーティスト金獅子賞=トビアス・レーバーガー (ドイツ)
Making Worlds展最優秀新人銀獅子賞=ナタリー・ユールベリ(スウェーデン)

■その他
ビエンナーレ・ダンス部門 6月20日から28日まで、プロジェクト「グラード・ゼロ(零度)」の一環としてマイケル・クラーク・カンパ ニー、イズマエル・イヴォらのステージが行われる(http://www.labiennale.org/en/dance/program)。

写真クレジット
写真@ 第28回(1956年)棟方志功「「湧然する女者達々」
(c)Fondazione La Biennale di Venezia - ASAC
写真AB 第26回展(1952年)横山大観 「飛泉」
(c)Fondazione La Biennale di Venezia - ASAC
写真C 第27回展(1954年) 岡本太郎 「娘と犬」
(c)Fondazione La Biennale di Venezia - ASAC
写真D 第34回展(1968年) 高松次郎 「Dimension Perspective(公園/天/速度)」
(c)Fondazione La Biennale di Venezia - ASAC Foto Ferruzzi
写真E 第52回(2007年) 「わたしたちの過去に、未来はあるのか」の展示を準備中の岡部昌生氏 (c)Fondazione La Biennale di Venezia - ASAC Foto di Michele Gregolin
写真F 第45回展(1994年)草間彌生「ミラールーム(かぼちゃ)」
筆者撮影
写真G 第53回(2009年)やなぎみわ「老少女劇団」
筆者撮影

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