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ヴェネツィア・ビエンナーレ通信
 
15 aprile 2009
Notizie dalla Biennale di Venezia

第4回
ビエンナーレと日本(1)
19世紀末の日伊交流に大きく貢献







中山エツコ
もう記憶の片隅からも消えかけていた古いエピソードだが、まだ留学生だった20年余りも昔のこと、知人の知り合いの、そのまた知り合いというイタリア人女性が、家に伝わる日本の絵を見てほしいと言ってきた。自分たちには価値がわからないので、ぜひ日本人に見てもらいたいと言う。私だって日本の美術に詳しいわけでもない、ただの一学生。私が見てもわからないと思う、と正直に言うと、それでもいいから、とにかく見てほしいと言う。今から考えれば、当時いかにヴェネツィアの日本人が少なかったか、日本が遠い国だったかと思わせるような話だが、私にも好奇心はあったのでお宅に伺った。上品なご婦人が私の前に出して見せたのは、透明な水底に戯れる何匹かの緋鯉を描いた絹本だった。落款を見ても、ピンとくるような名前は読みとれない。

確かに美しいけれども、特に珍しくもない鯉の絵。「初期のビエンナーレ美術展に出展されたものなのです」と言われて戸惑った。ビエンナーレといえば現代美術の最先端というイメージしかなかったので、いかに明治時代といえ「鯉」がどうしてもしっくりこなかったし、初期と言われて唯一思い浮かんだのはクリムトの作品も展示された(1910年)、ということだった。やはり私には価値云々はわからないと言って失礼したが、実はこちらは少々混乱していた。彼女のほうは私が絵を見て「あっ!」と顔色を変えるとか、そのようなことを期待していたのだろうか。
  
写真トップ:@1895年第一回国際ビエンナーレ美術展。
イタリア国王ウンベルト一 世、マルゲリータ女王来臨のもと開会式が行われる。
写真すぐ右上:A1897年第二回国際ビエンナーレ美術展ポスター

●ヴェネツィアで初めて日本人教師の日本語講座スタート
近年になって日伊交流の研究も増え、いろいろ読み聞きする機会があって、初期のビエンナーレについて私も少しは事情を知るようになった。19世紀末の日伊交流にとってヴェネツィア、そしてビエンナーレ美術展が重要な役割を果たしたことも。

日本が西洋の文化を取り入れ、日本文化を西洋にアピールしようとしていた明治に入って間もない1873年に、ヨーロッパにおける最初の日本総領事館が設立されたのはヴェネツィアだった。同じ年、ローマには日本公使館が設立された。これは、岩倉具視の遣米欧使節団のイタリア滞在に合わせてのことで、明治政府が初めて公式参加した博覧会として知られるウイーン万国博覧会(1873年)のためでもあった。統一イタリア王国が成立してから首都はトリノ、フィレンツェ、そしてローマ併合後の1871年にはローマに遷都されたから、公使館が置かれるのは自然としても、その頃繁栄していたわけでもないヴェネツィアに最初の領事館というのは驚かれるかもしれない。しかし、ウイーンは遠くないし(現在では電車で約7時間)、なにより1869年のスエズ運河の開通で、ヴェネツィアはヨーロッパとアジア方面を近距離で結ぶ港になっていた。総領事館の最初の仕事は、ウイーン万博への出品物の受け入れだった。

もっとも翌74年にはより重要度の高いミラノ、そしてマルセイユへと移されてしまい、ヴェネツィアには名誉領事として、ひとりグリエルモ・ベルシェーというヴェネツィア人が残った。そして教養高いこの人物が、30年余りに渡って日本との交流・通商を促進し、ヴェネツィアの日本人・日本関係者に保護を与える役割を果たしたのだという。

写真下:Bヴェネツィア商業高等学校(現ヴェネツィア・カ・フォスカリ大学)の教授たち。
1912年頃。三列目左から三人目に六代目の日本人教授で画家の寺崎武男氏。(写真提供:ヴェネツィア・カ・フォスカリ大学)

1873年の末にはまた、イタリアで初めて日本人教師による日本語講座がヴェネツィアで開講された。1868年創立のヴェネツィア商業高等学校(ヴェネツィア・カ・フォスカリ大学の前身)の選択科目としてだったが、この学校自体、スエズ運河の開通を見込んで商業分野の人材を育成するためにつくられ、日本語を始めるにあたっては東方貿易における過去の栄光を取り戻したいという、ヴェネツイア市の願いが込められていた。これには、明治天皇の信頼も厚かった東京駐在のイタリア公使アレッサンドロ・フェー・ドスティアーニ伯爵も協力し、一代目の教師には公使の秘書であった吉田要作が就任した。講座は人気で、学生たちが熱心に受講する様子は地元の新聞でも伝えられ、「昨日は祝日であったが、勉強したいという学生たちの熱意に応えて、授業が行われた」という記事まで書かれたほど。

二代目には緒方洪庵の第十子の緒方惟直、三代目には画家の川村清雄、次いで彫刻家の長沼守敬があたり、伊藤平蔵(のちの東京外語大イタリア語教授)が教えた1888年を最後に講座は中断されるが、十年後の1908年に画家の寺崎武男を迎えて再開し、商工会議所の援助で15年間続けられた。みな、商業や特に美術を学ぶ目的でイタリアに留学していた日本人である。                      

●1897年の第2回ビエンナーレに日本公式参加
一方、イタリア国王ウンベルト一世の成婚25周年を記念して、ヴェネツィアで二年毎(ビエンナーレ)の国際美術博覧会の第一回が催されたのは1895年。日本は第二回の1897年に公式参加する。この実現に尽力したのがヴェネツィア駐在日本名誉領事のベルシェー、そして出展作品の選択には、帰国して日本で活躍していた彫刻家の長沼守敬があたった。 

写真左:C1897年第二回国際ビエンナーレ美術展。ジェノヴァ公トンマーゾ来臨のもと開会式が行われる。
¨ 写真右:D1897年第二回国際ビエンナーレ美術展に出品された35点の絵画のひとつ、佐藤紫煙作「櫻花錦鳩圖」

この頃ヨーロッパでは、特にパリやロンドンを中心にジャポニズムが流行していて、浮世絵や工芸品への関心が高く、明治政府はこのジャポニズム人気を利用して、美術品、工芸品の輸出に力を入れたいと考えていた。イタリアではその流行もまだそれほど見られず、この第二回ビエンナーレは、そのイタリアにおける最初の日本美術の紹介だった。フェー・ドスティアーニ伊公使、ベルシェー名誉領事、長沼らの人間的つながりがあって初めて可能になったことだという。本来ビエンナーレ展は同時代の純粋美術のみを対象とするが、日本の公式参加にあたっては、美術と工芸を分けるのがむずかしい日本の事情を考慮して、例外的に工芸品の出品も認められた。また、初の紹介ということで、古美術の出展も求められたが、オリジナルを借りてイタリアまで送るのはリスクが大きすぎると、実現しなかった。

最終的に日本から出展されたのは絵画35点、「器物」(応用美術)69点。野口幽谷、川端玉章、彫刻の高村光雲らの名が見られるが、あとは正直言って私には馴染みがない。出品者は、政府の殖産興業の一環として伝統美術品を奨励振興するのが目的の日本美術協会に属する作家たちだった。研究書にある目録によると、私が80年代に見せてもらったあの絵は、雲林院蘇山の「游鯉圖」。そのほかの作品も、花鳥圖、山水、梅林夜景圖……と伝統的な題が続く。明治日本にとって花鳥山水は外国に向けて日本の美を代表する(そしておそらくは輸出に適した)題材だったのだ。言われてみれば、それも当然かもしれない。

会場の中でもよい場を与えられた日本の展示は、特に専門家の間で話題になったというが、しかし日本の公式参加はこの第二回きりで、その後は戦後を待たなければばならない。その間に個人で参加した日本人はいる。なかでも、ヴェネツィアの六代目の日本人教授にあたる画家の寺崎武男は、1930年の第17回ビエンナーレに参加して、「幻想/観音」というテンペラの大作で日本人として初めて入賞している。また、同年ローマで開かれ、世界的な反響のあった「日本美術展覧会」のプロデュースも手がけたという。19世紀末に始まったビエンナーレと日本語講座は微妙に絡み合っているようだ。

最後に雲林院蘇山の「游鯉圖」だが、何年か前に日本人の美術の専門家の目に留まり、短いながら報告記事が書かれた。あのご婦人も喜ばれたことだろう。

著者プロフィール
中山エツコ (Etsuko Nakayama)
東京都出身。ヴェネツィア在住。日本語を教えるかたわら、文芸翻訳に携わる。訳書にピエーロ・カンポレージ著『風景の誕生--イタリアの美しき里』(筑摩書房)、トンマーゾ・ランドルフィ著『月ノ石』(河出書房新社)、その他。
ヴェネツィア・ビエンナーレ情報

www.labiennale.org
-第53回ビエンナーレ国際美術展 2009年6月7日〜11月22日
-第66回ヴェネツィア国際映画祭 2009年9月2日〜9月12日

参考:石井元章『ヴェネツィアと日本--美術をめぐる交流』、アドリアーナ・ボスカロ「ヴェネツィアの日本人教授」(ヴェネツィア大学創立140年記念学会「1868年--日伊文化交流」の発表)、館山市立博物館『寺崎武男の世界』
写真クレジット @:(c)Fondazione La Biennale di Venezia - ASAC Foto di Giacomelli-Venezia  A:(c)Fondazione La Biennale di Venezia - ASAC   Foto di: Giorgio Zucchiatt、  B:写真提供:ヴェネツィア・カ・フォスカリ大学 CD: (c)Fondazione La Biennale di Venezia - ASAC

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