某月某日、朝靄残るフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅8時39発ESエウロスター・ヴェネツィア行きにいつものように素早く乗り込む。列車到着直前まで番線が決まらないのはいつものこと。それでも駅ホームに掲示されている時刻表を見れば出発番線のめどは大体つくものの、何よりも困るのは1号車が先頭なのか最後尾なのか分からないことである。12両編成のETR500系の場合1等車は1号車から4号車までで全長は354m。つまり1号車から12号車まで荷物を持って時速5kmで移動したとしても7分ばかりかかる計算になる。出発直前の時間のない時、これは大変厳しい。なので私はフィレンツェから乗る場合極力4号車を指定するようにしている。
そんなESエウロスターもいつものように順調にアペニン山脈を越えてボローニャ駅を通過、パドヴァ駅着が10時55分。ここで11時15分発のESリンクに乗り換える。聞き慣れないESリンクとはバスのことである。これはイタリア鉄道FSが所有する長距離バスで、時に鉄道路線をショートカットしたり、真夏やクリスマスなどの移動ピーク時には臨増便となって活躍する。実は噂のESリンクに乗るのはこれがはじめて。案内表示もなく、見知らぬ町のバス停は行き先表示を見ても見知らぬ地名ばかり。不安になりながらもそれらしきバス停で待つと、出発時刻ギリギリになってようやくESリンクが到着した。心臓に悪いことこの上ない。
しかし一度バスに乗り込めばこちらのものである。電車とは違って一般国道を信号で停止しながらゆくのだから趣はある。のどかなヴェネトの田園地帯を眺めているうち、やがてESリンクは定刻の12時25分にFSバッサーノ・デル・グラッパ駅に着いた。
グラッパで名高いこの町を訪れる旅人の目的はやはりグラッパ。その語源となったともいわれるグラッパ山の麓にあるこの町には有名グラッパ・メーカーが幾つかある。創業1779年の「ナルディーニ」はその代表であろう。町の中心を流れるブレンタ川に掛かるのはヴェッキオ橋。その橋のたもとには「ナルディーニ」直営のグラッパ酒場「グラッペリア・ナルディーニ」がある。これは町の宝であり、バッサーノの男たちの社交場である。
やけに冷え込む晩秋の昼下がり、この酒場を訪れると店内はすでに常連たちでいっぱいである。そんな彼らに混じって古い木のカウンターにもたれて「メッツォ・メッツォ」を飲む。これはマルティーニ・ビアンコ&ロッソに似たナルディーニ・オリジナルのリキュールを白赤半々まぜ、ガッサータで割った軽めのカクテル。これをグラスでぐびりとやるのがバッサーノの正しいスタイル。寒い朝ならグラッパを生のまま一杯あおり、そのまま仕事に出かける男たちの姿も見られる。冬のヴェネト地方でのグラッパは嗜好品ではなく必需品なのである。
夜には町の城壁の外にあるもうひとつの「グラッペリア・ナルディーニ」へ。ここはよりディープで質実剛健、観光客が足を踏み入れることの少ない正真正銘のグラッパ酒場である。ここでもカウンターのはじで「ナルディーニ」のグラッパを一杯、ついでリゼルヴァ、さらにブランディを一杯。気付くと深夜だというのに店の外に立つグラス片手の男たちの背中からは湯気が立ち上る。窓越しに見上げれば凛と冷えた夜空に満点の星。バッサーノの夜はこんな具合に更けてゆく。
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FSバッサーノ・デル・グラッパ駅。

洪水で何度も流されたヴェッキオ橋。

バッサーノ・デル・グラッパ旧市街。
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