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特集 小都市を訪ねる旅           南イタリア ジグザク感傷紀行
15 luglio 2004

その6    西シチリアと内陸
写真・文: 福久隆男




■南シチリアから西へ
2月だというのに…。比較的、低地はどこを見ても黄色い花が咲いていた。気温は21度。冬はシーズンオフということで旅客は少なく、その分にぎわいに欠けるものの、ホテルもレンタカーも安いから、大いに勧めたい。

■エリーチェ
西端の街トラーパニの背後に聳えるサン・ジュリアーノ山頂に築かれたエリーチェ。標高700メートルとあって、夏でも涼しい。人気の避暑地でもある。
古い街のたたずまいは、おしゃべりな人をもおっとりさせる。ここなら、ケンカの絶えない夫婦も仲直りできることだろう。なるほど、エリーチェが生殖の神アフロディーテに捧げられた聖所であることも頷けるのだ。
しかし冬はとびきり寒い。さらに強風にさらされている。評判のエリモホテルに宿をとった。エリモの春は何もない春です、なんてな森進一の
歌があったが、身を切るような寒さが北海道のそれに似ているのでちょっと気持ちがシンクロしたのがおかしかった。
朝、屋上へ出ると、遥か彼方に島影が揺れていた。マッタンツァ(マグロ漁)で有名なエガーディ諸島だ。夏場は空気の層の向こうに隠れているが、冬の間ははっきり見える。天国みたいにきれいなビーチがあるとも聞く。行ってみたいが近くて遠く、夢の島である。


■コルレオーネ
パレルモから車で2時間ほどの内陸に、コルレオーネという村がある。
冬の雨が、乾いたシチリアを緑の大地に変身させる。遥か昔のシチリアは、森に覆われた豊かな島だったという。後の人口増加や伐採で大部分が失われ、現在のシチリアは禿げ山ばかりになってしまった。
それでも、農夫が耕作した大地の美しいことよ! 


■ピアーナ・デリ・アルバネーシ
1488年にアラゴン家の同意を得て定住したアルバニア難民の街。戦火を逃れて遥か遠い外国に移住する。この街の先祖の苦しみは、どんなものであったろうか。命あるかぎり幸せに暮らしたい。今でもギリシャ正教を受け継ぐ住人の心のよりどころは、家族と教会だ。樹木が一本も生えない山裾に、教会があった。牛を追い、大地と格闘し、食べてゆくのがやっと。だとしても、平和を約束された生活が一番だ。と思う。

■シチリアのどこが好きなのか?
レンタカー屋の青年との会話。
「シチリアが好きですか」
「はいとっても。10回以上来ています」
「10回! 一体、シチリアのどこがそんなに好きなのですか」
どこが…。少し考えて、私は答えた。
「ぜんぶ」
青年は、すこしくすぐったそうな顔をして、笑っていた。

■パラッツォ・アドリアーノ
山奥と言っていいほど内陸に、本当に小さな街があり、当時27歳の映画監督が『ニュー・シネマ・パラダイス』の撮影地に選んだのが、ここパラッツォ・アドリアーノである。作曲家の三枝成彰氏が随筆の中で「映画『ニュー・シネマ・パラダイス』を観て以来、シチリアへ行きたくて仕方なかった」と述懐している。私も同様、いつか撮影地へ行ってみたいものだと思いを募らせ、ついに訪れることが出来た。冬だったのであまりの寒さに愕然としたが、そこがロケ地であることに変わりなく、夢の中のような気分だ。

■お先にどうぞ
郊外の農村地帯を車で走る。作物を満載したトラックは時速30キロ走行だ。後尾には「お先へどうぞ」の意思表示がある。それならば失礼しますよ…と、機会をうかがうが、めったやたらとカーブが多くて、いつまでも追い抜くことが出来ないのである。 <終>  

注:トップの写真はコルレオーネ村。クリックすると画像が大きくなります。ダウンロードして壁紙にどうぞ。福久さんからのプレゼントです。



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著者プロフィール

福久隆男(Takao FUKUHISA)

写真家。ライター。地図作家。イタリアを旅すること13回。著作多数。無類の南イタリア偏愛者、及びアランチーネ偏愛者。地図を眺めてインスピレーションを得、旅先を決めると面白い事があるというジンクスを持つ。現在千葉県在住。32歳。ご意見・ご感想はfukuhisa-takao@mail.goo.ne.jpまで。





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