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小都市を訪ねる旅 かかとの先まで〜プーリア発見の旅
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15 Dicembre 2003
第6回(最終回) ガルガーノ Gargano の聖なる白い町、モンテ・サンタンジェロ Monte Sant'Angelo へ 小森谷 慶子 |
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プーリアについては今回が最終回になります。乗馬ブーツの拍車のように、アドリア海に突き出たガルガーノ半島は、プーリア州で最も北に位置するフォッジャ県に相当します。その沖合いに浮かぶトレミティ諸島 Isole Tremiti は、オデュッセウスとともにトロイア戦争を戦った英雄ディオメデスが没した場所とされており、知る人ぞ知るとっておきのリゾートなのですが、私としてはまだ訪れたことがないので、今回ご紹介できないのは残念です。緑深いガルガーノ半島は国立公園に指定されている秘境の地で、「中世の驚異」と呼ばれたフェデリーコ二世も暇をみてはこの地の鳥類を観察して『鷹狩りの書』を著わしたのでした。今日、その周縁部には、ペスキチ Peschici、ヴィエステ Vieste、マッティナータ Mattinata などのリゾート地が発達しています。 このような山地の、標高800メートルの高みにある洞窟に、5世紀末に3度にわたって、天の軍帥、大天使ミカエルが降臨したということで、修道院が開かれることになりました。以後、この聖地は、ランゴバルド族(一部はロンバルディアに王国を建設し、一部は南イタリアに定住して公国を建設した)やノルマン人の騎士によって崇められ、聖地イェルサレムへの巡礼騎士団が行 きと帰りに必ず詣でるべき所とされたのでした。この聖なる洞窟の南方斜面には、真っ白な迷宮とも言うべき、切り妻屋根の並ぶ歴史的な住宅街ユンノ地区が広がっています。溜まりのようなテラス状の広場には、古い教会が建ち、今日ではこじんまりしたレストラン(中でも、若夫婦の経営する「ヤラントゥオメネ」は陣内秀信先生のご用達)もあります。小一時間の散歩を楽しんでみてはいかがでしょうか。ただし、あくまでも住宅街ですので騒ぎ立てず、明るく挨拶などして、住民に対して失礼のないように。
今でもこの聖地を観光バスで訪れる巡礼が多いので、町の西端にある大駐車場から聖なる洞窟にかけては、お土産物やが軒を並べています。名物のお菓子「ホスティア・リピエーナ」(聖体のような平たいおせんべいにロースト・アーモンドの飴がけを挟んだもの)やロザリオなどに混ざって、大天使ミカエルよりもはるかに多く、ある老修道士の絵はがきや額入りの写真が売
られているのに気が付かない人はいないでしょう。これが、その名も知れた最も新しく、最も霊験あらたかな聖人、ピオ神父 Padre Pio なのです。
ところで、モンテ・サンタンジェロをツアーではなく、個人で訪れるには、県庁所在地のフォッジャ Foggia が起点になります。駅前から一日に数本直行バスがあります。もしくは、山のふもとのマンフレドニア Manfredonia という港町まで電車かバスで行き、ここから山上の町の目抜き通り(観光スポットへは西に5分ほど進む)までバスで往復することになります。もしも時間が許すなら、この港町にもいくつかの見どころがあることをお伝えしておきましょう。
マンフレドニアは、フェデリーコ二世の愛息マンフレーディによって、古代から中世初期に栄えていたシポント Siponto に代わる港湾として建設されました。
もうひとつの見どころは、マンフレドニア城内に設置されている考古学博物館です。古代にダウニアと呼ばれていたこの一帯からは、他では類例を見ない板状の石に死者の姿を線刻した「ステーレ・ダウニ Stele Dauni」がたくさん出土していますが、ここにはそれらが集められているのです。まだまだ研究の余地があり、定説は確立していません。
さて、オマケといっては何ですが、フォッジャの近郊にはもう一つの歴史的な見どころ、ルチェーラ Lucera があります。ローマ時代にも名の知れた植民市ルケリアであり、円形闘技場の遺構などの見どころもありますが、ムッソリーニの時代にメチャクチャな再現工事が行われてしまったのが残念です。さらに町の外には、フェデリーコ二世の建てた城跡があります。歩いても行けます。ここに彼は、シチリアで反乱を起こしたイスラム教徒を集団移住させ、男どもは、教皇陣営と戦うためのサラセン軍団兵に、若くてきれいな女性は宴会用のサラセン・ダンサー・チーム(よろこび組みたい!)の踊り子として特訓させました。広い城内の一角には皇帝宮殿の遺構が少し残っています。いずれも半日の日帰り遠足で見て廻れるでしょう。
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| 観光のデータ;
DATA DI GARGANO
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