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シエナの小さな村(ボルゴ)めぐり

15 Dicembre 2011


第2回 
キウズディーノ村とその周辺
若き中世騎士「聖ガルガーノ」伝説の地




 文と写真    吉川 雅子

ヨーロッパの人々が好む旅スタイルの1つにCamper(キャンピングカー)で各地をめぐるというものがあります。
例えば素晴らしい風景の広がる場所にCamperを停め、その土地ならではの食材を購入して自分たちで創るシンプルな料理。そして夜は満天の星空のもと眠りにつき、朝は小鳥のさえずりに目を覚ます・・。まさにスローフードな旅ですね。
トスカーナの小さな村をめぐりながら、そんな人たちの姿をよく見かけます。
陸続きだからこそ体験できる旅の楽しみ方、日本人の私たちにとってはうらやましい限りです。

写真トップ@聖ガルガーノ大修道院
  写真左Aキウズディーノ村、写真右Bキウズディーノ村遠景

■現在も沢山の人々を惹きつける聖ガルガーノ伝説
さて今回ご紹介するシエナ県の小さな村(ボルゴ)は、キウズディーノChiusdinoとその近くにあるモンテシエーピ礼拝堂La Cappella di Montesiepiそして聖ガルガーノ大修道院L'Abbazia di San Galganoです。シエナの人々の習慣の1つに、夏になると涼をもとめ、こぞってお隣のグロセート県にあるビーチ、フォローニカへ向かうというものがあるのですが、キウズディーノ村はシエナから南西方面に約30キロ、海へと続く道の途中で、シエナ県とグロセート県の境に見えてくる小高い丘の頂に位置します。遠くから眺めれば趣のある中世時代の城壁が残るかわいらしい村、しかしそこは主要道路から遠く離れていて訪れるには本当に一苦労。そんな不便さから近年ここを去る人が絶えず、これは村がかかえる問題にもなっているのが現状です。

トスカーナ地方の田舎に赴けばそうめずらしくはない、石づくりのたたずまいが残るキウズディーノ村。でもこのボルゴを紹介したかったきっかけとは・・  それは遠い中世初期の時代から言い伝わる神秘的な聖人の伝説、聖ガルガーノ伝説が村に存在し、今現在もたくさんの人々を惹きつけてやまないのです。ここ数年日本の旅雑誌等でもこの土地周辺のきれいな教会写真が掲載されているのを目にしますが、今回は聖ガルガーノの出生地であるこの小さなキウズディーノ村をご紹介しながら、騎士であった彼の人生を大きく変えるきっかけとなった不思議なエピソード、そして彼の死後に建設され、今は美しい廃墟として残る、聖ガルガーノ大修道院などについても話したいと思います。

■キウズディーノChiusdino 
海抜564m、人口約二千人、森と牧草地に囲まれた豊かな環境を持ち、チンタ・ムラーリアcinta murariaとよばれる石の城壁がのこる小さなキウズディーノ村。周辺にはメルセ渓谷Valle della Merseがひろがり、またコッリーネ・メタリーフェレColline Metallifereといって、この周辺一帯は鉱山の丘とよばれる地域のひとつでもあります。その昔は村の経済発展にも重要な役割を果たしてきました。  

 写真左Cサン・ミケーレ教会、写真右Dサン・ミケーレ教会の外壁

しかし村が誕生したのは、時をさらにさかのぼり「アルト・メディオエーボ」といわれる中世初期の時代で、ランゴバルド族によるトスカーナへの侵入(572年頃)がきっかけであると言われています。彼らは支配領土をさらに南へと拡大するために、この見晴らしの良い丘の上に軍事基地を置き、行きかう人達をコントロールするため税関施設を築きました。海と陸をむすぶ重要な道が村の近くを通過していたからです。そしてランゴバルド人たちによって、村一番の高台に教会、サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会 Pieve di San Michele Arcangeloが建設され、彼らはそこで信仰を行っていました。

今日に至るまで、修復作業が何回も行われた聖堂内には当時の様子を感じることは難しいものの、この小さな村の人々にとってはまさに宝物の様な存在であろう、キウズディーノ出身の聖人ガルガーノの聖遺物(頭蓋骨)が大切に保管されています。彼の死後この聖骨の所有権は何世紀もの間お隣の都市国家シエナが握っていました。しかし時間をかけた話し合いがシエナとキウズディーノの間で繰り返された後、1977年ついに住民達の悲願が受け入れられ聖ガルガーノは生まれ故郷であるこの地にやっと帰ってくることができたのです。シエナに聖骨が移されたのが1270年頃ですから、ざっと計算しても約700年という月日が流れたということになります。考えれば気の遠くなりそうなお話ですね。これほどまでにキウズディーノの人々に強く愛され続けた聖ガルガーノとは・・いったいどんな人物だったのでしょうか。それについては後半で詳細をご紹介しましょう。

■モンテシエーピ礼拝堂 La Cappella di Montesiepi
  ロマネスク様式で赤(テラコッタ)と白(この地方で採石されるトラベルティーノとよばれる石灰華)の縞模様を特徴とし、小さなアプシス(後陣)をもつ一身廊式の円形礼拝堂は1185年、聖ガルガーノが眠る墓の上に建築されました。クーポラは半円球で、二色の輪が中心へむかって交互に使われてているのが印象的です。ずっと眺めていると目がまわりそう。これは無限の宇宙を意味するのだそうです。

写真左Eモンテシエーピの遠景  写真右Fモンテシエーピ礼拝堂

そしてこのクーポラの真下に聖ガルガーノが岩につき立てたと言われている剣が現在も大切に保管されています。過去何世紀もの間、この剣を抜こうとした人たちが残した形跡を岩に見ることができるのですが伝説によると、ある悪人達が剣を奪おうと試したところ一人は突然の落雷に撃たれ死亡し、もう一人はこの丘から転落し礼拝堂すぐそばにある小さな湖で溺死、もう一人は狼に両腕を噛み千切られたということです。この男の両腕は、現在もこの礼拝堂のなかに聖ガルガーノが起した1つの奇跡として奉られています。

写真左Gモンテシエーピ礼拝堂クーポラ 
写真右Hモンテシエーピ礼拝堂の真下にある聖ガルガーノが岩に突き立てたといわれている剣

その後の1340年頃、この礼拝堂に付属する形で、さらに小さな礼拝堂がもうけられました。壁面にはすばらしいフレスコ画が描かれています。作者はこの当時活躍していた大変有能なシエナ派の画家で、シエナ出身のAmbrogio Lorenzetti (アンブロージョ・ロレンツェッティ)。彼の代表作 「良い政府と悪い政府の寓意画」はあまりにも有名です(シエナのカンポ広場にそびえ立つ美しい市庁舎内の美術館2階 "平和の間" にて鑑賞可)。この小さな礼拝堂には " マエスタ " とよばれる「玉座に座る聖母マリアとキリストそして数々の聖人たち」 や 「受胎告知」そしてなんといっても大変興味深いのは、聖ガルガーノが剣を大天使ミカエルに献上するシーンが描かれているのです。大天使ミカエルとは "善人を救う為、悪者を裁く" といった天国の戦士です。ですからガルガーノに対しても地上での野蛮な戦いを止め天国にきて活躍するよう導いていたのでしょう。マントをはおり剣を持つ金髪の美しい青年騎士ガルガーノを描いた作品は、彼に対する信仰が強かったここシエナ県をはじめとするトスカーナ地方で特によく見かけられます。

写真上I聖ガルガーノ大修道院の遠景

■聖ガルガーノ大修道院 L'Abbazia di San Galgano
  糸杉がつづく並木道を車でかけ抜ける途中、突如として大平原の中に現れる巨大な廃墟と化した聖ガルガーノ大修道院。はじめてこの地を訪れる人は、きっと言葉を失うことでしょう。正面の大きな扉から一歩中へ足を踏み入れることに怖ささえ感じます。しんと静まりかえる聖堂内、崩れ落ちてしまった天井、そこから見える青い空と流れる雲、そして空洞のバラ窓。身廊には光が射し、渓谷を吹き抜ける風が聖堂の床に咲く小さな草花をゆらす・・まさに幻想の世界。わびしい様な、それでいてどこか力強さも感じられる。本当にここはかつてたくさんの修道士達が集まり、ひとつのたくましい共同体を築いて生活をしていた場所だったのでしょうか。しばらくその場に立ち、思いにふけってみるのもよいでしょう。そしてゆっくりと深呼吸し目を閉じてみると・・修道士たちの祈りをささげる声、生活の音が今にもがきこえてきそうです。

写真左・中・右JKL見る人を圧倒させる聖ガルガーノ大修道院


13世紀末、この大修道院は聖ガルガーノに信仰を寄せていた大勢のシトー派修道士たちの為に建設されました。ラテン中字型、三身廊式で 縦72m 横24m 翼廊33m 当時あった鐘楼がもつ高さは36mであったと記録されており、最高規模を誇るトスカーナで最初のゴシックスタイル建造物であったとされています。庭には大変美しい回廊(現在も一部残存)、聖具室、古文書保館室、面会所、会議所、寄宿舎などがもうすでにこの時代から機能していました。修道士達が大変な働き者でまた才能豊かであったため、たちまちこの修道院は大成長をとげ、現在でいう一つの大きなタウンとして発達し、教皇や皇帝からは様々な援助をうけ(例 税金の免除など)また造幣の許可を与えられるなど、14世紀には輝かしい時代を迎え修道院として大変強い権力をもっていたと伝えられています。

写真左・右MN聖ガルガーノ大修道院の外観

しかし16世紀に入り、シエナが迎えた経済的危機状況とともに、修道院にも陰りの色が出始めます。シエナ政府はこの有能であった修道士達をシエナ市内ローマ門近くにある屋敷へと迎え入れました。その後修道士達は政府の財務管理をまかされ大変活躍したといわれています。またシエナのカテドラーレDuomoの建築にも携わった話は有名です。現在もシエナ市内に彼たちが生活をしていた素晴らしい天井フレスコ画をもつ屋敷、聖ガルガーノ宮Palazzo San Galgano (現在はシエナ大学文学部の校舎)と サントゥッチョ教会(聖ガルガーノの頭蓋骨が当時保管されていた)をみることができます。こうして聖ガルガーノ修道院は輝いていた時代にピリオドを打つこととなり、次第に衰退して時の流れが建物を現在のかたちにしたのです。

■聖ガルガーノとは
さて、聖ガルガーノについてここで詳しくご紹介しましょう。

時代は12世紀中頃。キウズディーノ村はお隣のボルテッラVolterraという、当時聖職者の権力が大変強かった町に管轄されていました。そんな中、1148年ガルガーノは裕福な家庭の子として父グイドット、母ディオニシアのもとに生まれます。このファミリーは村を守る役目をボルテッラの聖職者よりまかされ、外敵の侵入を防ぎながら村全体の統治を行い、いわゆる軍としての役割をまかされていました。息子のガルガーノも家族の影響をうけてボルテッラの聖職者達を護衛するべく若くして騎士団に入隊。威厳ある壮麗な「カバリエーレ(騎士)」として戦う日々が続きます。

美しい金髪の青年で誰もがあこがれる様な日々を送っていました。しかしそんな中でむかえた父親の死をきっかけにガルガーノは人生の意味について考え始めます。そしてこの頃から、彼の身のまわりに不思議な出来事がおこりはじめるのです。

1179年最愛の父を亡くしてから一年が経とうとするある日、青年ガルガーノは遣いでお隣の都市シエナへと向かいました。しかし旅の途中、彼は突然眠り込んでしまいます。そして夢の中に現れたのは大天使ミカエル(サン・ミケーレSan Michele)とガルガーノの母親ディオニジア。大天使ミカエルは彼の母に尋ねます。
「息子さんを天国の宮廷(天使と聖人たちがいる場所)へ迎えたいが、その許可をいただきたい。」 
そして母・でぃおにじあから同意の許可を得た大天使ミカエルはガルガーノを天国へ連れて行く…といったストーリー。 この不思議な夢をきっかけに、世俗をはなれ穏やかな人生を送りたいと考えていたガルガーノの思いはさらに深まります。しかし彼にとってこのスピリチュアルな体験は一度では終わりませんでした。大天使ミカエルは再び夢の中に現れ、今度はガルガーノに対し自分の後についてくるよう厳命します。
ガルガーノは平原を歩き、川を渡りながら小高い丘の上に立つ小さな円い礼拝堂へと導かれました。そこで彼を待ち受けていたのは・・・キリスト、マリア、そして12人の使徒たち・・。彼らはこの若い青年に、生涯を祈りにささげ隠者生活をするよう善導します。

しかしガルガーノの心境変化に気づいた母親は彼を自由にはさせませんでした。当時マレンマ地方で大変有名であった伯爵の娘を婚約者とし、ガルガーノにこの娘を迎えに行くよう命じます。しかしまたもや旅の途中に神秘的な出来事がガルガーノの身におこります。馬に乗りマレンマ方面へと山道を歩いていた時のこと、しかも今度は夢ではなく実際に大天使ミカエルが彼の目前に姿を現し、優しく道をふさいだのです。そしてガルガーノを乗せた馬のひもを引き、いつか夢で見たあの小高い丘の上、それはキウズディーノ村に程近いモンテシエーピMontesiepiとよばれる所へと彼を連れて行きます。丘の上で馬を下りたガルガーノ。

すでに青年の心は強い意思に満ちあふれていました。もう迷うことはない!そしてついに地面にあった岩に向かい、誓いを立てるが如く騎士としてのシンボルであった刀剣を突き刺したのです。すると不思議なことに剣は岩を割って吸い込まれるように中へ入っていきました。この行為は中世時代の騎士達にとっては特別なことだと言われています。なぜなら剣を逆さにすることで形は十字架に変わる、つまり戦いを放棄し平和を神に誓うということを意味するのだそうです。こうして彼は軍人としての人生に終止符をうちました。

その後このモンテシエーピの丘で隠者生活をはじめた青年ガルガーノでしたが、世俗から離れて一年後の1181年11月30日33歳という若さでこの世を去ることとなります。遺体は彼が誓いをたてた岩の横に埋葬されました。そして4年後の1185年、当時の教皇ルチオ3世LucioVによって彼は聖人の一人として列に加えられ、彼が眠るモンテシエーピの丘に小さな円形礼拝堂が建てられました。これは生前彼が夢の中で見たと語っていた円い礼拝堂(大天使ミカエルによって導かれイエスやマリアたちと対面したというエピソードをもつ)を実現したと言われています。

やがてこの場所には彼を崇拝する修道士や巡礼者たちがあつまるようになり、時をすこし後にした1218年この丘のふもとにシトー派 聖ガルガーノ大修道院の建築が開始されました。そして1266年教皇から正式にカトリック教会としの認定をうけました。その後ガルガーノの頭蓋骨は彼が生まれたキウズディーノ村の教会へと移されましたが、その他の部分は時のながれとともに失われてしまいます。しかし前項でも述べたように、その後キウズディーノ村はシエナの支配下に置かれたため、彼の聖骨はシエナへ移されることとなったのです。(1977年キウズディーノ村へ返納)

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聖ガルガーノ大修道院のもつ神秘的な美しさを表現するのは大変難しいです。また夜間はライトアップされ、特に月夜にみる大聖堂は言葉にならない感動を私たちに与えてくれます。毎年夏にはコンサートやオペラ、クラッシックバレー等各種イベントが聖堂内で行われます。一見の価値は十分にあると思います。お勧めです!

著者プロフィール
吉川 雅子(Yoshikawa Masako)

大阪出身。クラブ活動だけに身をささげてきた学生時代、プロスポーツ選手としても活躍。しかし幼い頃からの夢をあきらめきれず医療職をめざし、看護師として約10年間の病院勤務経験をもつ。趣味だったイタリア旅行。そしていつか暮らせたら・・とあこがれつづけた20代後半。でも一度きりの人生、悔いなく生きたい!出会った人たちから学んだこと。大好きな仕事に一旦終止符を打ち渡伊を決意。現在は旅コーディネータをする傍ら中世史を学ぶ。シエナには2009年より在住。
Email : kurasutabi@libero.it



データ
Dati
キウズディーノChiusdino村  (シエナ県 キウズディーノ村 Comune di Chiusdino)

■キウズディーノ村への交通アクセス
<バスでのアクセス>
国鉄シエナ駅前より122番のバスにて約1時間20分。Chiusdino(キウズディーノ)下車。(一日2便のみ、日曜運休)
帰りは翌朝の便となります。
<車でのアクセス>
シエナからSP73bis (県道73号線)に入り、途中Costalpino(コスタルピーノ)経由し、Rosia(ロジア)を通過し、SP441(県道441号線)を右折し Massa marittima(マッサ マリッティマ)方面へ。途中Palazzetto村を過ぎたらChiusdino方面へ右折。

■モンテシエーピ礼拝堂、聖ガルガーノ大修道院への交通アクセス
<バスでのアクセス>
国鉄シエナ駅前よりRama社のバス(黄色・Massa Marittima方面行き)で約1時間20分。San Galganoで下車。
(夏は一日に複数便、冬は一日一便のみ、日曜運休) 
前日に時刻を必ずご確認ください。チケットはシエナ駅構内で購入可。現地(修道院正面)にレストラン・bar があります。
<車でのアクセス>
シエナからSP73bis (県道73号線)に入り、途中Costalpino(コスタルピーノ)経由し、Rosia(ロジア)を通過し、SP441(県道441号線)を右折し Massa marittima(マッサ マリッティマ)方面へ。左手の大平原の中に見えてきます。(途中でSan Galganoと書かれた標識が何回かでています。)

■インフォメーション
モンテシエーピ礼拝堂
La Cappella di Montesiepi  

開館時間: 9:00から日没まで(年間無休)
拝観料:  無料
インフォメーション:0577 756700(イタリア語)
小さなbook shopあり(手作り石鹸、自然コスメ、蜂蜜など、かわいらしいおみやげがたくさんあります。)

聖ガルガーノ大修道院
L'Abbazia di San Galgano
開館時間:9:00 から 20:00(4月から10月まで)
   9:00から 18:00(11月から3月まで)
拝観料: 2 ユーロ  Tel:0577 756738 または 0577 750313  (英語可)
http://www.prolocochiusdino.it 

※122番のバス(キウズディーノ村停車)もSan Galgano近くを通過しますので、Rama社のバスと組み合わせることも可能です。時刻表を必ずご確認ください。  



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