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15 gennaio 2009


第2回
欧州に2.5億人の文明圏を作った男
―聖クレメンテ教会の隠れた見所







上野 景文

今回は、かのコロッセオからサン・ジョバニ・イン・ラテラノ聖堂に向かって徒歩5分の処にある聖クレメンテ聖堂という古刹にお連れしたい。同聖堂に遺骸が祀られている聖クレメンテ(第4代ローマ法王:在位紀元90〜99年)は、トライアノ皇帝によりクリミアに流された上、強制労働を課されたが、受刑仲間への宣教活動が大成功をおさめたことがローマ人の怒りを買い、黒海に投げ込まれ、殉教したと伝えられている。この聖堂は、法王の祀られている地上階(12世紀のバジリカ)に加えて、地下1階(4世紀のバジリカ)、同2階(1世紀末)と、全部で3層構造となっている。更にその下は紀元64年の大火で破壊された共和制時代の建造物跡という。加えて、地下2階には古代ローマのミトラ教神殿跡(3世紀)もあり、古代マニアにはたまらない。が、今回一番お連れしたいのは、地下1階の南廊奥にある聖キュリロス(以下、聖キリル)の墓所だ(注)。キリルは、9世紀半ば兄のメトディウスと共に宣教のため滞在していたクリミア半島(黒海のさる小島)で聖クレメンテの墓廟を発見し、ローマに遺骸を持ち帰り、聖堂に祀って、法王アドリアノ2世から直々に賞賛され(聖堂地下に遺骸発見の様を描いたフレスコ画「アゾフ海の奇跡」あり)、後に聖人に列せられた宣教師であったが、それとは別に、欧州の文明史に残る偉業を成し遂げたことでも知られる。
(注)墓所は南廊でなく中央側廊奥のフレスコ画「リンボ」のそばとする説もある。

写真トップ:聖キリルの考案したグラゴル文字で書かれた壁面碑(ザグレブのカテードラル)
写真左:キャラガー神父と地下のバジリカに降りる  写真右:フレスコ画「アゾフ海の奇跡」(地下1階のバジリカ)


●聖キリルの文明的偉業とは
その文明的偉業とは、ロシア、ウクライナ、ブルガリアなど東スラブの正教圏で今日使用されているキリル文字という、日本人には馴染みが少ないが、何と2.5億人が使用している文字を作ったことだ。それ故、聖キリルは、兄メトディウス共々、正教会からも聖人に列せられている。加えて、1980年には、前法王ヨハネ・パウロ2世から、「欧州の守護聖人」に列せられている。因みに、2.5億人以上が使用している文字は、ローマ字(20億人)、漢字(12億人)、インドのデーバナーガリー系の文字(10億人)、アラブ文字(5億人)を数えるに過ぎない。また、世界にはおよそ6千の言語があると言われているが、文字の方はずっと少なく、現在使われているものは、メジャーなものがおよそ35、マイナーなものを含めてもせいぜい110強という。考えてみれば、世界の主要文字で個人名を冠したものはキリル文字を置いてなく、その意味でも、聖キリルは光彩を放つ。

写真下:聖キリルの墓(同バジリカ南廊奥)


この聖キリルというギリシャ(テサロニキ)出身の宣教師は、上記クリミアでの宣教とは別に、ビザンチン帝国皇帝並びにコンスタンチノープル総主教からの指示で、兄のメトディウスと共に、西スラブ人宣教のためモラビア(現在のチェコ、スロバキア)にも派遣されたことがあった。ところで、スラブ族はローマ帝政時代にその支配に入ったことはなかったし、9世紀の段階でも、ビザンチ帝国、神聖ローマ帝国の何れの支配も受けることなく、今日の東欧からロシアにかけての地域に分散していたようだ。かれらの中には、交易のためビザンチン帝国との間を行き来した人、更には、テサロニキなどに定住した人もいたという。語学の才に溢れたキリルは、地元テサロニキでスラブ語に馴染んでおり、スラブ地域への布教には適任だった。

●1100年前にスラブ語を表記する新文字を考案
モラビアに着任したキリルは、当初はギリシャ語で布教しようとしたのだろうが、それでは効果的でないと気づき、法王から特別許可を取り、スラブ語訳聖書、スラブ語典礼をベースに布教するという、当時の常識を覆す仕事を成し遂げた。当然のことながら、言語にこだわりを示すキリスト教のこと、当時は、聖書及びミサの典礼は3大言語(ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語)のどれかに限るという大原則があった。すなわち、聖書も典礼も、ビザンチン帝国ではギリシャ語で、神聖ローマ帝国やイタリア半島ではラテン語でということになっており、蛮族のことば(スラブ語)による聖書、典礼など「もってのほか」ということだっただけに、キリルのイニシアチブは画期的なことだった。が、話はそこで終わらない。キリルは、聖書などの翻訳に当たり、25文字からなるギリシャ文字では、スラブ語の複雑な音韻は十分に表わせないことを見抜き、ギリシャ文字をベースに、グラゴル文字という新しい文字を作ってしまった。

後年モラビアが神聖ローマ帝国の支配下に入ると(それに伴い、ローマ教会の傘下に入ったことから、この地域のスラブ人は、ローマ字使用に転向し、今日に至っている)、キリルの弟子達は、東方の大国ブルガリアに逃れ、同国でグラゴル文字を更に進化させたキリル文字を完成させた。(グラゴル文字は正教圏では廃れたが、カトリック圏のクロアチアでは近世まで一部で使われた。筆者自身、ザグレブのカテードラで同文字の壁面碑を見たことがある。写真トップ参照)

33文字からなるキリル文字は、スラブ語、いや、厳密に言えば古代スラブ語の表記に適した文字として、隆盛を誇ったブルガリアで、宗教関係を中心使用される中で、スラブ語の発展を下支えした。この様な形で発展を見た古代スラブ語は、古代教会スラブ語、あるいは、古代ブルガリア語とも言う。

キリル文字はスラブ語の典礼、スラブ語の聖書と共に、その後、ロシアを中心とする東スラブ族に加え、西スラブ族に浸透した。もっとも、11世紀半ばにキリスト教会がローマ教会(西方教会)と正教会(東方教会)に分裂すると、西スラブ族の方は、神聖ローマ帝国の影響拡大も相俟って、やがて西方教会傘下に入り、ラテン典礼、ラテン語聖書、ローマ字(ラテン・アルファベット)に「転向」し、今日に至っている(今日のポーランド、クロアチアなど)。

写真左:フレスコ画「リンボ」:聖キリルの墓はこのあたりとの説もある(同バジリカ中央側廊)
写真右:後陣のモザイク(地上階バジリカ)


●欧州文明の「もう一つの肺」を育てたキリル
ここまで、聖堂(聖クレメンテ)の説明そっちのけで、欧州史のおさらいをしたが、聖キリルという人は、今日2.5億人が使用する世界でもメジャーな文字の基礎を作ったと言う意味だけでなく(それだって偉業だが)、ローマ帝国の東西分裂(4世紀末)以降ラテン文明圏(西)と明確に袂を分かつことになったギリシャ文明圏(東)という「もうひとつの流れ」に東スラブ族を宗教と文字を与えて引き込むことにより、東の文明圏を揺るぎなきもの(今日まで続くもの)とし、もって欧州の文明的「分断」を決定的なものとする役割を果たしたという意味で、欧州文明史に大きな足跡を残した「巨人」であった。因みに、前法王ヨハネ・パウロ2世は生前屡々、この東、西2つの文明圏のことを「欧州の2つの肺」と形容していたが、その意味からは、聖キリルは「もう一つの肺」を育てた人であった訳だ。
言い換えれば、もしギリシャ文明圏から派遣されたキリルが、新しい文字を使ってのスラブ圏での布教に成功せず、東スラブが結局ローマ教会の影響下に入ったとするなら、正教・ギリシャ文明圏はずっと小さなものにとどまっていただろうし、ロシア人などは今日ローマ字を使っていたかも知れない。

かのハンティントン教授は、文明圏と文明圏の間の境界線を文明の「断層」と呼んだ。確かに、欧州の場合、東西の文明圏の間を走る境界線、すなわち、正教・キリル文字圏の西端(ロシア、ブルガリア、セルビアなど)と、カトリック・プロテスタント・ローマ字圏の東端(ポーランド、チェコ、スロバキア、クロアチアなど)との境は、歴史的に見て不安定な処が少なくなく、「断層」という形容にはうなずける面がある。そう、西欧とロシアの間に今日なお見られる緊張関係にしても、1600年前のローマ帝国の分裂、あるいは、1100年前の聖キリルによる東西の文明的「分断」の固定化の延長線上にあると言えなくもなく、東西の分裂は根深いものだとの思いに駆られる。

それにしても、ローマという処は、ラテン文明、カトリック教会の立役者だけでなく、ギリシャ・スラブ文明、正教会の立役者をも祀ってしまう懐の深さがある。当然のことながら、聖クレメンテ聖堂にはスラブ諸国からの巡礼者が後を絶たない。さて、歴史のおさらいはこの位にして、いざ聖クレメンテ寺院へ。

(本稿準備にあったては、聖クレメンテ教会のキャラガー神父より懇切丁寧に聖堂を案内頂いたことを深謝したい。なお、本稿中の写真の版権は全て聖クレメンテ教会にあり、複製は同教会の許可なしには出来ないとの点、お断りしておく。併せて、協力を得た奥山書記官、コロー職員にも感謝したい。)

著者プロフィール
上野 景文(Ueno Kagefumi) 駐バチカン特命全権大使 
1948年生まれ。1970年東京大学教養学部を卒業し、外務省へ。英ケンブリッジ大学修士課程修了(経済学)。スペイン公使、メルボルン総領事、駐グアテマラ大使、国際研修協力機構理事を経て、2006年より駐バチカン大使。文明思考家、アミニズム論考家としての顔を持つ異色の外交官。著書に「現代日本文明論ー神を呑み込んだカミガミの物語」(第三企画)ほか。論文、エッセイ多数。

データ

聖クレメンテ教会
Basilica San Clemente
Via Labicana 95, 00184 Roma
Tel 06-7740021  Fax 06-77400201
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