パルマ国立考古学博物館は、エミリア・ロマーニャ州の考古学遺物保護局の分室とともに、「デラ・ピロッタ(della
Pilotta)」宮殿内にある。この宮殿は、16世紀末から18世紀後半にかけて、ファルネーゼFarnese家の公務用に建設されたものである。
博物館の起こり
1760年に、フィリップ・ド・ブルボンFilippo di Borboneはローマ時代の都市ヴェレイアVeleiaの遺跡から出土した発掘品―特に、1747年に発見された「タブラ・アリメンタリアtabula
alimentaria」―を収めるために、「公国古美術博物館Ducale Museo di Antichita」を設立した。それは、グァスタッラGuastallaのゴンザーガGonzaga家とファルネーゼ家によって収集された旧来の古代ギリシアやローマの大理石彫刻とコインのコレクションに新たに加えられたものであった。マリア・ルイジアMaria
Luigiaの時代に、「近代」の博物館が誕生し、エジプト美術のコレクションをはじめとする新規の購入や、公共事業の折に市内および領内でなされた考古学的発見により豊かになった。イタリア統一後、当博物館は、館長であったイタリア先史民族学の祖ルイージ・ピゴリーニLuigi
Pigoriniの力で先史時代の重要な研究センターとなった。ピゴリーニは、自然科学者のペレグリーノ・ストローベルPellegrino
Strobelとともに、「湖上住居跡(terramare)」と呼ばれる青銅時代のポー川流域の村についての研究に着手した。
20世紀前半に、19世紀の博物館コレクションにパルマの歴史と美術に関わるあらゆる時代の遺物が加わった。1965年前後に行われた博物館の再編成により、当博物館には考古学コレクションのみが残され、民俗学および美術、歴史に関わるコレクションは他の施設に移された。
今も見学することができるのはこのコレクションだが、先史時代の部門は近年再び整理、改編されたものである。現在、ここ数十年の間に周辺地域で行われた発掘作業と調査の成果であるローマ時代の多数の遺物を展示するために、新たに徹底的な改築を行うことが検討されている。
歴史的コレクション
パルマ国立博物館は、上に述べたように、ヴェレイアの18世紀の出土品を収蔵するために設立された。ヴェレイアは、ピアチェンツァ近郊のアペニン山中にあるローマ時代の都市であり、紀元前1世紀半ばから紀元後5世紀にかけて存続した。当博物館に収蔵されている最も重要な出土品である「タブラ・アリメンタリア」―経済的な危機の時代に、アペニン地域の小地主たちを援助するためにトラヤヌスTraiano帝とネルヴァNerva帝によって採用された救済措置が記載されたブロンズの大きな銘板―はここから出たものである。ルーニLuniの大理石製のユリウス=クラウディウス時代の皇帝の家族を表した12体の彫像は、ヴェレイアの神殿の基壇に並べられていたものであり、鍍金ブロンズの男性頭部はおそらくハドリアヌスAdriano帝かアントニヌス・ピウスAntonino
Pio帝の肖像であろう。さらに、フォロ[公共広場]からは紀元前1世紀末のブロンズ製の少女の美しい頭部が出土した。
1825年以降、イッポーリト・ロゼッリーニIppolito Roselliniの助言を得て収集されたエジプト美術コレクションの中には、かなり重要な手工芸品も含まれている―中王国時代の箱型棺、2つの人型棺、一連のカノープスの壷、葬儀用のパピルス、第18王朝の石灰岩の美しい彩色浮き彫り、数多くのブロンズ小像、ガラス粉でできた護符、スカラベ、ウシャブティなどである。また、当博物館の歴史的コレクションには、一部ファルネーゼ家やグァスタッラのゴンザーガ家のコレクションに由来するローマ時代の彫像、多数のギリシア陶器や古代イタリア、エトルリアの陶器、キウージChiusi産の小壷、エトルリアの鏡やブロンズ小像も含まれている。
メダル収集室の見学は予約制であり、18−19世紀にかけて博物館で購入されたギリシア、ローマ、中世および近世の硬貨やメダルのほか、パルマ造幣局の鋳型や打ち型が展示されている。20世紀に入ってから、とりわけパルマの周辺地域で出土したローマ時代の宝物のおかげで、同コレクションの点数はさらに増えた。
パルマの考古学
当博物館の「新しい」収蔵品は、19−20世紀にパルマ周辺で行われた発掘作業や調査から得られた出土品からなっており、2つの部門に分かれている。先史時代と原史時代に関する部門は近年一新され、説明パネルが挿入され、19世紀の出土品―とりわけ旧石器時代と青銅時代のもの―と並んで、中石器時代と新石器時代、銅器時代の空白を埋めることを可能にした最近20年間の研究の成果が示されている。
注目に値するのは、旧石器時代半ばから銅石併用時代にかけて、原料の採掘所として利用されたラーマLama山の碧玉の出土品や、新石器時代の緑の石斧の見事なコレクション、そして死者がうずくまるような姿勢で埋葬されている新石器時代の墓である。とりわけ興味深いのは青銅時代の遺物、すなわち「湖上住居跡」の陶器、ブロンズ、鹿の角による数々の製品である。特に貴重な品は、カスティオーネ・マルケージCastione
Marchesi湖上住居跡の基底層から出土した鹿の角で作った櫛や琥珀の珠、きわめて稀な木製の手工芸品である。紀元前6−5世紀のパルマにおけるエトルリア民族の移住についても、以前はクィンジェントQuingento出土の印入りブロンズ塊(aes
signatum)の宝物とフラオーレFraoreの墓の副葬品だけがその裏付けとなっていたが、現在はフィデンツァFidenza近郊の重要なシッコモンテSiccomonte村やバガンゾーラBaganzolaの墳墓群の遺跡からの発掘品によっていっそう詳しい情報が得られている。
一方、ベルチェートBercetoの墓は紀元前3世紀初めのリグーリア地方の戦士のものであり、儀式に従って折り曲げられた鉄の武器と、薄板で作った角で装飾されたひさし付きの青銅製の兜を伴っている。ローマ時代のパルマと周辺地域を扱ったセクションは、おおむね1965年当時の展示をそのまま受け継いでいる。紀元前183年にエミリア街道沿いに建設されたパルマは、劇場と円形劇場をも備えた重要なローマ都市であった。墓碑銘を主とした碑銘の相当なコレクションや3−4世紀の4つのマイル標石に加え、かなり質の高い建築の断片やモザイク、広場や劇場、その他の建築物を飾っていた彫像が展示されている。さらに、3世紀の宝石やコインの宝物の展示と、中世初期については、数こそ少ないがランゴバルト族の墓からの注目すべき出土品があり、とりわけ見事な円盤型の黄金の留め金が目を引く。
図版キャプション:題字上、ヴェレイアの彫像の間。天井画はG.F.スカラムッツァScaramuzzaの手になる「考古学の勝利(Il
Trionfo dell'Archeologia)」(1844年作);次ページ上より、プラクシテレスPrassiteleの「エロス(Eros)」のローマ時代のコピー;セウェルスSevero帝時代の植物モティーフの天井アーキトレーヴ;ガイオーネGaione出土の精製陶器による小骨壷(新石器時代中期、紀元前5000年半ば);ソンマヴィッラ・サビーナSommavilla
Sabina出土のエトルリアの赤絵式の杯型クラテル、紀元前5世紀末。