ジェノヴァというこの都市は、上を見上げて奉納用壁龕(へきがん)やスレート造りの玄関、きわめて詩的で歴史にあふれた通りの名前に心を奪われながら、歩き回るところである。この「誇り高き都 la Superba(ジェノヴァの異称)」が最高にうれしい驚きを用意してくれていることを忘れずに、好奇心に誘われるがままに足を運ぶのもよい。たとえば、細い路地を抜けていくと思いがけず古い貴族の館が堂々とそびえる広場に着く。パラッツォ・スピノーラ・ディ・ペリッチェリーア Palazzo Spinola di Pellicceria がそれで、それ自体が宝石であるとともに貴重な宝石箱でもある。というのも、内部にはまぎれもない美術品の傑作の数々が保存されているからであり、その多くは異なる所有者たちによって数世紀にわたって収集され、現在も美術館の諸室を見学すると、ジェノヴァの貴族たちの習慣や趣味の移り変わりを伝えてくれる。
スピノーラ宮が何よりもまず歴史的な住居であることを忘れてはならない。このことは、1958年にフランコ Franco とパオロ・スピノーラ Paolo Spinola 両侯爵が一族代々の住まいをイタリア国家に寄贈したという事実にもあらわれている。
館の建設は、フランチェスコ・グリマルディ Francesco Grimaldi の発意により、同地区の密な都市構造における限られた空間を最大限に利用して、1580年に始まった。いまなお建物の図面の不規則性からその配置上の数々の困難が読み取れるが、16世紀末のジェノヴァにおける建築趣味に完全に適応した宮殿の実現がそれによって妨げられることはなかった。
18世紀に行われたファサード改築工事で当初の外観は失われ、それを知るには1622年に出版された『ジェノヴァの宮殿(I Palazzi di Genova)』の中のピーテル・パウル・ルーベンス Pieter Paul Rubens による記述に頼るしかない。元来は、フレスコ画装飾がなされており、ファサード上部には屋上に挟まれた開廊があったが、今では開廊は閉じられ、その上に「鏡の間(Galleria degli Specchi)」が造られたため失われてしまった。
宮殿の2階のつくりは典型的な17世紀様式であり、17世紀半ばに義兄弟から同館を購入したアンサルド・パッラヴィチーノ Ansaldo Pallavicino(統領アゴスティーノ Doge Agostino の息子)が一部収集した、その時代に関連する調度や美術作品によっていっそう際立たせられている。建物および収集品の所有権が売買によって人の手に移ったのはこのときが最初で最後であり、それ以後の所有者はもっぱら相続によって決定され、内容の充実あるいは分散のいずれの場合も、それぞれの相続者の事情に左右されることとなった。
2階の一室には古文書も保管されており、同宮殿に居住した貴族たちが重要な役割を演じた歴史的あるいは個人的な出来事を再構成するためにきわめて重要な記録資料となっている。とりわけ、マッダレーナ・ドーリア Maddalena Doria による『帳簿』は、18世紀の30年代半ばにこのペリッチェリーアの館を一家の社会的な役割にふさわしい住居に変えようともくろんだ、この教養と意欲に満ちた貴婦人が望んだ真の改革を理解するために本質的な重要性をもった。そのために、彼女は1734年から1736年にかけて3階の改装に力を入れ、当時の流行にしたがって、主要な広間と3つの続き部屋、華麗な「鏡の間」からなる、ぐるりと一巡できる迎賓用経路というべきものを作り上げた。
大広間には、注文主グリマルディ Grimaldi 家の偉業を称えるためにラッザロ・タヴァローネ Lazzaro Tavarone が天井に描いた諸場面を残すことが決められたが、クワドラトゥーラ[遠近法とだまし絵の手法による建築の装飾画]画家のジョヴァンニ・バッティスタ・ナターリ Giovanni Battista Natali の手で新しい装飾構成が生み出された。彼は以前の17世紀的な厳格な構成を絵画ギャラリーの18世紀の趣味に合うように改変した。この絵画ギャラリーに関して、マッダレーナ・ドーリアはこの広間には17世紀のジェノヴァ派の絵画(なかでもドメーニコ・ピオーラ Domenico Piola、ベルナルド・ストロッツィ Bernardo Strozzi、グレゴリオ・デ・フェラーリ Gregorio De Ferrari、ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ Giovanni Benedetto Castiglione 通称イル・グレケット il Grechetto の作品が挙げられる)のみを飾ることにし、一方それに続く諸室では作家も時代も自由に組み合わされているが、フレスコによる建築装飾によって定められた配置は常に尊重されている。
3階の諸室のうち、唯一絵画が飾られていないのは「鏡の間」である。この部屋は、ロレンツォ・デ・フェラーリ Lorenzo de Ferrari 作のフレスコ画(ヴォールト天井には『ウェヌス、バッコスとクピド Venere e Bacco con Amore』が、扉の上には『ガラテイアの勝利 Il trionfo di Galatea』が描かれている)のみならず、18世紀の屋根と床にも及んだ修復作業を経て、先の4月、第4回文化週間の折に再び一般公開された。
1階と2階の公的な部屋の見事な保存状態にひきかえ、4階と5階にあった家族の私室や使用人のための部屋は(図書室も含めて)、1941年にジェノヴァを襲った激しい爆撃による火災で焼失し、原型をとどめていない。今日まで損なわれずに ―そして19世紀半ば頃に使用されていた状態のままで保存されている― 客用ではない唯一の空間は、下の方の中2階と中3階の間に設けられた台所である。このため、上の2階は改装され、美術館として現代の要請にこたえるような形で整備された ―そして1993年にはリグーリア国立美術館 Galleria Nazionale della Liguria が開館した。ここには国がリグーリア地方の美術的遺産を豊かにするために購入する作品が収められている。これに隣接して、保存の目的から、陶器のコレクションと寄贈されたスピノーラ・コレクションの一部が収蔵されている。4階には、ジョヴァンニ・ピサーノ Giovanni Pisano の『正義 La Giustizia』、オラーツィオ・ジェンティレスキ Orazio Gentileschi の『イサクの犠牲 Il sacrificio di Isacco』、ピーテル・パウル・ルーベンスの『ジョ・カルロ・ドーリアの騎馬像 Il ritratto equestre di Gio Carlo Doria』をはじめ、50点ほどの作品が展示されており、スピノーラ・コレクションの強烈な印象を与えるアントネッロ・ダ・メッシーナ Antonello da Messina 作『エッケ・ホモ(この人を見よ)Ecce Homo』に対置される作品として、最近国が購入した重要な作品のひとつ、ヨース・ファン・クレーヴ Joos van Cleve の『ステーファノ・ラッジョの肖像 Il ritratto di Stefano Raggio』が置かれている。イタリア文化とフランドル絵画が、ジェノヴァとフランドルの関係に密接に結びついたこの2点によって示されている。こうした関係は5階の展示品にもあらわれている ―すでに述べた陶器のコレクションに加え、織物のコレクションが収蔵されており、ジェノヴァの重要な工業生産を裏付ける製品のほか、他のヨーロッパ諸国で作られた織物 −特に18世紀の趣味を通してジェノヴァの貴族の住まいに採り入れられた− が見られる。
スピノーラ宮国立美術館の活動は多岐にわたり、展覧会、コンサート、講演会のみならず、子供向けの教育活動も行っている。1980年代の終わりに始まったこの企画は、ここ10年の間に大きく発展し、参加する学校(幼稚園から高校まで)の数は年々増してきている。生徒たちは年間を通じて数回に分けて行われる教育プログラムや、美術館を訪れる子供たちを対象にした「テーマ別」の月ごとの活動 ―遊び、学習、アトリエでの小さな作品制作からなる― に参加する。この活動の主眼は、美術館を「子供に合った」場所としても提案し、子供たちが無関心で受動的な見物客でなく、美術館の活動に積極的にかかわるように、遊びも含め活発な働きかけをすることにある。