6 Maggio 2002
第14回
ヘンドリック・クリスティアン・アンデルセン美術館 (ラツィオ州 − ローマ)
Museo Hendrik Christian Andersen (Lazio - Roma)
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美術館内部 ―アンデルセンのアトリエと展示ギャラリー
イタリア文化財省 編集協力記事
Con la collaborazione del Ministero per i Beni Culturali e le Attività Culturali
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ヘンドリック・クリスティアン・アンデルセン Hendrik Christian Andersen 美術館は、アルデア Ardea のマンズー Manzu 美術館、マリオ・プラーツ Mario Praz 美術館、ボンコンパーニ・ルドヴィージ Boncompagni Ludovisi 装飾美術館とともに、ローマの国立近代美術館に拠点をおく現代美術特別保護局下にある諸美術館のひとつである。当館は、1872年4月17日にノルウェーのベルゲン Bergen に生まれ、幼い頃家族とともにニューポート Newport(ロードアイランド Rhode Island州)に移住し、後にアメリカに帰化した彫刻家・画家のヘンドリック・クリスティアン・アンデルセンの作品を収蔵している。ヨーロッパへ修業の旅に出た彼は、1896年にローマに居を定め、死ぬまで40年以上ここに暮らした。1940年12月19日の死に際して、マンチーニ Mancini 通りにある彼のアトリエ兼住居を、内部の作品や家具調度品、書類、写真、本などを含めてイタリア国家に遺贈した。近代美術館にその収蔵作品や建物の管理が任されたのは、1978年にルチア・アンデルセン Lucia Andersen(彫刻家の母が1919年に養女とし、それゆえ遺産の用益権所有者であった)が亡くなってからである。
本館の収蔵作品 ―石膏あるいはブロンズによる200体以上の彫刻(そのうち約40体は大作である)、200点以上の絵画作品、350点を超える素描・版画など― は、とりわけその特異性において注目される。ほとんどすべての作品 ―彫刻、絵画を問わず― が、芸術、科学、哲学および宗教の分野における思想の永続的な実験の場として国際的な中心地となるべき偉大な「世界都市」のユートピア的理想を中心主題としていた。同計画とその普及のために、アンデルセンは1913年に図版入りの大部の書物を刊行しており(『世界コミュニケーション・センターの創造Creation of a World Centre of Communication』)、その中で彼は古代文明の都市の概念から出発して、新しい近代的な「都市」建設への道を示している。
美術館の改装および修復作業には1998年のロット(宝くじ)の収益金が充てられ、20年の歳月を経て、ようやく1999年12月19日に一般公開された。
マンチーニ通りの建物は1922年から1925年にかけてアンデルセン自身の設計によって建てられ、「アトリエ付きの小邸宅」として、当時ポポロ門 Porta del Popolo の外に拡張されつつあった建設地区の一角を占めている。さらに1935年には、寓意的な絵画の装飾帯をつけた最上階部分の増築がなされた。洗練されたネオ・ルネサンス様式による建物全体の装飾は、芸術家の家族への絆を暗示させる象徴的モティーフによっていっそう豊かなものとなっており(マンチーニ通りとピザネッリ通りに面した壁面に家族の頭部の肖像が見られる)、当時のローマにおける建築を概観したとき、いまなお興味を引くものであることは疑いない。近年の修復のおかげで、当初の壁面の繊細な化粧仕上げの色合いやさまざまな装飾の色とりどりの色彩がよみがえった。
地階にある2つの大きなアトリエ ―展示ギャラリーと仕事場― は、当初の状態のままに、「世界都市」の建築物を装飾するべく制作された、愛、母性、肉体の活力、狂暴な力に打ち勝つ知性などを主題とするアンデルセンの壮大な彫刻のための示唆に富む舞台装置となっている。ギャラリーの周囲に配された大きな構想スケッチ群も「世界都市」に関連している。芸術家の住まいであった2階の居室は壁面の色合いやさまざまなモティーフによる豊かな装飾を取り戻し、現在は絵画や素描、小彫刻の常設展示場であるとともに、19〜20世紀におけるイタリアと海外の芸術家の関係に何らかの形で結びついた特別展の会場となっている。
アンデルセンが望んだように独自の美術館であり続けることを使命とするこのマンチーニ通りの展示空間は、19世紀末以来のイタリア、ヨーロッパ、アメリカ合衆国の間の活発な文化交流についての研究および資料の収集活動の中心として、今日ますます価値のあるものとなりつつある。特にアメリカとの関係はアンデルセンにとって欠くことのできないものであった。実際、ボストン、ニューポートとニューイングランドは、特に彼の義姉であったオリヴィア・クッシング Olivia Cushing との緊密な関係によって、彼にとっての基準点であり続けた。作家であった彼女は、ボストンの裕福な教養ある家柄の出で、兄アンドレアスAndreas ―注目すべき才能をもつ画家で、その作品も当館に置かれている― が早世してからはローマの彼のもとで暮らした。その意味で非常に重要なのはアンデルセンと作家ヘンリー・ジェイムズ Henry James との密接な友情であり、すでに円熟期に達したアメリカの作家と若い彫刻家との間で1898年以降に交わされた70通以上におよぶ書簡がそれを裏付けている(美術館の許可を得て、ヴェネツィアのマルシリオ Marsilio 出版社より刊行)。
最後に、ヘンドリック・クリスティアン・アンデルセン美術館 ―芸術家のアトリエ兼住居を建築のみならず、そこに保存される作品も含め完全な形で残す稀有な例― は、ヴァッレ・ジュリア Valle Giulia の近くに所在地をもつことで、国立近代美術館や国立エトルリア美術館、その他諸外国の無数の文化機関など、芸術と文化に関わる多くの場と隣接して、いわゆる「美術館公園」の中に組み込まれているといってよい。
(館長エレナ・ディ・マイヨ Elena di Majo)
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MUSEO HENDRIK CHRISTIAN ANDERSEN (ヘンドリック・クリスティアン・アンデルセン美術館)
所在地:Villa Helene(エレーヌ荘)Via Pasquale Stanislao Mancini 20, 00196 ROMA
電話:(国番号39) 06-3219089 Fax:06-3221579
HP:www.gnam.beniculturali.it
E-mail: gnam@arti.beniculturali.it
入場料: 2002年は全館入場無料
開館時間:火曜〜日曜 9:00-19:00 月曜休館
身障者用の設備あり。
2階にある美術館のカフェへの出入りも自由(10:00-18:00)
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翻訳:小林 もり子 東京都出身。東京芸術大学大学院修士課程修了(イタリア・ルネサンス美術史)。 1992年よりイタリア在住。 共訳書:「ボッティチェッリ」(西村書店) |
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