20 December 2001
第11回 アテステ(エステ)国立博物館 (ヴェネト州 − パドヴァ県)
Museo Nazionale Atestino (Veneto - Padova)
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全面に幾何学的な縄模様の刻まれた車輪付きの水鳥形の壷(前9世紀)
イタリア文化財省 編集協力記事
Con la collaborazione del Ministero per i Beni Culturali e le Attività Culturali
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●歴史的背景
19世紀後半から今日まで相次ぐ考古学的発見のおかげで、パドヴァ県のエステEsteは、古代ヴェネツィア文明の母体となる都市と考えられている。かつてこの都市を流れていたアディジェ川Adigeは、北のラエティア・アルプス地方や中央ヨーロッパ文化をエステに結びつけ、南東のアドリア海沿岸 ―そこには商業の中心都市アドリアAdriaにギリシアやエトルリアの商人が集まってきていた― を結んでいた。エステ(アテステ)の干拓地域の南側は、エトルリアの重要な中心都市であり、古くはフェルシナFelsinaと呼ばれたボローニャのそれと境を接しており、同都市との交易や文化的交流も盛んだった。したがって、エステの繁栄は、密な交通網の中心に位置するという特権的な条件によってもたらされたわけである。
紀元前千年頃エステは都市の形態を整えたが、その要因として、洗練された骨・角製品、陶器、青銅器や鉄器などの生産を専門とする手工業が発達していたことと、居住地域と手工業に関わる地域および墓地の拡大化に伴い、都市整備がなされたことが挙げられる。そのネクロポリス(死者の町)は居住地域に沿って、主に北側と南側に帯状に広がり、アディジェ川の2本の支流によって隔てられていた。秩序だった周辺部の聖域が、都市を守るように外側をぐるりと取り巻いていた。都市内部には、いくつかの直交する幹線をもつ道路網が見られた。
紀元前2世紀を通じて、エステとその領土は徐々にローマの影響下に入っていった。アテステAtesteというのは同市のラテン名であり、ここにはアクティウム沖の海戦(前31年)後、退役軍人たちの植民都市が築かれ、2〜3世紀にいたるまで建築や碑文による証拠が少なからず残っている。それ以後9〜10世紀まで、長い「暗黒の世紀」を通じて考古学および文献上の記録が途絶える。ようやく1000年を過ぎてから市の再生が見られ、エウガネイEuganei丘陵の斜面に城塞が築かれ、開かれた平野に村が広がるようになった。
●博物館の概要
アテステ国立博物館は、ヴェネツィアのモチェニーゴMocenigo家が16世紀末にエステに建てた豪壮な館 ―そのファサードにはカラレージCarraresi一族の城の14世紀の城壁が一部取り込まれている― の中に、1902年に開館した。しかし博物館の枠組そのものは、すでに1834年にサンタ・マリア・デイ・バットゥーティS.Maria dei Battuti小礼拝堂における市立石碑博物館として誕生しており、そこにはローマ時代の石碑を収集したアレッシAlessiおよびコンタリーニContariniコレクションが収められていた。全面改修の後、博物館が再び一般公開されたのは1984年のことである。現在、紀元前千年頃に同地に居住した古代ヴェネツィア人の文化の代表的な考古学的遺物が多数展示されている。
展示室は全部で11室あり、2階から始まっている。
第1室には、旧石器時代から青銅時代末期にいたるまで、エステ周辺やエウガネイ丘陵地域に住んでいた最も古い居住者たちを裏付ける遺物が展示されている。
第2室は、鉄器時代にエステやその影響下にあった周辺地域の居住形態に関する展示であり、このアディジェ川に刻まれた平野の一部に定住した共同体の日常生活や経済活動が示されている。家庭の煮炊き用、食事用、食物貯蔵用の陶器類をはじめ、焼成粘土の作業台や動物の頭の装飾を両端につけた貴重な薪のせ台などは、家屋やその内部の調度に直接関連している。
第3室は葬礼に関する展示である。紀元前10〜3世紀の火葬墓の副葬品が年代順に展示されており、そこでは物質文化の技術的および形式的な発展がたどれる一方で、アテステの共同体における主要な社会的かつ経済的変化の再構築に目を向けさせられる。すなわち、前8世紀に君主階級が生まれ、前7世紀には貴族階級の形成、そして前6〜5世紀を通じて商人階級などの富裕層の認知とその勢力固めといった変化である。個々の豪華な骨壷や装飾品 ―正真正銘の宝石である場合も多い― など目を引く副葬品群がいくつかあるが、いずれにおいても重要なのは全体の構成であり、それによって死者の性別、年齢、階級、社会的役割などが理解できる。最も古い墓のうち、有名なのはぺラPela第2号墓で、水鳥の形をした壷(前9世紀)やミニアチュールの壷から、墓の主が小さな女の子であったことがわかる。豪華なリコーヴェロRicovero第236号墓は前8世紀にさかのぼる。その特徴が明らかに喚起しているのは、この頃ヴェネツィア人の間で盛んになりつつあったホメロス風の「英雄的」称揚である。前7世紀の墓のうち、一組の夫婦を埋葬したベンヴェヌーティBenvenuti第278号墓は、さまざまな馬具の存在から、死んだ男性が騎士階級に属していたことを明らかにしている。レバートRebato第187号墓の青銅、骨、琥珀、ガラス粉による装身具や衣服の装飾品の豊富さは、女性の豪奢な礼服を想像させるが、それは一族の社会=経済的な地位を示す役割をもっていたにちがいない。板で作った箱や穴を掘っただけの墓、あるいは土葬といった形式の墓は、埋葬の仕方に多様な型があったことを例証している。この博物館の最も有名な展示品は疑いなくベンヴェヌーティ第126号墓出土の、人物のいる場面を打出しや陰刻によって表した青銅製のシトラ(バケツ形の容器)である(前7世紀末)。前6〜5世紀の副葬品には、赤や黒の帯状装飾の施された非常に光沢のある陶器に代表される、上質の陶器の製造に標準化が顕著であるほか、食べ物や飲み物の準備に用いられた青銅や鉄の台所用品からなる一式で弔いの宴会を象徴的に表すという点が特に指摘される。この頃には、エトルリアや南イタリア、ギリシアからの輸入がいっそう目立つようになり、とりわけ前5世紀以降アルプス以北のケルト文化の影響が見られるようになる。
第4室には奉納品、ブロンズ小像、特に銘版が数多く展示されている。これらはカルデヴィーゴCaldevigo、モルルンゴMorlungoおよびバラテッラBaratellaといったエステ近郊の聖域か
ら出土したものである。バラテッラで発見されたアルファベット板やブロンズの筆記用尖筆は、この地方全体で崇拝された女神レイティアReitiaに仕える巫女たちが文字を教えていたことを裏付けている。
第5室には
近年の発掘によるヴェネト地方の出土品が展示されており、いくつかのテーマ ―青銅時代から鉄器時代への移行、ラエティアと境を接するアルプス前山地域の高地における居住地、ヴェネト人とケルト人の間のヴェローナ平野、ローマ支配以前のパドヴァ― に分かれている。
見学の順路は階下の第6室に続く。展示はエステのローマ化と植民地に関するものであり、中央には
ネルカNerka(前3世紀)の墓が偉容を誇っている。貴重な副葬品が二重勾配の屋根のある堂々とした収納庫の内部に再現されている。
第7室では、ディオスクロイDioscuriの神殿についての資料や発掘物によって、ローマ時代のアテステの公共的な側面が明らかにされている。そのネクロポリスは、第8室に展示されているいくつかの注目すべき副葬品や豊富な墓碑によって紹介されている一方で、第9室にはさまざまな技能や職業、すなわち日常的な側面に関する展示がなされている。
第10室では、アルブリッツィAlbrizzi荘で発見されたローマ時代の住居の遺構 ―特に重要なのはフレスコ画の描かれた天井の断片である― によって、個人の生活が示されている。
最後の第11室には、中世やルネサンス時代の記念碑などと並ん
で、チーマ・ダ・コネリアーノCima da Coneglianoの有名な「聖母子Madonna con bambino」の板絵(1504年)があり、さらに13世紀から19世紀にかけてエステで生産あるいは取引された陶器の広範な展示が見られる。
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MUSEO NAZIONALE ATESTINO (アテステ国立博物館)
住所:Via G. Negri 4, 35042 Este (Padova)
電話:(国番号39) 0429‐2085 Fax: 0429‐610168
E-mail: atestino.archeopd@arti.beniculturali.it
開館時間:毎日 9:00〜20:00(ただし、1月1日、5月1日、12月25日は休館)
入館料:4,000リラ(=約2.10ユーロ)学生2,000リラ(=約1.05ユーロ)18歳未満、65歳以上のEU諸国民は無料
その他の注意事項:
●個々の説明書きや解説用パネルなどに加え、各室に解説カード(4ヶ国語)が置かれている。
●ガイドブックは子供向けのものも含めレベル別に3種類ある。エステにおける考古学的状況を知りたい人には、考古学探索コースもあり、オーディオガイドも利用できる。
●学校の先生や学童向けの特別の見学コースやコンピューターを備えた演習室もある。夏休み期間には、アルケオバレーノArcheobaleno夏季センターにて楽しく学ぶための催しがある。
●目の不自由な人のために特別の見学コースが用意されており、展示品を手で触ることもできる。
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翻訳:小林 もり子 東京都出身。東京芸術大学大学院修士課程修了(イタリア・ルネサンス美術史)。 1992年よりイタリア在住。 共訳書:「ボッティチェッリ」(西村書店) |
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