22 October 2001
第9回 フェッラーラのカーザ・ロメイ博物館 (フェッラーラ)
Museo di Casa Romei (Ferrara)
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マイナルディMainardi家の紋章板
イタリア文化財省 編集協力記事
Con la collaborazione del Ministero per i Beni Culturali e le Attività Culturali
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1442年頃から建設が始まったカーザ・ロメイ(ロメイ家)の建物は、フェッラーラ文化の最も興味深い建築群のひとつであり、レオネッロLeonelloとボルソ・デステBorso d'Este侯時代の、今なおよくその姿を伝える唯一現存する貴族の住宅である。持ち主のジョヴァンニ・ロメイGiovanni Romeiは富裕な銀行家や承認の一族を代表する者で、その巧みな外交的手腕のおかげで、エステ家の宮廷において最も影響力をもつ人物のひとりとなり、2度目の結婚で同ボルソ・デステ侯の若い姪ポリッセーナ・デステPolissena d'Esteを妻にした。
最初の建物の中心をなしていた主となる中庭は、まだ中世の建築様式の見られる魅力的な空間である。左右非対称の連結をもつ2階建ての柱廊や東側の柱廊を支えるずんぐりした持ち送りを見ると、この時点ではまだルネサンスの建築様式がフェッラーラに伝わっていなかったことがわかる。それでも、鮮やかな花模様装飾や紋章装飾――ロメイ家の紋章である「後足立ちの犬」がいたるところに見られる――の跡が示すように、フェッラーラの建築は洗練されたものであった。入口の正面の壁にひときわ目立っている聖ベルナルディーノの光線を放つ大きなモノグラムは、エステ家の支配するフェッラーラの建築装飾に陶板を用いた最も重要な例のひとつである。
ポリッセーナとの結婚に際して家の拡張工事が行われ、もう一つの柱廊つき中庭とそこに面した2棟の建物が付け足された。「巫女の間」「予言者の間」と名づけられた地階の部屋もこの新しい棟に含まれている。
2階にある一風変わった2つの小部屋――その寓意的な装飾は「巫女の間」と同時期か、やや後のものである――と、いわゆるジョヴァンニ・ロメイの書斎は15世紀のものである。後者の天井は、その質の高さから見て、フランチェスコ・デル・コッサFrancesco del Cossaの周辺の画家の作と思われる。
主中庭の右側に位置する地階の「チンクエチェント(16世紀)の間」の天井も紙の上に描かれている。これと並んで、現在石碑博物館となっている3つの部屋がある。
2階のほとんどは、19世紀にイッポーリト・デステ2世Ippolito U d'Esteの居室とみなされていた部屋に占められている。すなわち、16世紀にイッポーリト枢機卿が、植物モチーフや異教の神々、空想的な動物にあふれる典型的な「グロテスク」文様で装飾させた書室を指す。
この家は偶然にも破壊を免れて、1897年に教育省の管轄下に入り、州の文化財保護局を経て、文化財および建築物保護局に委託された。
1952年よりカーザ・ロメイは、市内のさまざまな建物に由来する大理石彫刻などの興味深いコレクションと、13〜16世紀の重要なフレスコ画を展示する国立博物館として機能するようになった。とりわけ、来賓の間に展示されているサンタ・カテリーナ聖堂からもたらされた一連のパネルと、セラフィーノ・デ・セラフィーニ・ダ・モデナSerafino de'Serafini da Modenaによる「聖母被昇天」が注目される。
この唯一の15世紀のフェッラーラの一般建築を現在の状態で我々が目にすることができるのは、100年に及ぶ修復の賜物であり、絶えず定期的な手入れを行うという本質的な管理方針に基づくものである。
19世紀末の証言、記録、写真などを見ると、外装の上でも構造的な面でもきわめて不安定な保存状態にあったことがわかる。20世紀に入ってから着手された一連の修復作業は、建物の保全をはかるとともに、外装および装飾的な要素の保存修復を目的とし、基礎となる要素の保存に最大の注意が払われた。
戦後すぐに行われ、1952年の博物館開館に結びついたいくつかの修復作業の後、1975年以降には新たな作業が開始された。それは、各種の調整を行う体系的な長期の計画として考えられており、専門的な保存作業としばしば修復の修復ともいえる作業が常に一部でなされている。
それらの作業の目的は、構造的な機能を保証し、天井や壁画の調査と修復計画を実行に移すことにある。特に紙の上に装飾されている天井については、素材が本来もつ脆弱さのゆえに、常にたゆまない管理が必要となる。象徴的なのは、20世紀後半のフレスコ画の場合である。この処置の結果生じた損傷の経過により、まさに修復が余儀なくされ、木のパネルをガラス繊維強化樹脂の支持体に置きかえるほか、欠損部分を研究して補完することで、描かれたものをよりいっそう見やすくするための綿密な作業がなされたのである。
カーザ・ロメイの石碑博物館
近年新しく整えられた石碑博物館は、13世紀から19世紀にいたるフェッラーラ派の大理石やテラコッタ作品の広範なコレクションを集めている。取り壊された建物からもたらされたものもあれば、偶然の発見によるものもある。1598年にモデナへ移ることになったエステ家がフェッラーラに残したその収集品は1732年にまずパラッツォ・パラディーゾPalazzo Paradisoに集められた後、市内の修道院とパラッツォ・デイ・ディアマンティPalazzo dei Diamantiに運ばれ、最後にその一部が大聖堂博物館とサンタ・リベラSanta Liberaの石碑博物館に分散された。
1952年になお倉庫に散在していた作品――そこには歴史的建造物から取り外された装飾テラコッタの一群も加わった――は、最終的にカーザ・ロメイ博物館地階の中庭の右側の3室に収蔵されることとなった。この3部屋は伝統的にこのルネサンス期の住居の使用人室および倉庫と考えられていたが、近年行われた考古学的発掘において、初歩的な暖房装置に結びついた、陶片と石灰の上塗りを全面に施した非常に興味深い煉瓦づくりの浴槽が発見されたおかげで、新たに見直されることとなった。家の壁と同時期に作られたもので、フェッラーラのルネサンス期の領主の館にもあったことが知られるが、地元では現在類を見ないものである。
最初に展示されているのは、取り壊されたサンタンドレアSant' Andrea聖堂に由来するトマジーナ・グルアモンティ・エステンセTomasina Gruamonti Estenseの墓碑である。胸像、有翼の小さなプット、奉納用の碑文の刻まれた石板は、ルイージ・モンターニャLuigi Montagnaの作である。
第2室には、紋章つきの肖像や胸像のほか、カルトゥジオ修道会修道院の食堂からもたらされた説教壇、付け柱の断片や大理石の水盤などが展示されている。
第3室には、貴族の紋章や市内の教会などに由来する墓碑のコレクションに加えて、装飾テラコッタの広範な展示が見られる。採石場がなかったため、テラコッタは14〜16世紀のフェッラーラの建築において最も典型的な材料となり、非常に高い水準の凝った細工がなされた。台の上には、アンドレア・フェレーリAndrea Ferreri(18世紀)の「大天使聖ミカエル」をはじめとする彫刻や、取り壊された建物の構造物あるいは装飾物の断片が置かれている。また、おもに聖像からなるコレクションの一部が、2階のいくつかの部屋に置かれており、なかでも「玉座の聖母子と聖ペテロと聖パウロ」(14世紀)の群像が注目される。
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MUSEO DI CASA ROMEI (カーザ・ロメイ博物館)
住所:Via Savonarola 28, 44100 Ferrara
Tel.:0532 / 240005 - 240341 E-mail:centrooperativo@libero.it 開館時間:火〜土、8:30〜19:30 (開館時間は変更されることもあります) 休館日:月曜、1月1日、5月1日、12月25日
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翻訳:小林 もり子 東京都出身。東京芸術大学大学院修士課程修了(イタリア・ルネサンス美術史)。 1992年よりイタリア在住。 共訳書:「ボッティチェッリ」(西村書店) |
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