紀元後79年8月24日。ナポリ湾に近いヴェスヴィオ山の大噴火により、その周辺の町は、一夜にして完全に溶岩と火山灰の下に葬られてしまいました。18世紀に偶然発見されるまで、住居や店舗はもちろん、広場や闘技場、道路から神殿まで、町ごとすべて封印されていたために、2000年以上たった今もなおこうして、私たちがこうしてその姿を間近に見ることができるのです。
写真トップ:@エルコラーノの「ネプチューンとアムプトリーテーの家」のモザイク 写真上:A遺跡の向こうにヴェスヴィオ山を臨む
1.ポンペイ遺跡群
そのうちの1つ、最も規模が大きく、発掘物の種類も豊富なのがポンペイ。
ナポリから、ローカル電車に乗って40分くらい、ポンペイ・スカーヴィという駅を降りると、ほぼ目の前にその入口が構えています。
ローマの、フォロ・ロマーノやコロッセオにもびっくりしますが、このポンペイのすごいというか、楽しいのは、神殿や闘技場といった壮大な建物ではなく、「町」そのものだというところでしょう。轍の跡の残る馬車道の両側に、居酒屋やパン屋、邸宅や娼館まで並んでいるのですから。
そしてその遺跡の向こうに、くだんのヴェスヴィオ山が、かつてそんな大暴れを起こしたとは思えない、ゆるやかでのどかで姿を見せています(写真A)。
ポンペイというと、「ポンペイの赤」と呼ばれる赤い壁に代表される壁画が有名ですが、ローマが共和国から帝国へと移行して間もないこの頃、大きな邸宅や公共の場所の床は、色石を使ったモザイクによる装飾が広く普及、発展した時期に当たります。しかし、絵や模様の細やかな、芸術的モザイクはほとんど壁画同様、発掘時にそこからはがされてしまっています。それらを固定して、額に入れて、並べてあるのが、前回ご紹介したナポリ考古学博物館のモザイク部門です。
ポンペイを見るだけでは、当時の建物の豪華さが理解しきれないかもしれません。といって、博物館だけでは、そのモザイクの本来の価値が見えづらいでしょう。ぜひとも両方訪れて、相互補完しながら観ていただきたいものです。
●「イッソスの戦い」のモザイク
前回、冒頭で紹介したアレキサンダー大王の「イッソスの戦い」のモザイクは、「ファウノの家」にあったものです。
これは、ポンペイにいくつもあるお屋敷の中でも大きいものの1つ。正面入口を入ったところすぐにアトリウムがあるのは当時の典型的な邸宅スタイルですが、ここではさらに奥に、もっと大きな中庭が2つあり、その2つの間の回廊の部分に、「イッソスの戦い」がありました。今はその場所に、あのモザイクが再現されています(写真B)。
話が前後しますが、比較的、モザイクがそのまま残されている例が多いのは、各邸宅の、アトリウムの中央にある水溜めの装飾部分です。幾何学模様など、比較的単純なものが多く、美術的価値が低いと見られて取り残されたのでしょう(写真C)。
写真上左:Bファウノの家、「イッソスの戦い」再現の場 写真上右:Cアトリオ、水盤の縁取りモザイク例
●犬の絵や幾何学模様のモザイク
もう1つ、ポンペイの家でよく見られるモザイクがあります、邸宅の入口を飾るもので、玄関マットとでも言ったらいいでしょうか。基本は白黒の2色のシンプルなものですが、面白いのは「猛犬注意」なのか、犬の絵が多いこと(写真D)。ほかにも、紋章か、あるいは魔除けなのかと思われる図像も見られます。
邸宅の室内にも、部分的にモザイクが残るところもあるのですが、私が前回、2012年5月に行ったときには、そういった邸宅の多くが入場禁止になっており、中まで見学できるところが限られていました。とくに、「幾何学模様のモザイクの家」などは、まさにここで紹介したかったのですが、写真も撮れず、残念です。
写真上左:D邸宅入口の犬のモザイク例、 写真上右:Eファウノの家、床モザイク(小鳥)例
●「メアンドロの家」の小さなモザイク
ポンペイに残されているモザイクで、最も貴重な例はこちら。「メアンドロの家」の一室に残された小さなモザイクです(写真F)。部屋の中央にある、正方形で縁取られた目の細かいモザイクは、「エンブレマ」と呼ばれるもの。本来、床モザイクといえば、床に土台となるモルタルを塗って、その上に切りそろえた色石を型紙にしたがって並べていくのですが、ある程度の大きさの石やテラコッタの上に、工房であらかじめ、より細かい色石やガラスをくっけて図柄を完成させておき、その土台ごと運んでそのまま床に埋めたものが「エンブレマ(複数形はエンブレマタ)」です(写真G)。
写真上左:Fメアンドロの家、「ナイル川風景」のエンブレマ 写真上右:Gメアンドロの家、「ナイル川風景」のある部屋
ナイル川で舟をこぐプットたちが描かれたエンブレマは、すぐ近くまで寄れない上、小さくて暗いところにあるので見えづらいのですが、これはモザイクの旅には必見。
2.エルコラーノ遺跡群
同じローカル線の、ナポリとポンペイのちょうど真ん中くらいにあるのがエルコラーノ。ポンペイより規模は小さいものの、程度の高いフレスコ画や彫刻装飾、そしてモザイクがその場に残っていて、見学できるものが多いように思いました(写真H)。
写真上左:Hアウグスターレスの間 写真上右:I中央浴場、男子更衣室のモザイク
●中央浴場更衣室のモザイク
中央浴場(テルメ・チェントラーレ)で、これも白黒ながらかなりの迫力のトリトンと、様式化されているのに妙にリアルなタコとイカの描かれたこちらは、なんと女性更衣室(写真J)。 隣の、迷路のような渦巻きの中に、小さな模様だけを埋めたこちらが男性更衣室だそう(写真IK)。
写真上左:J中央浴場、女子更衣室のモザイク 写真上右:K中央浴場、男子更衣室のモザイク
●「ネプチューンとアムピトリーテーの家」のモザイク
が、このエルコラーノの目玉は、「ネプチューンとアムピトリーテーの家」。
一番奥の部屋は、ローマ時代の邸宅内の食堂として一般的だったように、壁三方にベッドが置かれていたそうです。ベッドといっても、この部屋の場合、床からそう高くない位置にあり、大理石の固定型マットレスぐらいの感じでしょう(写真L)。
写真上L:ネプチューンとアムプトリーテーの家
正面に見えているのが、「ネプチューンとアムピトリーテー」のモザイク(写真@)。神殿にまつられた彫像を模して描かれた図は、石ではなく、細かく切った色ガラスを使用しています。向かって左側の壁には、大きくニッチ(壁龕)が掘られており、こちらは本物の彫像が置かれていたのでしょう。ただ、その回りの壁一面が、やはりガラスのモザイクで飾られています。フリーズや花綱、その下には鹿と思われる動物たち。下段にはうすい水色の地に、繊細な小花柄が浮き上がっています。
前回、ナポリ考古学博物館の中でも、円柱や壁を飾るガラスのモザイクを紹介しましたが、あれらも、もともとはこういう形で建物の中にあったのでした。