今回はローマの中でも、あまり観光で訪れることのない教会を3つ、紹介しましょう。
1.サンタ・チチェーリア・イン・トラステヴェレ教会
●アプシスに9世紀のモザイク
テヴェレ川の向こう、トラステヴェレ地区にあるサンタ・チチェーリア・イン・トラステヴェレ教会。信仰を守ることで殺されたチチェーリアとその夫の住居のあとに建てられたとされる教会は、すでに4世紀からあったとされています。(写真A) 現在の建物は9世紀、当時の教皇パスカリス(イタリア語でパスクアーレ)1世が建て直しを命じたもの。中庭や室内の天井など、その後何度も改装、改築が行なわれていますがアプシスに9世紀のモザイクが残っています。(写真B)
写真トップ:@サンタ・チチェーリア・イン・トラステヴェレ教会のアプシスのモザイク
写真上左:Aサンタ・チチェーリア・イン・トラステヴェレ教会、外観 写真上右:B同、内観
青色の地の中央にキリスト、その周りを聖人たちが囲む構図は、前回ご紹介したサンティ・コズマ・エ・ダミアーノ聖堂によく似ています。その下に12人の使徒を表す12匹の羊が並ぶのも一緒。が、大きく違うのはその姿です。
キリストも聖人も、不自然に目を見開き、こちらを見つめていますが、顔も体もこわばって、まるでこけしか紙を切り取って貼付けたよう。体の立体感がまったくありません。(写真@C)
現代の感覚からするとまったくヘタっぴでプリミティヴに見えるこの表現はしかし、これがこの時代の標準でした。神の子にして神聖なるキリストは、決して地上の人間と同じ姿であってはならず。大きな顔、大きな瞳、絶対的な姿に人々は畏敬を抱いたのです。準じる聖人たちも同様でした。
写真上左:Cアプシス モザイク 写真上右:Dエントランスのアーケード、フリーズのモザイク
●改築を命じた教皇パスクワーレ1世も登場
ここでもう1つ、注目していただきたいのは、向かって左端。手に何やら家の模型のようなものを捧げ、頭の後ろにはなんと、ほかの聖人たちの頭の後ろにあるニンブスという金色の輪っかの代わりに、青い四角い物体。これは、この教会の改築を命じた教皇パスクワーレ1世。手に持っているのは、この聖堂そのもの、そしてこのモザイクを作ったのは、まさに教皇自身が存命中。金色の輪っかを背負っていいのは聖人たちのみで、まだ存命でしたがって聖人化されていない教皇は、それに準じる存在としてこの青い四角で表現されたのです。長いキリスト教美術の歴史の中でも一時的な習慣で、今ではちょっとめずらしい表現といえるでしょう。
サンタ・チェチーリアは、建物に入る前のアーケード部分、フリーズに7世紀のモザイクも残っているので、こちらもお見逃しなく。(写真D)
2.サンタ・マリア・イン・ドムニカ教会
●玉座の聖母子像を天使が囲むモザイク
コロッセオの南側、クラウディア通りをチェリオの丘方向に上がっていったところにある、サンタ・マリア・イン・ドムニカ教会。こちらは7世紀ごろから教会があったとされていますが、現在の建物が建ったのは9世紀。さらに16世紀に大幅に改築が行なわれています。(写真EF)
写真上左:Eサンタ・マリア・イン・ドムニカ教会、外観 写真上右:F同、内観
モザイクが残るのはさきほどと同じ、アプシスのみ。こちらは中央に玉座の聖母子像。それを無数の天使たちが囲んでいます。天使の頭のニンブスの、それだけが幾重にも重なって見えているのはちょっとと不思議な図です。そして聖母の足元にひざまずいているのが、さきほどと同じパスクアーレ1世です。よく見ると顔も似ているのがおわかりいただけるでしょうか。(写真GH)
写真上:GHアプシス モザイク
その半円蓋を囲むのは、旧約聖書の預言者、モーゼとエリア。その上のフリーズ部分には、キリストと、天使、そして12人の使徒が、こちらは羊ではなく人間の姿で描かれています。
3.サンタ・プラッセーデ教会
●アーチの壁とアプシスにモザイク
この2つの教会の総結集にあたるといってもよいのが、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂をはさんで、前々回にご紹介したサンタ・プデンツィアーナ教会とちょうど対称的な位置にあるサンタ・プラッセーデ教会。
現在の建物は9世紀のもの。前2つの教会と違うのは、現在の出入り口が道路に面した横側になっていて、一見するとそれらしいファサードがないこと。
写真上:Iサンタ・プラッセーデ教会、内観
中に入り正面を眺めると、アプシスの1つ手前、勝利門と呼ばれるアーチの壁の部分にもモザイクが施され、モザイクによる装飾が層になっています。(写真I) 上部に描かれているのは、ちょっと船に乗っているようにも見えますが、聖地エルサレムの城壁の中にいる、キリストと天使、そして使徒たち。左右は預言者モーゼとエリアがそれぞれ天使とともに。(写真J)
写真下左:Jアプシスと勝利門のモザイク 写真下右:Kアプシス モザイク、部分
アプシスのすぐ上にあたる壁には、中央に神秘の羊、そしてそれを囲む大天使たち。その外側は、4人の福音書家のシンボルである、天使、有翼の獅子、牛そして鷲ですが、後世の改装時に残念ながらその一部が削られています。アプシスは、サンタ・チチェーリアと構図もスタイルもよく似たもの。そしてなんとここにも、左端にパスクワーレ1世が描かれています。(写真K)
●荘厳な雰囲気を持つサン・ゼノーネ礼拝堂
この教会のモザイクは、アプシスだけではありません。正面に向かって右側、壁を見上げると、ちょっと古代風に丸いメダル型の中に描かれた聖人たちがこちらを向いているのが、サン・ゼノーネ礼拝堂。(写真L)
写真下左:Lサン・ゼノーネ礼拝堂入口壁モザイク 写真下右:M同礼拝堂、天井
今は、絵はがきなどおみやげを売るショップの前室のような小さな空間ですが、天井には4人の天使に支えられたキリスト(写真M)、4方の壁には聖人達。祭壇部分にも玉座の聖母子像がすべて、モザイクで描かれていますが、すべて金地のモザイクは、主祭壇以上に荘厳な雰囲気をたたえています。(写真N)
写真下左:N同礼拝堂内、壁
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場所も異なる3つの教会、それも1人の教皇が手がけたもので、アプシスという最も重要な部分のモザイクが1000年以上の時を経て残っているのは、決して奇跡や偶然だけではないように思います。
パスクアーレ1世在任の817-24年は、フランク王国のシャルルマーニュ(カール大帝)が800年にローマで神聖ローマ帝国皇帝として戴冠したあと、皇帝と教皇の覇権争いが本格化した直後であり、また、東ローマ帝国では、皇帝の指導の下、聖像破壊運動が正当化する、ローマにとって外からの影響や圧力が深刻な時期でした。その中で教皇パスクアーレは、教皇の権力を誇示するためというよりはむしろ、信仰の強化のためにこれらの教会の改装に務めたように見えます。もちろん、当時の風習とはいえ、教会の寄進者として自らの姿をモザイクの中に描かせて存在を主張してはいますが。どんな人だったのか、ちょっと会ってみたかったような気もします。