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ローマ モザイクの旅
15 Maggio 2014

第2回
   サンタ・コスタンツァ廟とサンタ・プデンツィアーナ教会


持丸 史恵


1.サンタ・コスタンツァ廟
●現存するローマの教会モザイクで最古のもの

紀元前から中世まで、モザイク美術の見本帳のように、それぞれの時代のモザイクが残るローマですが、その中でもモザイクを語る上で絶対に外せないのが、サンタ・コスタンツァ廟です。 テルミニ駅近くからバスに乗って、ノメンターナ通りをしばらく行ったところ、進行方向に向かって左側、道路を渡って少し入ったところに、丸屋根の一見地味な建物がそれです。(写真A) ナルテクスと呼ばれる前室部分を抜けると、中は、丸く、光に包まれた空間。(写真B) 大きさはずいぶん違いますが、同じローマの、パンテオンを思い出される方もあるかもしれません。             

  写真トップ:@サンタ・コスタンツァ廟のニッチのモザイク、「法の書」をパオロ(パウロ)に授けるキリスト  
写真上:Aサンタ・コスタンツァ廟、外観

●コスタンティヌス大帝の娘により建立
正円や正多角形で、周囲をぐるりと囲む廊下のついた平面プランの聖堂は、中央集中型と呼ばれ、もともとは霊廟、そしてのちに、とくに東方で巡礼型の教会として好まれるようになります。集会所や市場などの形から発展した、バジリカ型と呼ばれる、長方形のプランに比べ、一度の集客は限られるものの、多くの人がぐるっとまわって、スムーズに「お参り」ができるのが特徴です。

ここも、4世紀中盤にコスタンティヌス大帝の娘、コスタンティーナ(またはコスタンツァとも)により、建てられた霊廟でした。隣接する墓地に葬られていた、殉教者アグネスを奉るためのものだったとされています。 7世紀には隣の聖アニェーゼ(アグネス)教会の洗礼堂として、さらに1254年には教会に利用されるようになります。

写真上左:Bサンタ・コスタンツァ廟 廟内  写真上右:C同、回廊部  


●天井を覆う白と多色の色石を使ったモザイク画
その回廊部分、円筒型というか、この場合は円形の天井なので、ドーナツ型というのが一番わかりやすと思いますが、見上げると、びっしりとモザイクで埋められています。(写真C) 幾何学模様に人物の顔、そして、鳥や動物。(写真D) プッティがぶどうを摘み、ワインを作る場面も。(写真E)そのため、元々はバッカスに捧げられた神殿だったとする説もあるようです。

ローマ時代に、公私の建物の床をモザイクで埋めるのが大いに流行したのは、前回のカラカッラ浴場や国立博物館に残る遺跡などでご紹介してきた通りです。ここも、図柄だけ見ると、その中身といい、カーペットのように縁取りを作って別の模様で埋めているスタイルといい、これまでローマ時代の床モザイクとして各編で紹介してきたのとよく似ています。が、一番の違いはともかく、これが天井ということ。

写真下左:D天井のモザイク   写真下右:Eワインを作るプッティのモザイクの部分

ポンペイやエルコラーノには、柱や壁の一部を、色石やガラスを使ったモザイクで装飾していた例が残っていますが、それらとも違い、また、これから教会の装飾として大きく発展することになる金地に色ガラスのモザイクとも異なる、白と多色の色石を使ったモザイク画は、いかにもローマ的です。直径22.5m の中央のクーポラも、もともとはすべて、モザイクで埋められていたそうですが、これは残念ながら17世紀に、崩壊の危険があるということで剥がされてしまいました。

●初期キリスト教美術の特徴を表現
一方、4つのニッチ(壁龕)のうちの2つ、ルネッタにモザイクが残っています。これも天井と同じく4世紀末のもので、キリストが、「天の国の鍵」をピエトロ(ペテロ)に、「法の書」をパオロ(パウロ)に授ける場面と解釈されており、現存するローマの教会モザイクの中でも最古のものです。(写真@) 天井同様に背景が白地であること、キリストの顔や姿が比較的若く、また「世界」を現す大きな球体の上に座っていることなど、キリスト教美術の中でも、初期の特徴が現れています。

2.サンタ・プデンツィアーナ教会
●ローマで建てられた最も古いキリスト教教会

テルメニ駅からほど近い、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂から数分のところにあるサンタ・プデンツィアーナ教会は、ローマで建てられた最も古いキリスト教教会とされています。(写真F)

伝説では、聖ピエトロと聖パオロは、元老院議員で友人のプデンスの家に7年ほど逗留し、その間にプデンスは2人の娘、プデンツィアーナとプラッセーデとともにキリスト教に改宗したと言われています。実際、紀元後154年に、プデンスの子孫が当時の教皇に、ペトロとパオロが滞在したとされる屋敷を寄付したという記録が残っています。ドムス・プデンツィアーナはそうして、当時のほかの多くの聖堂と同様、ドムス・エックレジア(Domus Ecclesia)と呼ばれる、屋敷内礼拝堂となります。

写真上:Fサンタ・プデンツィアーナ教会、外観 

4世紀に入って、2人の娘に捧げられた教会が建てられましたが、そのうちの1つがここ、もともとすでに聖堂として使っていた建物の上に新たに建設されました。今でも、地下9mのところにドムス(屋敷)の跡が残っています。
また、これは後日ご紹介しますが、実際に、プラッセーデという名の教会も、すぐ近くにあります。

●アプシス(後陣)のモザイクは410年代のもの
現在の建物は16世紀のものですが、最初の教会が建てられたのは390年頃。一部に校正の手が入っていますが、アプシス(後陣)のモザイクは、近年の調査で、410年から17年の間のものと特定されています。(写真GH) 中央は玉座に座るキリスト、それを囲む使徒たち。

写真下左:G後陣のモザイク   写真下右:H同、部分

両サイドの2人の女性については、プデンツィアーナとプラッセーデという説もありますが、左がユダヤ教を、右がキリスト教を示す寓意、というのが定説です。時代が下ると、ユダヤ教=キリストを売り払った悪、という概念が定着しますが、そもそもユダヤ教から生まれたキリスト教にとって、ユダヤ教は対立すべき存在ではなく、むしろその基本でした。   

キリストの頭上には大きな十字架。左右には、天使と、有翼のライオン、牛、鷲が浮かんでいますが、これはヨハネの黙示録の中に現れる「4つの生き物」を現しています。時代が下ると、この4つの生き物が、新約聖書の筆者、つまり福音書家4名のシンボルとして使われるようになっていきますが、それはまた次回以降に。


著者プロフィール持丸 史恵(Mochimaru Fumie)
ヴェネツイア在住。横浜市出身。通訳、コーディネート業など。
2000年秋より1年ペルージャで過ごしたあとヴェネツィアへ。日本では縁もゆかりもなかった美術史を楽しくも苦しみつつ学び、ヴェネツィア大学を卒業。在学中より、美術史の中でもとくに古代から中世にかけてのモザイク美術にハマる。イタリアを中心に、各地に点在するまだ見ぬモザイクをいつか制覇したいと夢見ている。
日々の様子は、ブログをどうぞ: 「ヴェネツィア ときどき イタリア」http://fumiemve.exblog.jp


南イタリア モザイクの旅 データ
Dati
■サンタ・コスタンツァ廟 Mausoleo di Santa Costanza
住所:Via Nomentana 349
開館時間: 9.00-12.00 16.00-18.00
入場無料
http://www.santagnese.org/mausoleo.htm

■プデンツィアーナ教会 Santa Pudenziana al Viminale
住所:Via Urbana, 160
開館時間:8:30-12:00, 15:00-18:00 
入場無料
Tel. 06 4814622
http://www.stpudenziana.org/



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