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北イタリア モザイクの旅
15 Settembre 2011
第3回
  ラヴェンナ・前篇 
  

持丸 史恵 


北イタリアの観光名所の1つ、モザイクの町として知られるラヴェンナは、これまでに訪れたことのある方も多いでしょう。そしてラヴェンナにいらした方が100%見学されているに違いないのが、サン・ヴィターレ大聖堂(Basilica di San Vitale) (写真@)(写真A)。小さな町の中には、サン・ヴィターレやガッラ・プラチディア廟(写真B)を含め今でも7つもの建造物にモザイクが残っていますが、そのモザイクはすべて、今からおよそ1500年前、わずか150年足らずの間に作られたものです。
ユスティニアヌス(イタリア語でジュスティニアーノ)大帝の肖像でも知られるサン・ヴィターレ大聖堂は、そんなラヴェンナの最後の栄華を示しています。(注:サン・ヴィターレ大聖堂の詳細は次号で)


写真トップ@サン・ヴィターレ大聖堂のモザイク 
 写真左Aサン・ヴィターレ大聖堂の天井を覆うモザイク   写真右Bガッラ・プラチディア廟のモザイク    

●ネオニアーノ洗礼堂
紀元後395年、皇帝テオドシウス(イタリア語名テオドシオ)が没すると、一度は1つに戻っていたローマ帝国は再び東西に分裂します。コスタンテイノポリス(現イスタンブール)を首都とする東に対し、西ローマ帝国の首都は、西ゴート族の王アラリコの襲撃から逃れるため、ミラノからラヴェンナに移されます。現在も多くの遺跡が残るローマや、イタリア第二の都市ミラノから比べると、あまりにも小さなこのラヴェンナですが、沼地であったこの地が防衛により好ましかったこと、そしてイタリア半島各地からも、東からのアクセスもよかったことが理由です。さらに、クラッセという港に近かったこと。そのクラッセは当時、司教座として、キリスト教普及の拠点でもありました。
4世紀の終わりごろ、司教座はクラッセから都ラヴェンナへ移されます。その機会に、ラヴェンナの町に聖堂と洗礼堂が建てられました。聖堂は現存しませんが、八角形の洗礼堂の方は今でもその形をとどめています。(写真C)


写真左Cネオニアーノ洗礼堂  写真中D同洗礼堂の天井モザイク  写真右E 同洗礼堂の優雅な装飾 

ネオニアーノ洗礼堂(Battistero neoniano)と呼ばれるのがそれで、名前の由来は、5世紀中盤に改修工事を行ったネオーネ司教の名から。この際、天井にモザイクによる装飾が施されました。(写真D)
大きな円蓋を抱えた正八角形の空間は、色大理石を使った模様と彫刻、そしてガラスのモザイクとの組み合わせで、壁から天井まで隙間なく、優雅で美しい装飾に覆われています。(写真E) 円蓋中央は洗礼を受けるキリスト。その周りに12使徒、そしてキリストのシンボルであるモチーフ、と続くのですが、使徒たちの顔や姿も自然で生き生きと描かれている様子は、まさにローマ時代の写実主義の延長。ただし、優美さを強調するかのような十頭身くらいのスタイルは、ヘレニズム嗜好の名残も。
これがラヴェンナの初期のモザイクの特徴です。
ネオニアーノ洗礼堂は、ですが、ラヴェンナに残る最古のモザイクではありません。1番古いモザイクを見るには、少し歴史を逆戻りしなくてはなりません。

●ガッラ・プラチディア廟
皇帝ホノリウス(オノリオ)が423年に没した後、彼の妹、ガッラ・プラチディアは、まだ幼かった息子ヴァレンテイニアーノ3世の名のもとに実権を握り、コスタンティノポリスからラヴェンナへと移ってきます。ガッラ・プラチディアは、まず前述のテオドシオ1世の娘であり、西ゴート王アラリコの後継者アタウルフォと結婚した後、ゴート失脚後は呼び戻され、ホノリウスの片腕であったコスタンツォ3世に嫁いでいました。政略結婚が当たり前だった時代とはいえ、皇帝の娘で初めて蛮族に嫁入りし、やがて政治的実権をも握るという、歴史の混乱期を象徴するような女性、ガッラ・プラチディアは、意思が強く、また信仰心も厚かったと言われています。その彼女の力で、この時代ラヴェンナはキリスト教徒の町として整備されていきます。 彼女はまず、426年に福音書家、聖ジョヴァンニに捧げる教会を建てます。当時は皇帝ファミリーの肖像のモザイクがあったとされるこの教会は、現存していますが改装を重ねており、残念ながら当時のモザイクは残っていません。                  


写真下Fガッラ・プラチディア廟 


ここで重要なのが、ガッラ・プラチディア廟(Mausoleo di Galla Placidia)。(写真F) そう呼ばれているものの、ガッラ・プラチディア本人はローマで埋葬されており、ここには眠っていません。彼女がここに建てた聖十字型の教会には、十字の両袖に、これも十字の形をしたナルテックス(前室)がついていました。現在はその右側の十字だった部分のみが残っており、それが「ガッラ・プラチディア廟」と呼ばれている建物です。

照明を落とした室内に入って、その暗さに目が慣れてくるに従って徐々に、まさに宝石箱の内側に入りこんだかのような錯覚に覚えます。(写真B) 低いボールト型の天井には、濃紺の地に、大きな星のような、花のような模様。(写真G)クロス部分の天井は同じく濃紺の地に無数の星と十字架、そして4ツ角には4人の福音書家を表す動物たち。(写真H)


 写真左Gガッラ・プラチディア廟の天井の星のような模様  写真右Hクロス部分の天井のモザイク 


正面は、火あぶりの刑で殉教した聖ロレンツォ。両脇は泉から立ち上がるブドウの枝や、その命の水を飲む鹿たち。
いずれもやや様式化しているとはいえ、まだまだ自然な表現で、ローマ時代の名残を十分残しています。
数奇な運命をたどった皇妃の霊廟と呼びたくなるのもわかるような優雅で美しい空間です。

●アリウス派洗礼堂
476年、ローマの傭兵隊長オドアケル(オドアクレ)は、西ローマ皇帝ロムルス・アウグスオゥルス(ロモロ・アウグストロ)を廃位にします。世界史で「西ローマ帝国崩壊」と定義づけられている瞬間です。崩壊そのものは、もうずっと前から始まっていましたが、便宜上、西洋の歴史ではここから「中世」と呼び習わしています。
そのオドアクレ王国の栄華はわずか、やがて東ゴート族の王テオドリクス(テオドリーコ)の到来まで。かつてコスタンティノポリスの宮廷で人質として過ごしたテオドリーコは、蛮族出身とはいえ完全に宮廷で教育を受けていました。ローマ人と違っていたのは、キリスト教徒ではありましたが、ローマ教会とは袂を分かつ、アーリア派とよばれる宗派の信者だったことです。

東ローマ皇帝ゼノン(ゼノーネ)の命でイタリアへ送りこまれたテオドリーコは493年、東ローマ貴族および東ゴート王の名のもとに全イタリアの覇権を掌握します。そうしてラヴェンナ入りしたテオドリーコは、ローマ人とゴート人を別々に、しかし平和的に共存させる政策を取ります。ラヴェンナには、ゴート族居住区が作られたのと同様に、隣接する地域に彼らの宗教であるアーリア派のための大聖堂と洗礼堂も建設しました。


 写真上Iアリウス派洗礼堂


現在はサント・スピリト教会と呼ばれているのがその聖堂ですが、ここにはモザイクが残っていないので、詳細は割愛しましょう。一方で見逃してはならないのが、アリウス派洗礼堂(Battistero degli ariani)です。 円蓋がモザイクで装飾された正八角形の建物、前述のネローネ洗礼堂と作りは大変よく似ています。が、比べてみると、その違いは歴然としています。円蓋のモザイク以外、ほとんど装飾が残っていないこともありますが、そのモザイク自体も大きく違っています。
中央に洗礼を受けるキリストの円盤、そして周りを使徒たちが囲んでいる、図像は同じです。ただしその絵はずっと単純化され、キリストも使徒たちも、表情に乏しく動きも不自然なまでに固くなっています。キリストや聖人たちは、人間、つまり自然とは違う、だから自然であることを拒否し、そのかわり正面を向いた面長の大きな顔に大きな目でその超自然な力を表現した、中世という「新しい」時代がすでに明確に現れています。(写真I)

●サンタポッリナーレ・ヌオーヴォ教会
テオドリーコはもう1つ、自身の宮殿の近くに、おそらく皇帝の専属礼拝堂としての聖堂も建造しました。現在はサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ(Sant’Apollinare Nuovo)教会と呼ばれています。(写真J)


写真Jサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ教会


正面に向かって2列の円柱が左右に並ぶ、バジリカ型三廊式、教会の王道のような形の聖堂。中に入ってびっくりするのはそのモザイク。その縦に長い空間の両壁、向かって左には聖女たち、右には男性の聖人たちがずら〜〜〜っと、捧げものを携えて行列しています。(写真K)衣服の模様や、捧げものの種類が少しずつ変えてあるものの、ほとんど同じポーズ、クローンのように同じ顔の聖人たちが整列するさまは圧巻。神の前に跪く聖人たちだが、実際は王の前に馳せ参ずる家来たちを彷彿とさせます。


写真左Kサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ教会の圧巻なモザイク  写真右L同教会の東方の三王のモザイクモザイク


面白いのは、左壁、正面に一番近いところにいる、東方の三王。パンクロッカーもびっくり、アニマル柄のタイツにぜひともご注目を!(写真L)  テオドリーコはまた、古代の王に習って、自らの霊廟も建てさせました(Mausoleo di Teodorico)が、これもモザイクとは無縁なので、ここでは割愛します。


著者プロフィール
持丸 史恵(Mochimaru Fumie)

ヴェネツイア在住。横浜市出身。通訳、コーディネート業など。
2000年秋より1年ペルージャで過ごしたあとヴェネツィアへ。日本では縁もゆかりもなかった美術史を楽しくも苦しみつつ学び、ヴェネツィア大学を卒業。在学中より、美術史の中でもとくに古代から中世にかけてのモザイク美術にハマる。イタリアを中心に、各地に点在するまだ見ぬモザイクをいつか制覇したいと夢見ている。
日々の様子は、ブログをどうぞ: 「ヴェネツィア ときどき イタリア」 http://fumiemve.exblog.jp


北イタリア モザイクの旅 データ

ラヴェンナのモザイク
エミリア・ロマーナ州 ラヴェンナ県 ラヴェンナ市

■サン・ヴィターレ大聖堂
Basilica di San Vitale

Via Fiandrini Benedetto - Ravenna
Tel. 0544 541688
URL: www.ravennamosaici.it
開館時間
1月1日-2月28日: 9.30-17.00
3月1日-3月31日: 9.00-17.30
4月1日-9月30日: 9.00-19.00
10月1日-10月31日: 9.00-17.30  
入場料 9.50ユーロ
*ガッラ・プラチディア廟、ネオニアーノ礼拝堂、サンタポッリナーレ・ヌォーヴォとの共通券

■ネオニアーノ洗礼堂
Battistero neoniano

Piazza Duomo - Ravenna
Tel. 0544 541688
*上記、サン・ヴィターレ大聖堂と同様。

■ガッラ・プラチディア廟
Mausoleo di Galla Placidia

Via Fiandrini Benedetto - Ravenna
Tel. 0544 541688
www.ravennamosaici.it
*上記、サン・ヴィターレ大聖堂と同様。

■サンタポッリナーレ・ヌオーヴォ大聖堂
Basilica di Sant’Apollinare Nuovo

*上記、サン・ヴィターレ大聖堂と同様。

■アリウス派洗礼堂
Battistero degli ariani

Vicolo degli Ariani - Ravenna
Tel. 0544 543711
8.30-19.30
無料

■サンタポッリナーレ・イン・クラッセ大聖堂
Basilica di Sant’Apollinare in Classe
Via Romea Sud - Ravenna
Tel. 0544 473569
平日 8.30-19.30
休日 13.00-19.30
入場料 3ユーロ

■交通アクセス
電車の場合
ボローニャから直通の普通電車で約1時間20分。
フェッラーラから直通の普通電車で約1時間10分。

■サイト
http://www.turismo.ra.it/contenuti/index.php?t=arte_monumenti&cat=3
http://www.ravennamosaici.it

■ツーリストインフォメーション
ラヴェンナ市観光案内所
Ufficio Turismo del Comune di Ravenna
Via Salara 8 , Ravenna Tel +39 0544 35755 - 35404 Fax +39 0544 35094
email: turismo@comune.ravenna.it

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