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私の自然紀行 − 読者からの投稿記事 バックナンバー |
20 Settembre 2002 「かくれたトスカーナ発見!の旅」 トスカーナ州 - サンセポルクロとテヴェレ川流域 Toscana - Sansepolcro e Valtiberina 大橋なほ子 |
![]() テヴェレ川流域とアペニン山脈 |
| 「そろそろイタリア切れしてきた…、ねえ、夏休み一緒にイタリアに行かない?」。去年転職の合間を利用してフィレンツェに3ヶ月間語学留学をしていた時に仲良くなったドイツ人の元ルームメートから、こんなメールが舞い込んできた。彼女が全て旅の手配してくれるという。とくに夏休みの計画を立てていなかった私は、一も二もなく「うん、行く!」と返事を打った。夏は観光シーズンで都市は混雑するし、のんびりとしたいので田舎に行きたいと彼女は言う。でも、思い出いっぱいのフィレンツェにも行きたい。そこで、フィレンツェからそう遠くない、トスカーナの田舎に行こう!ということになった。 友人がインターネットを通じて予約した宿泊先は、アレッツオ県のサンセポルクロ Sansepolcro という町の郊外にあるという。留学中は語学学校の小旅行でアッシジ、シエナ、キャンティなどには足を延ばしたが、サンセポルクロという町の名は聞いたことはなかった。が、インターネットでサーチしてみると、2000年の「日本のイタリア年」のオープニングにあたり帝国ホテルでVIPを招いてのルネッサンスの晩餐会を企画したのは、実はこのサンセポルクロ市だという。地理的にはフィレンツェの東南、トスカーナ州のほぼ東端だ。友人とはフィレンツェで落ち合い、思い出一杯の地での3日間を満喫した後、まだ暑くならないうちにと午前中にレンタカーで出発した。高速道路A1を約一時間ほどローマ方面に向かい、アレッツオの出口で出て一般道に。山中のくねった道をすすむうちに、徐々に景色が開けてきて、オリーブやブドウ畑が連なる田園地域に入る。パッチワークのように散在するひまわり畑の黄色が目に鮮やかだ。「うわー、トスカーナに来たって感じがするねぇ!」と、思わず二人で歓声をあげる。
高速を降りて20分も走っただろうか、目的地である宿に無事到着。ホームページで見たとおりの、石造りの美しいカントリーハウスだ。周囲は農家が点在する他は見渡す限り、緑、緑、緑。ここから少し北に首都ローマを流れるテヴェレ川の源流があるそうで、テヴェレ川がつくった肥沃な地質のおかげでこの地域は農業が盛んなのだという。オーナーであるスカマッツォ夫妻の奥さま、マッティーアさんが私たちをアパートまで案内してくれる。アパートは二階がベッドルーム、一階がキッチン、ダイニング、リビングになっており、趣味の良いシンプルなインテリアでまとめられていて居心地がよい。二階の窓からは平野の向こうにアペニン山脈を見渡すことができる。スカマッツォ夫妻は長年ミラノに住んでいたのだが、「人間らしい生活がしたい」とミラノを引き払う決心をし、5年前トスカーナの田舎に家探しを始めたそうだ。当初は「トスカーナの典型的な丘の上の家」を探していたのだが、周囲360度に広がる雄大な景色に一目ぼれし、廃屋となっていたこの家を購入。以来、近くの町にアパートを借り、三年がかりで、二人でほぼ手作業で家の修復作業をすすめたのだそうだ。なんでも建物の一番古い部分は12〜3世紀のものだそうで、天井のアンティーク煉瓦による交差ヴォールトがなんとも美しい。お二人が「一目ぼれ」しただけあって、どこまでも広がる緑の空間にポッカリとつつまれ、ここにいるだけでなんともいえない開放感がこみあげてくるようだ。
● 中世の小都市、サンセポルクロ Sansepolcro なんの旅程も立てていなかった行き当たりばったりの私たちは、とりあえず昼食を食べがてら、地元の町サンセポルクロを訪ねてみることにした。宿からは車でものの5〜6分。イタリアの多くの小都市がそうであるようにチェントロ・ストリコ(歴史的中心地区)は車両通行禁止であるため、城壁の外の駐車場に車を止めてから、徒歩で町中に入る。ポルタ・フィオレンティーナ(フィレンツエの方角へ通ずる城門)からポルタ・ロマーナ(ローマの方角へ通ずる城門)まで10分もかかっただろうか、本当に小さな、かわいらしい町だ。町並みはあたかも中世からそのまま時間が止まってしまったかのごとくで、馬車が通れる程度の幅のメインストリートは、散歩をするのにちょうど気持ちが良い。それでいて通りには時計店、ジュエリーショップ、サングラス専門店、おしゃれな靴屋、シックな有名ブランドセレクトショップなどが軒並みならんでいて、「田舎の町」というイメージからはほど遠い。「これだからイタリアの田舎っていいのよね」と、友人は午後のショッピングを想定してすでにはしゃいでいる。 なんでもこの中世の小都市は、ルネッサンスを代表する画家の一人で、遠近法を駆使して理性的な宗教画を描いたピエロ・デッラ・フランチェスカ Piero della Francesca が生まれ住んだ町として有名なのだそうだ。この町が生んだもう1人の天才に、ルカ・パチョーリ Luca Pacioli という、同じくルネッサンスの偉大な数学家がいる。彼はとくに複式簿記の父として知られているが、実はこのルカ・パチョーリはピエロ・デッラ・フランチェスカの親しい友人であったと同時に、レオナルド・ダ・ヴィンチの数学の先生であり、ダ・ヴィンチはパチョーリの遠近法の理論をベースに『最後の晩餐』を描いたという。パチョーリは貧しい家の出であったが、ピエロ・デッラ・フランチェスカが各有力者に紹介してくれたおかげで、パトロンのサポートを得、数学家として研究を極めることができた。となると、ピエロ・デッラ・フランチェスカやパチョーリらの存在がなければ、『最後の晩餐』もあれだけの逸作にはなっていなかったかもしれない… などと思うと、この小さな町サンセポルクロがこの二人の歴史的人物を生んだ地として自負する気持ちもわからないではない。 また、この町はバレストラ Balestra と呼ばれる中世の石弓の競技が盛んなことでも知られている。都市国家であったサンセポルクロは、トスカーナ公国とローマ教皇領の境にあったこと、近郊にペルージャ、アレッツオ、チッタ・ディ・カステッロなど大きな都市国家に囲まれていたこと、織物や織物の染料として使われていたホソバタイセイの産地として豊かであったことなどから、何かと争いに巻き込まれることが多く、男たちはいつ何時でも町を自衛できるよう、普段から石弓の鍛錬にいそしんでいた。が、300メートル離れたところからでも殺傷力を持つこの武器の使用をローマ法王が禁じたため(正確にはキリスト教徒への使用のみを禁じたのだが)、15世紀以降は町の守護聖人の日である9月の第二日曜日、石弓の競技を行う町の祭りへと転じた。競技の勝利者が遅くまで仲間や市民とテーブルを囲み祝う祭りの様子を記録した古文書は1558年までさかのぼることができるという。以降、毎年欠かされることなく行われてきたこの祭りは、今日も市民が当時の衣装に身を包み、ルネッサンス時の踊りや旗手団によるフラッグショーなどを交えて華やかに祝われる。 中世そしてルネッサンスの面影がまだ色濃く残る町角の、香ばしいエスプレッソの香りがただようバールのテーブルに腰を下ろし、私たちはパニーニと白ワインの昼食でひとまず旅の疲れを癒した。
● 自転車で田舎散策
● 丘の上の城塞都市アンギアーリ Anghiari
現在アンギアーリの人口は六千人ばかりだが、町には今もしっかり現役の劇場がある他、世界各地から生徒が集まる骨董家具の修復の学校がある。また春には地域のさまざまな職人が参加するアルチザン・マーケットが開かれ、多くの観光客が訪れるという。城壁に囲まれた町の中は、二人すれ違えるかというくらいの湾曲する狭い石畳の路地と急な階段が交差し、まるで迷路のよう。窓枠に置かれた植え込みの赤やピンクの花が素朴な石壁に彩を添える。建物の上部階の窓の下には几帳面に干された洗濯物がぶらさがっていている。こんな町に住んでみたらどんな風だろう・・・と、ふとそんな想像をしてみたくなる。城壁からは、テヴェレ川流域の緑豊かな平野の向こうにサンセポルクロの町をのぞむことができた。
● アッシジの聖フランチェスコの聖地、ラ・ヴェルナ La Verna 滞在4日目、それまで近場散策に徹していた私たちは、少し足を伸ばしてイタリア半島中央を南北に縫うアペニン山脈の中の国立公園に行ってみることにした。といっても、車で40分足らず。トスカーナ州とエミリア・ロマーニャ州の州境にあるカゼンティネージの森・ファルテローナ山・カンピーニャ山国立公園という、複数の山と森からなる国立公園だ。この国立公園にはクリスマスツリーでおなじみのヨーロッパモミの森、ダンテの『神曲』の地獄編にも出てくるという70メートルの落差のある岩滝、カマードリ会の修道院など、たくさんの見どころがあるが、中でもあのアッシジの聖人フランチェスコ San Francesco d'Assisi が頻繁に滞在したという聖地があるという。私たちはこの聖地ラ・ヴェルナを目指して出発した。 ラ・ヴェルナの由来はこういうことらしい。1213年、聖フランチェスコに感銘を受けたカターニ伯爵は、伯爵が所有していた、荘厳なまでに原始的なラ・ヴェルナ山を聖フランチェスコに譲った。以来、聖フランチェスコはしばしばここに隠遁し、孤独の中で修道に励んだ。亡くなる二年前の1224年にはここラ・ヴェルナで、聖フランチェスコの両手、両足、そしてわき腹にキリストが十字架に貼り付けにされた際に受けた傷同様の傷(聖痕)が現れたという。聖地は標高1200メートルの森深い山中にあり、真夏でも肌がひんやりとして涼しい。カトリックの一大巡礼地であるアッシジとくらべると、ここはあたかも禅寺であるかのような、ひっそりとした雰囲気。今でこそ修道院や教会があるが、聖フランチェスコが滞在していた当時は建物らしき建物は一つもなかったという。これまで聖フランチェスコというと、小鳥に説教をするジョットのあのおとぎ話のような絵が頭にうかび、ついつい伝説上の人であるかのような印象を抱いていたが、ここで実際に聖人がベッドにしていた洞窟の中の石、瞑想をした苔むした岩場、悪魔と戦ったいう切り立ったがけ、そして聖人がまとっていた穴だらけの粗末なカプチン服、使用していたつえ・木のボール、などを目にすると、清貧の聖人は本当に実在していた人物だったのだなあ、と実感する。と同時に、この厳しい自然環境の中で、孤独の中で祈り神を求めたという信仰心に思わず頭を下げずにはいられない気持ちになる。聖地の見学を済ませると、そこからぶな、もみ、かえでなどが植生する美しい森を通ってラ・ペンナと呼ばれる山頂まで歩いた。小さなチャペルのある山頂から見るアペニン山脈は、南はウンブリア、そして北西に向かってはアドリア海まで、夏もやにかすんで見えなくなるまで続いていた。
● 夜の散歩
● 豊かな郷土文化
以下、皆さんの旅の参考になればと、その他気づいた点について記した。
〈 宿 〉
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