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私の自然紀行 − 読者からの投稿記事 バックナンバー |
20 Agosto 2002 「フモーネに煙が上れば、近隣の鐘全てが鳴り響く」 ラツィオ州 - フロジノーネ Lazio - Frosinone 古庄 美穂子 |
![]() 写真提供 マニエリ・デル・ラツィオ |
| フモーネのことはアナーニを観光していた際、案内所で手に入れたパンフレットで知った。予備知識もなく訪れたのだが、興味深い町だ。その昔、バルバロッサ("赤ヒゲ"の通称を持つ、神聖ローマ皇帝フェデリーコ1世)をも寄せ付けなかったと言う、教皇領の守りの要でもあり、フモーネが煙ると世界が揺れると言われたとか。 山の頂きに聳える町はとても小さい。町を囲む外壁を越え、石畳の道を何歩か進むと、もう目的地の城である。ガイドが城内を案内してくれる。まず、現在の城主ロンギ家所有の礼拝堂を拝見。ここには、いろいろな聖遺物が飾られている。聖人の歯や骨、僧衣のはぎれなどが、ガラスのケースに納められている。その直ぐ脇に、ユニットバスルーム位の空間がある。上のほうに小さな明かり取りの窓が一つきり、人が一人漸く通れるかなという狭さ。ここに法王セレスティヌス5世が8ヶ月間監禁されていたという。この法王は生存中に退位した史上唯一の法王でもある。もともと宅鉢僧だったのが、法王に選ばれた。意に染まぬため退位を表明し、隠遁生活を営む筈が、反教皇派の手中にはまり、この城に監禁されるはめになる。80を越える高齢だったが、"聖職者は長生き"の例に漏れず、厳しい監禁生活をセレスティヌス5世は絶え抜き、困った反教皇派は最後には暗殺するしかなかったらしい。頭部に不可解な傷を負って発見されたという。この牢獄は暗くて狭いし、普通なら気が狂ってしまうだろう・・・。しかも超高齢だったことを考えると、その生命力の強さに驚くのである。さらに、別の時期には法王グレゴリウス8世がこの城に生き埋めにされたという。その死体は8世紀を経た今日、まだ発見されていない。 そしてここの城主一族の歴史を語る広間。床は昔ながらの、焼きレンガが敷き詰められている。歴史の重みに耐えてか、中心は窪んでいる。絹張りの壁には、一族の肖像画が飾られている。ロンギ家は"アナーニの殴打"で有名な、ボニファティウス8世も出した名門。姻戚にはカエターニやスフォルツァ家もあり、紋章には各家の標が組み込まれている。入口近くに、開閉式の低いライティング・デスクのようなものがある。案内役が蓋を開けると、中に人形が横たわっている。下のケースには洋服やおもちゃがある。何とこの人形の中に、前世紀初めに亡くなった城の跡取息子の亡骸が収まっているのだ。古い教会などで、聖人が人型の中に奉られているのを間々見かけるが、あれと同じである。何でも時の城主には、女の子ばかり5、6人続いた後、やっと待望の男の子が生まれた。ところが、この子は三才にしてこの世を去る。城主夫人は嘆き悲しみ、いつでも亡骸を拝める様、この文机を作らせた。(だから低いのだ。)側の壁には、悲しみに沈む母の肖像が架っている。亡き息子も、目を閉じた頭像として描かれている。証拠は無いのだが、少年は姉達に砒素を盛られたという。何でも、一家の財産が唯一の直系男子に行くのをやっかんで、との話しだ。幼児の死亡率が高かった当時を思えば、単なる噂ではないかとも思えるが・・・。因みに城主夫人の霊は、今でも夜な夜なさ迷い歩き、愛する息子に会いに来るとか。 そして標高800m、ヨーロッパで一番高いところにある空中庭園を見学する。元々は、見張りの塔があったのを取り壊して土を盛り、根をまっ直ぐに下す樹木を選定した上、造園したのだそうだ。この庭は、夏季には結婚式の披露宴として貸したりするそうだ。面白いのは、「愛し合う木」と呼ばれる二本の糸杉。何百年も経るうちに、隣り合って生えていた二本の木がくっついてしまい、一本の木となってしまった。さて、この庭からは周囲360度のパノラマが展開する。付近の大小45の町々が眼下に点在している。空気のきれいだった昔は、ヴェスヴィオ山、ローマのサン・ピエトロ寺院の円屋根まで拝めたという。幸運を呼ぶとも言われる、フモーネ山頂の石に触れ、庭を後にする。
ところでこの城ではB&Bも可能である。天蓋つきのロマンチックなベッドで、中世の気分を満喫できる。そして宿泊者の気分を紛らすためと、マシンルームもあるのだ。(中世の拷問道具などではなく、近代的装備だが。)ジャグジーにサウナも備わっている。ゴシック趣味の方、是非チャレンジ下さい。でも、お忘れなく。あなたの後ろに、法王様が埋まってるかもしれません。
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