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イタリアのロマネスク 
15 Luglio 2016

第1回 
都市に見るロマネスクの文化・歴史・芸術

  
文と写真  Saba彩子 

「ロマネスク」というと最近は緑のとんがったカリフラワーのような野菜を思い出す人もいるかもしれない。あれはイタリア語ではBroccolo romanesco (ローマのブロッコリ)という風に呼ばれている。ちなみにブロッコロとは馬鹿、間抜けという裏の意味を持っている。イタリア語では野菜が様々な意味(たいていは下ネタか馬鹿にする意味)を持っていて、簡単に冗談の種になる。これも歴史と関係があるけれど今回のテーマは「言葉」ではなく芸術的観点からロマネスクな都市を紹介するものなので省こう。

なお、一言断ると、厳密には、翻訳の上でも歴史解釈においてもそう簡単には言い切れない点は多々あるが、分かりやすさを重視した。

写真トップ@ルッカ、聖マルティーノ大聖堂。毎年9月14日、十字架高揚の日のヴォルト・サント(木彫磔刑像)。
小神殿の扉が開かれ高価な衣装を身に付ける。
写真上左Aルッカ、聖マルティーノ大聖堂と塔 
写真上右Bベネヴェント、聖ソフィア聖堂正面ファサードのルネッタ

●ロマネスクという芸術様式
ロマネスクとは芸術様式の名称。ざっと美術様式を振り返ると、クラシック(ギリシャ・ローマの古典古代)、初期キリスト教様式、ロマネスク(ローマ化した)、ゴシック(野蛮人の)、ルネサンス(再生)、マニエリスム(手法)、バロック(歪んだ真珠)、ロマンチシズム(文学派)、新古典主義となり近現代になると印象派、象徴主義、未来派などと無数に分かれていく。

写真上左Cカターニア、大聖堂前記念碑の像    写真上右Dジェノヴァ、大聖堂博物館所蔵  洗礼者ヨハネの皿

●ルネッサンス芸術とは根本的に異なるロマネスク
他にもたくさんあるが注目したいのは、現代人に強く訴える様式であるロマネスク、ゴシック、バロックなどが共にルネサンスのような肯定的な意味を持っていないことだ。多分最もヨーロッパ的な印象を与えるゴシックに至っては、常軌を逸した野蛮人のものだという意味なのに驚かされる。西洋美術はエジプトやペルシャ文化を古代ギリシャ美術が昇華した時に始まるというのが常識だから、2千年以上前に文化的先進地域だった地中海の価値観を基本としている。地中海の覇者であった古代ギリシャ人やローマ人にとって北方の西欧人は野蛮人であり、彼らの好みは教養ある人のものではなかった。だから ルネサンスとは、中世に野蛮人によって失われていた地中海の正当な芸術様式を再生させたという意味なのだ。

写真上Eオトラント、司教座聖堂の床モザイク「イブ」 

ミロのヴィーナスやミケランジェロのダヴィデを思い描けばいい。あれこそ正しい芸術なのだ。史上最大の三大芸術家というのはレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナロッティ、ラッファエッロ・サンツィオの三人で、奇跡のように共にイタリア中北部で同時期に生きた。ロマネスク美術は彼らの芸術とは根本的に異なっている。それは「芸術とは何か」という問いにつながるが、そんな深遠なテーマをわずかな言葉で考えることはとても無理だから、一応そんなこともあるんだと心の片隅に置いて、次回から実際の街と作品を紹介したい。

●西ローマ帝国崩壊後、キリスト教化されたヨーロッパに生まれる
ロマネスクとは「ローマ化された」という意味で、西ローマ帝国が崩壊した後、ヨーロッパがキリスト教化された結果を表している。西ローマ帝国の首都ローマは失われたが、教皇を頂くキリスト教徒の聖地ローマが誕生する。東のコンスタンチ ノープルには大主教を伴った皇帝という中心があったのに対して、西ではローマ教皇を中心にまとまるようになり、それがヨーロッパのローマ化で建築物に顕著に現れた。古代ローマ帝国時代を真似た、石造、半円アーチ、分厚い壁にフレスコ画などだ。帝国の重要な建造物だったバジリカはそのまま聖堂としてリサイクルされた。

写真上左Fパルマ、司教座大聖堂の木彫磔刑像  写真上右Gヴォルテッラ、洗礼者ヨハネの洗礼堂

●西欧中から無数の巡礼者がローマへ
神の代理人である教皇が住むローマへ西欧中からやってくる無数の巡礼たちが、アイルランドの孤島やスペインの荒れ地にまで聖堂を建てて行った。巡礼と聞くとサンチャゴ・デ・コンポステラだと思っている人がいる。しかし巡礼はずっと古い歴史を持っていて、当然ながらキリスト教徒にとっての至高の巡礼地は、人となった神の子イエスが奇跡を起こし昇天したエルサレムである。それは今も変わらない。
次点はイエスの一番弟子ペテロが殉教したローマ。ヴァチカンはペテロのお墓の上に建立されている。エルサレムは列車など存在しない人々の時代、あまりに遠かったので特別な人しか行けなかったから、多くの人はローマを目指した。

●次第に形成される巡礼路
徒歩で行くには何ヶ月もかかるから途中で宿泊しながら行く。そうして次第に巡礼路ができ、要所に聖堂が建ち、巡礼たちはその聖堂で祈る。そこで彼らは奇跡に出遭う。中世の道は、獣や追剥ぎなど危険でいっぱいだ。過酷な自然の中、サンダルで擦り切れた足をひきずり道半ばで死 んでしまう人もいる。必死に祈る彼らを聖人たちが励ました。聖人たちはあらゆる拷問にも負けず信仰を貫いた人たちで、今は天に神と共にいる。

写真上左Hウディネ、司教博物館・ティエーポロの回廊所蔵 木彫聖母子像   
写真上右Iモデナ、赤フェッラーリの日の司教座大聖堂

●各地に聖遺物を祀る聖堂
ロマネスク聖堂にはほぼ確実に、奇跡を起こす聖人の聖遺物があった。奇跡の噂は巡礼から生還した人々によって宣べ伝えられ、様々な苦悩を背負った人々を惹きつけ、新たな巡礼を呼んでいった。こうして巡礼路沿いにあちこちに奇跡を起こすありがたい聖遺物を要した大人気聖堂ができ、その街を豊かにした。テレビも持たない人々にとって、巡礼は、時には辛く変化のない日常から逃れる観光の楽しさを与えてくれもしたのだ。

現在ロマネスクで知られる都市は、中世に大巡礼を呼んだ場所だ。当時のヨーロッパはまだ若く、粗野で純朴で謎だらけだ。ロマネスク美術とは信仰が形になったものであり、現代人の「芸術感覚」からは遠く隔たったもの。人々が芸術家を知るのはルネサンスになってからだ。

筆者プロフィール
Saba彩子(サバサイコ)
こんにちは。Saba彩子(サバサイコ)です。東京生まれ。渋谷、青山、新宿辺りに出没。美大とイタリアの外国人大学卒業。デザイナーを10年ほどやった後、大学院に行き直し、中世の木彫磔刑像と巡礼について修士論文を書きました。現在は通年で首都大学東京オープンユニヴァーシティ、放送大学では集中講座を受け持っています。内容は西洋美術史とイタリア史に関するもので、詳細はその時々により様々です。ボクシング、ロック、芸術映画、欧米社会派犯罪ドラマが好きです。 「人はパンのみに生きるにあらず」を実践していけたら最高です。 美術と主にイタリア関係のサイトをやってるのでどうぞよろしくお願いします。 http://www.fedesperanzacarita.com   http://tutto-italia.seesaa.net



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